ほわほわ神社生活

ほわほわ神社生活

神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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岡山神社( 広島県福山市神辺町道上981)

岡山神社

今回も深安神社めぐりについて書かれているこちらのサイトにリンクさせていただきます。

 

深安神社めぐりとしてお詣りした神社三社目が十七番目の岡山神社です。ここも山の中ではなく、住宅地のそばにあるから特に問題なくお詣りできました。まあ、これが普通です、たぶん。山の中で、ぽつんとなんとか状態の林道? を延々走って冷や汗かくのはストレスでよくありません。

 

目次

 

【御祭神】

 

吉備津彦命 日本武命 孝霊天皇

(合祀された神社の御祭神非常に多数。詳しくはリンク先を)。

岡山神社への道】

東からだと広島県道215号が池を真っ二つにして、つまり左右が池という所があります。この池の西側すぐ、池に沿って走る道へ曲がり丘の上の方へと向かうとすぐに西側の鳥居が見えます。ここに駐車できるスペースがありますがこれはお墓参りのためのものかもしれませんので、藤棚の下にとめるのがよいのかもしれません。他の人はそこに止めていました。駐車場の看板がなかったので本当はどこにとめてよいのかわかりません。

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西から来るとファミリーマートがあるのでここの道上小学校前交差点を右折してすぐ左に深安神社めぐりの看板があります。

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これに従って道上公民館横を進んで左に曲がると社頭に着きます。

#公民館に人がいればお詣りの間駐車してよいかたずねてもいいかもしれません。たくさんとめられますが無断駐車は避けてください。他所からお詣りしにくくなります。

 

一の鳥居はコンビニを曲がった道沿いにあります。そこから上まで少し距離があります。上の方にとめてから一の鳥居まで戻るのは参道を戻らないとかなり大回りすることになります。

 

【車椅子使用の方のための情報】

石段は複数あります。向かって右側に折れ曲がった坂道があります。幅は120㎝ほどあるので車椅子そのものは通れるかもしれません。ですが……かなりの傾斜です。筋肉モリモリな漢に押してもらわないと無理だと思いました。写真で判断してください。上がれれば拝殿前まで行けます。

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【境内の様子】

岡山神社一の鳥居

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岡山神社社頭

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手水舎付近から

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拝殿

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本殿

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岡山神社社殿遠景

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合祀された神社の碑だったような(記憶が曖昧です)。

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砲弾? 三十九が年なのか部隊なのか読みにくいのでちゃんと読んでいません😅

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【お詣りをおえて】

石碑によると定期的に神社を改修してきたそうで、こんな所に大きく立派な神社があるのかというのが最初の感想です。

 

ご由緒によると、備中の吉備津神社からご分霊を備後へお迎えする時に一泊した地に806年に宮が建てられたのが始まりのようです。かなり古い神社ですね。

 

一の鳥居から歩きました。ここでは変化は微妙です。中ほどにある注連柱からさらに変化し始めて。横切る道から先の注連柱からは一気に澄んできます。実質、舗装路の上からが神域なのかなと思いました。

 

本殿そばでは気が上下に波打ちながら絶え間なく打ち寄せてくるようでした。あくまでもその時の感覚なので、そうだったのかなくらいでお願いします。

 

この神社の境内は横長です。風の強い日があったのか端っこはちょっと落ち葉が溜まっている所がありました。これはご神職だけでは掃除は大変でしょう。数人程度お手伝いで清掃されても翌日にはまた落ちているでしょうね。社殿回りは綺麗なので決して疎かにされている神社ではありませんので誤解なきようお願いします。

 

他の方のブログ等を読むと春は桜で秋は紅葉が綺麗だとか。藤棚があるので桜の後は藤かな。どうやら一番殺風景な時期にお詣りしたもよう。

 

県道215号はそれなりに車が走っている道ですが、少し距離があるので騒音は聞こえません。静かで落ち着いて境内の気を感じられるいい神社でした。

歓迎サインの個人差

霊的能力無し(と本人は思っている)の人でもコンタクト可能なものが歓迎サインですが、これはかなり個人差があるようですね。今回も今まで書いたことの繰り返しになります。

 

私の場合はクロアゲハがやたらに多いのです。まあ田舎の神社は山のそばにあることが多いので、山のちょっとした空間を飛ぶクロアゲハを見るのは自然と言えば自然です。

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ですが、これが鳥居をくぐったタイミングでとか拝殿前から去る時に向きを変えたら目の前を飛んで行ったというような場合は特に意味はないとは言い難いと思います。妹は、虫は境内にいるからただ見ただけだと特別な意味はないかもしれないけど、ご眷属が知らせてやろうとする時には何か特別な感じを受けるようにすると教えてくれました。

 

昨日の記事の日枝神社では石段を登り始めたらクロアゲハが目前を横切りました。拝殿まであと少しの所ではナミアゲハが追い越していきました。

 

普通ではないかもと思った時は疑わずに素直にお礼を言った方がいいでしょう。もしそうだった場合には無視したことになります。そうでなかったとしてもお礼を言えばただの勘違いですみます。

#無視は状態を表しているだけでそれがいかんということではありません。

 

生き物ではなく特有の現象が頻発という形をとることもあります。境内に一歩足を踏み入れたら雨が止むとかがそうです。

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私の場合は先日から書いている鳥の羽根です。神社から帰りかけて気が変わってそれまでと違う所で写真を撮って下を見るとなぜか羽根が落ちているのです。これは私が羽根に意味があると思っているし、それをサインにお願いしますと言っているからだと思います。いくらサインを送っても本人が無関心だと気がつかせるのは大変なようです。

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とんでもないサインの要求はともかく、いろいろと言われているサインの中でこれはと思うものがあったら守護霊にそう言っておくといいかもしれません。お詣り時には先回りしてお願いしてくれるかもです。サイン以外のことで先回りしてお願いに行くことはあるようです。

 

守護霊を介しての神々ご眷属との約束が守ってもらえたと思えたら、それは大きな喜びと安心感になって日々の暮らしの辛さを乗り越える力になると思います。

 

現代だから、それはちょっと頭おかしいことのように思われることもあるでしょうけど、かつてご先祖様達が普通に行っていたことです。現代文明を駆使しながら古の日本人の精神の良い面も取り入れる。歓迎サインといってお詣りの楽しみとされていることでも少し違う見方を知ればぐっと変わるきっかけになるものです。

 

守護霊となんらかのコンタクト可能でないなら探る作業が必要になりますが、時間をかけてでも自分だけのサインを見つけて心を良い感情で満たしてください。

日枝神社(広島県福山市神辺町湯野38)

深安神社めぐり

今日の記事でもリンクさせてもらいます。

 

深安神社めぐりの二十番目がこの日枝神社です。約3800あるという日吉、日枝神社のこのブログでの二番目の記事になります。福山市北部の山中で一時間以上酷道をうろうろしたわりに荒神社のお参り後まだ陽が高かったし、距離もそう離れていないのでまだ参れるということで向いました。なんせ予定の二社キャンセルしてますからね。ガソリン高騰の中無駄にはできないのです。

 

 

目次

 

【御祭神】

 

 大山咋神 大己貴神 八幡大神 山王二十二社の神々

 

日枝神社への道】

国道486号からちょっと北にあるからここも大丈夫と向かいました。期待を裏切らずガソリンスタンドとローソンのある交差点から北への道は普通でしたが、右に折れたら狭くなり、山へ上がる道はまたまたすれ違いに困る道へ。カーブが広がっていたりしてすれ違い自体は可能ですが、どこですれ違えばいいのかを全く考えない相手が突っ込んでくるとお手上げです。山へ上がる急坂は約400mといったところでしょうか。数分間の運に期待です。

 

山の上に着くと左側に舗装された駐車場がありました。駐車スペースに困ることはないでしょう。トイレもそこにあります。

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実はこの道以外に鳥居前を通るもっと広い道があります。486号沿いにガソリンスタンドとファミリーマートのある交差点を北へ向かいます。グループホームがあるので左折して突き当りにこんな看板があるのでここを左へ進みます。

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道なりに走ると右に曲がった後ですぐにUターンするように左に曲がる道があります。

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これが山へ上がる道で道幅は軽だと余裕で二台分。ミニバンでも気をつければすれ違えるかもと思いました。

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こちらの道がおすすめです。私も裏道はもう二度と通りません。

 

【車椅子使用の方のための情報】

社殿横の駐車場まで行けますし、拝殿までは大きな段差がないので大丈夫だと思います。段差は写真で判断してください。

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境内社は本殿左右一段高い所に並んでいるのでここは石段しか手段がないので無理でしょう。駐車場から30mくらい? だからここも山上の神社にしてはお詣りしやすいと思います。

 

 

 

【境内の様子】

 ご由緒

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日枝神社社頭

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石段参道(150段ほどかと。名前がわからないように処理済み)

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石段上から鳥居を見る

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日枝神社拝殿

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日枝神社本殿

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拝殿前から注連柱や狛犬

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 神楽殿

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【お詣りをおえて】

 山なので木々も(管理されていますが)たくさんあり、山の神社ということを強く感じます。他の神社では境内(社殿近く)に巨樹があってご神木というパターンが多いと思いますがここはそういった樹は目立たず、かなり広い境内を取り囲む社叢全体で神域を守る役目を分担しているようでした。

 

下の鳥居をくぐって5mくらい石段を上がった辺りから気が澄んできたのが分かります。あまり鋭い感じではないように思いました。かといってほわほわした感じとも違い、凛とした感じに近いです(あくまでその時そう思っただけで日が違えば感じが違うかもしれません)。

 

本殿そばで気を感じると、長い周期でフーッと吹き出してくるものがありました。

 

境内はよく清掃されていて綺麗です。社叢の緑と銅板葺きの緑青の本殿屋根とその下の彩色の赤が派手過ぎず一体となって実に美しいです。

 

明るくて穏やかな気持ちになれるいい神社でした。

 

#この神社でも歓迎サインがみられました。

十三軒屋荒神社(広島県福山市神辺町十三軒屋147)

8/30本殿の材質について一部訂正。

深安神社めぐり

上のサイト(コーナー)が分かりやすいのでリンクさせてもらいます。

かつて深安神社めぐりという企画があり、今もその看板が残っているので順番にお詣りすることができます。いままで書いた神社巡り記事のいくつかはその二十六社の内のものでした。地図を見てどこへ行くか考えるのに疲れたのでこの中から行ったことのない神社を選んでお詣りすることにしました。緊急事態宣言解除までは観光地ど真ん中の神社は避けてひっそりお詣りしようと思います。

 

今日は三社お詣りのつもりでしたが、またまた山中の酷道へ誘い込まれて一時間ほどさまよった末に断念! もう山は嫌だと下りてきて向かったのがこの十三軒屋荒神社でした。深安神社めぐりの二番目です。

 

ネットで見て、なんか変な社だな(ものすごく失礼)と思いながら向かったのですが、お参りしていろいろと考えさせられたのでした。

目次

 

【御祭神】

火之加具土神

【十三軒屋荒神社への道】

国道486号と国道182号の交差点から西へ500mくらいの所にあります。フジグラン神辺から西へすぐです。神社は道の南側にあり、中央分離帯がある道なので下り車線を走ってください。すると前方にこんな公共施設の案内標識が見えてきます。

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その手前に駐車場入り口があります。よく神社で見られる御影石玉垣ではなく、白い防音壁のような感じのものがあります。

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その切れ目から中に入ります。道ではないのでたぶん誰もここで曲がる車がいるとは思っていないはずです。合図は早めにして後続車や歩道を走る自転車に充分注意して曲がってください。

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神社を過ぎて左折してまた左折すると神社の南側を通って社頭に出ます。鳥居横に門があって鍵はかかっていないから自分で開ければ中に入ることができるようです。

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もし486号沿い駐車場に先客がいたらこちらから入らざるをえないと思います。お詣り以外の駐車禁止と書かれていますから、お詣りならとめてもいいのだと思います。これには電話番号がかかれていないので許可を求めることはできません。

 

【車椅子使用の方のための情報】

ここは拝殿横、社務所裏に駐車します。そこから拝殿前まで地面で完全に平です。拝殿正面に車椅子を横づけしたら鈴緒にも賽銭箱にも手が届くように思います。自分で歩ける人と同じようにお詣り可能な珍しい神社だと思います。道から鳥居をくぐって社殿まで行くこともできると思います。

 

 

 

【境内の様子】

十三軒屋荒神社社頭

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ご由緒

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折れ曲がって注連柱から拝殿を見る

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 拝殿二枚

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本殿

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【お詣りをおえて】

最初は変な本殿だなあ白いしと思っていました(神社関係の皆さま、すみません)。近くで見てコンクリート作りなのではと感じました。由緒を読んでなぜ木で普通に立て直さなかったのかわかりました(あくまで想像です)。おそらく戦後に火災で焼失して再建する時に、もう二度と火の神様の社を火で失わないようにと思われたのでしょう。それならこの状態に納得できます。

 #床部分が一部欠けており、そこがコンクリートだったので社殿はそうなのだろうと思いました。本殿基部に上がって壁や柱を触って確認は恐れおおくてできません。もしかすると、木で作って何かで塗り固めている可能性もありますが素人でははっきりわかりません。最初にUPした時にはコンクリと断定した書き方でしたが床以外は確証がないために訂正しましたm(__)m

 

本殿以外にも拝殿屋根や手水舎や厠、社殿横の石灯籠など、定期的に改修されています。境内は住宅地の中にある公園のように見えないこともないです(写真は社殿横から離れて撮影)。

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鳥居や灯籠や神社社殿が端になければそんな感じです。しかし、三百年以上地元の方を見守り続けた神社です。とても大事にされていて敬神の念を強く感じられます。

 

鳥居をくぐってすぐにとはなりませんが少し歩くうちに気が整ってくるのがわかります。社殿そばはきちんと良い気が放射しています。本殿横に立つと、大きく波打ちながらこちらへ来る気が感じられました。

 

拝殿正面、参道が直角に折れ曲がる所にある二本の樹がご神木なのかもしれません。たぶんご眷属はここで参拝者を見ているのでしょう。

 

火の神様ということで、女神様のように恋愛だとか商売繁盛だとか天神様の学業成就とかは専門外かもしれません。でも神様だから専門外でもなんとかできる力は当然お持ちです。何が御神徳かよりも足繁く通える方が大事です。この神社は体が不自由な人がお詣りしやすい(はず)です。熱心に信仰している人に不思議なことが起るのをよく見てきています。車椅子が必要な方は特に、そうでない人もおすすめします。

 

お詣りしやすく崇敬の念に支えられているいい神社でした。

 

#境内端っこから全景をと写真撮って下を見るとまたこれ。不思議です。

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もう一回やりなおします?(加筆あり

今打ちのめされておらず、選択肢が複数ある人はどうぞ自分が一番楽しいと思える方を選んで力強く歩んでください。今日は不定期に繰り返す大きなお世話の何回目? の話です。

 

書くために過去をいろいろ思い出そうとするのですがろくに思い出せません。5年ほど前、今から思うと心の成長段階で蛹になっていた頃までは詳細に覚えていました。その後、羽化して成虫になっていつまで寿命があるのかしりませんが徐々に記憶(正確には嫌な出来事)が抜け落ちて行きました。それでも大きな出来事はなんとか思い出せるのですが、それとセットになるはずの感情は欠けてしまっています。単に記録を参照している状態です。役目を終えたものは消えるのみということなのでしょう。小学校の教科書は中学生になったらもう不要なのと似たようなものです。

 

人間の心は広いです。この次元だけみていてもそうだし、別次元まで考え出すと感覚的に無限です。ここには人の全てが詰まっています。ただし、見つけ方、取り出し方がわからねばそこは闇です。取り出せることを知らないと外部(のどこかに)にあると思うのが人間です。幸か不幸か、外部には見渡す限り人と物があります。ここで他者や物の中にあるのではと思い込む罠が十重二十重に張り巡らされていますが気がつきません。そうした仕組みです。仕組み。

 

この物質世界は物の象徴であるお金があると幸せになれるのではありません。お金があると自分でやらねばならないことを他者に丸投げしてサボれるだけです。ですが、人間楽な方を常に選ぼうとするのでお金で楽になったことを幸福と錯覚するのです(そう勘違いする人が極めて多い)。物理次元は全て行動を伴います。蛹になるまでは、行動=学びでもあります。それをわかってお金を見ることができれば罠にかかることはほんの少しだけ避けられます。大抵は片っ端から罠にかかるのですけど(それ自体がまた学びという構造ですから酷いものです)。

 

私の現在の収入は教えた人が驚くほど少ないです。かつては田舎基準で人並に近いくらいの時もありました。幸福にゲージがあったら過去はせいぜい0からちょい上くらいでしょう。今は金銭的自由度が落ちていますが幸福度は一番上からちょい下くらいかなとみています。完全はありませんからね。

 

得たいものは自分の心の中に全てあります。その見つけ方が何年かかけてゆっくりとわかっていったようです。そして羽化したわけです。今は幼虫や蛹と違ってどこまでも飛べるのです。

 

これらの作業は少なくとも直接この物質世界で他者から手伝ってもらったのではありません。間接的には影響を受けています。ですが他者は私の心には入れませんからそこに入って学ぶ作業は全て自力でした(ここで守護霊の支えを話すのは問題が複雑化しますのでやめておきます)。

自分を見つけていくのにどこか遠くをうろつく必要は皆無です。場所を変えながら学ぶ人は一定数いますが、生きる場所そのものに自分があるのではないことは共通です。狭い部屋も世界も学びに入れば違いはありません。

 

こう書くと早く己の内側の探索に出かけたい人がいるかもしれませんがこれは物質の罠など児戯に等しいくらい強烈な罠です。成長なくそこへ向かうと死ぬこともあります。なぜなら一歩足を踏み入れると入口は閉ざされ、前しか進めないからです。罠を見破れる段階に至っていないと罠で死ぬか、罠まで行けずに途中で力尽きて死ぬかです。心の問題ですからここで言っている死は心の崩壊です。率直に言えば病院行きです。

 

こうした状態になると生きづらいなどと言われますね。茨の道を選んで楽なわけがないのです。自分は選んでないとたぶん全員が言うと思います。でも選んでいるのです、例外なく。己の段階に応じて必要なタイミングで。

 

さて、ここでタイトルとなります。あなたはまた最初からこの人生をやり直したいですか?

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ループ物の作品(漫画や小説等)は主人公が学んだことを生かそうと奮闘しますがあなたは戦いますか? 戦わねば結末はいつも同じです。

 

やり直してまた同じことになるなら今やりましょう。立ち止まっても罠は消えないし、誰かが連れ出してくれることもほぼないです。虎穴に入らずんば虎子を得ずは正解です。上手くいっても上手くいかなくても数十年で終わりになります。

先ほどの質問の答えですが、私はやります。蛹までで死なないと分かっているからです。たぶん5年前までだと絶対嫌だと答えたと思います。

 

同行者のない旅になりますが、ガイドブックは山ほどあるので読んで、己にのみ許された未知の旅に出ましょう。

 

旅に出るのが怖いなら旅について学んで準備だけはして人生終えましょう。もう出ているなら宿で休息も旅の一部ですがいつまでも出発しないと路銀が尽きます。自分の歩く道だから誰も代われません。そして、歩くのはいつもあなたの足でです。ここは、水戸黄門OPのあゝ人生に涙ありな人を密かに応援しているブログです。

#宣言出たから町中の神社に行きにくいこと行きにくいこと。神社巡りしないとわけわからん上から目線の説教が延々続くぞ、ぐわー。はあ、困りました😅

 

追記

己の心をみつめて浮かび上がってくるものを眺めていましょう。いつも続けていると、ある程度決まったパターンがあることに気がつくかもしれません。そうなったら、なぜそう考えるのかを己に問いかけましょう。一つ答えがでたらそれに対してまた考えましょう。繰り返していくと次第に己の素の姿が見えてきます。

 

これとは別にある物事(目に留まったニュースでもなんでもいいです)について考えましょう。膨大な量の思考でいっぱいになるのはすぐだと思います。そうしたら先程の物事についての他者の意見、記事等を読んで比べてみましょう。そうすると、いかに己が勝手に物事に尾ひれをつけていたか、またその量の膨大さとその作業の速さが感じられるはずです。

これら余計な作業が自分の思考のどれだけを占めていたか知ると驚くと思います。これがなくなると頭が空っぽになる時が生まれます。まだこれだけでは勝手に動き続ける脳は制御の外にあります。

 

注意点は、己の心を見つめるのではなくこうしたことが書かれたものを読んで理解したつもりになることと、理解すれば何か変化があると期待してそれにのめり込み過ぎることです。

 

思考でも最初の覚醒とか悟りというものに到達できないわけではないと感じます。でもそれ以上は無理です。思考が執着を生んで邪魔をするからです。

 

ある程度でいいのです。そうすればそれを四六時中自分と思う意識より深い部分で探し続けます。答えが出た瞬間、それは噴火のように普段使っている意識に躍り出ます。突然の答えに意識は変化し答えに思考パターンが書き換えられていきます。一瞬ではなく少し時間がかかると思いますがこれは個人差が大きいでしょう。

 

一瞥体験がある時突然起こるのは天からの啓示などではなく、己の中の変化によるものだと思います。

 

事実に尾ひれを付ける作業が今まであった尾ひれを外す作業に変わるので頭の中にある物事は驚くほどはっきりとすっきりとしてきます。雑念が減ったことは常に瞑想をしているのに近いのだと思います。特にそうしないでもじわじわ変わり続けます。もう己が生み出した妄想に振り回されることはなくなったのを感じることでしょう。それがまた加速につながります。

 #考え方を変えようとしても上手くいかないのは根本にあるものの方が強力だからです。だから苦悩を消すまでのことは難しいのです。無駄とは言いません。それで楽になってなんとか社会生活を送れている人は多いですから。ただ危うい綱渡りを生涯続けることは避けられないでしょう。

 

人は理解しあえないのは幻想です。もちろん完全にできるのも幻想です。ただ、今よりも良くなります。お互いの思いがなんであるのか付箋を貼り付けずにそのものを今できるだけ見て、その違いを言葉ですり合わせることができるようになるからです。

 

また、お互いを自己と異なるもの(これを私は普段敵視と書いています)と最初からみなすことがないということは重要です。敵視の瞬間に付箋を事実にペタペタ貼り付けますから。そしてこれは多くの付箋紙貼り付け作業でもかなりやっかいなものです。

 

正直、鬱状態になる様々な病だと心の探求にとりかかることが極めて難しいです。何もできない段階にある人には人生リセットしないだけが求められます。本当はこれすら難しいです。

 

悩むのは苦しみから逃れる道ではないです。単にきっかけの一つです。少しだけ本で勉強したらただ己の心を見てほしいです。たくさんの知識はかえって足かせになります。気づきを阻害します。それよりは静かに見つめましょう。得た知識と実践のバランスがとても大事です。

 

いつあなたが変わるのかはわかりません。物質世界で報われない努力など掃いて捨てるほどありますが己の探求は報われるものです。

 

#この辺りまではまだ言葉にできますがこれ以上は個人個人の学びそのものになりますから書けることがなくなってきます。

井神社・兼康神社(岡山県総社市井尻野928)

兼康神社井神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁

高梁川合同堰(湛井堰) - 岡山県ホームページ(耕地課)

横田神社の次は高梁川を少し遡った所にあるこの井神社・兼康神社にお詣りしました。こちらの神社は一つの社殿の扁額に書かれているのは二つの神社名。まあ、この辺りはお詣りする人にとっては大きな問題ではないので神様は三柱だなと思ってお参りしました。

 

目次

 

【御祭神】

 

罔象女神 水分神 妹尾兼康公

 

【井神社への道】

総社市を流れる高梁川に沿って走る国道180号を北上します。川の途中までの橋のように見える湛井堰があります。これは神社前から見た写真です。

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これを過ぎてそのまま進むと200mほどで右に入る細い道があります。そこが井神社社頭です。注連柱前に石が敷かれた車一台分ほどの駐車スペースがあるのでここにとめます。

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神社横には広い未舗装の土地があってホットドッグ屋さんの車がとまっていますがここはお店のために借りている土地だそうです。ですからそこではなく神社社頭にとめるようにしてください。

#お詣り後に購入を決めている場合はお店の方にそう話せば気兼ねなく駐車できると思います。人の借りている土地に無断駐車はよくないですから。

 

【車椅子使用の方のための情報】

残念ながら一段上がった境内には石段参道しか手段がありません。お詣りは難しいと思います。

 

ここからやや上流対岸(国道180号で2kmくらい)にあるのが以前記事にした石畳神社です。

 

a-wi.hatenablog.com

 

【境内の様子】

井神社由緒看板

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鳥居をくぐり井神社石段参道から社殿を

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井神社拝殿

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井神社本殿

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境内社厳島神社

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拝殿前から見る境内と高梁川

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【お詣りをおえて】

川の土手から一段上がった土地が境内です。巨樹と言えるほどのものはありませんが雰囲気のよい社叢だと思います。

 

注連柱をくぐって石段を上がっていると次第に空気が澄んでくるのがわかります。山と川に挟まれた水神の社はよい感じの所が多いように思います。

 

社殿は特に大きくはなく派手さもありませんが美しさはあると思います。瑞垣で囲われた本殿を見ているととても落ち着きます😊

 

本殿からはふわふわした気がゆったり打ち寄せてくるように感じました。気持ちが優しくなるような放射でした。女神さまの神社はこんな感じが多いです(私がそう思い込んでいるだけかも)😅

 

先日まで降り続いた雨のためか本殿そばの山あたりから水が流れて社務所の方へ川ができていました。ここは水の女神様の社らしくて良かったです。晴れ続きだったら見れなかったかもしれません。ついてる? と思いました。

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普段からいるのかもしれませんが、ハグロトンボだらけでした。一度歓迎サインを体験したい人はこの神社はおすすめです。もっともここまでいると見るのが当たり前だから歓迎の意などないかもしれませんが😁

 

追記

また羽根です。行く神社行く神社羽根です。こんなに落ちてるもんですか?

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高梁川を眼下に臨むコンパクトで柔らかな気に満ちたいい神社でした。

横田神社(岡山県総社市久代3632)

横田神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁

横田神社 (総社市) - Wikipedia

山中の神社は大雨で道が通行止めだと困るので平地にある神社を探していてこちらの神社にお詣りすることにしました。御祭神はたぶん初めてとなる天穂日命。

 

 

目次

 

【御祭神】

穂日命 (菅原道真

由緒看板によると天穂日命が御祭神ですがネットでは道真公も御祭神とされています。

この辺りのことは上記サイトを読むとわかります。

【横田神社への道】

 岡山県道80号を東からだと総社大橋を渡って西へ4キロくらい? 走った所の北側にあります。80号から100mほど向こうに白い綺麗な鳥居が見えます。右折して向かい、一の鳥居横の道を進むと二の鳥居と境内が見えてきます。二の鳥居前で道が左右に分かれていますが、右の方がやや広いのでこちらへ。境内に沿って左折するとすぐに境内への入り口があります。北側にも入口はありますが東側の方が入って広いのでこちらがいいかもしれません。軽だと余裕ですが入り口の幅が狭いので大きな車だとちょっと注意が必要な感じでした。

 

西からだと真備の町の西外れで国道486号から北上する県道54号を5キロほど走って県道80号へ右折して2キロくらいです。消防を過ぎて数百m過ぎた所の北側です。

 

近所の方? にたずねたところ、皆境内に車をとめるよとのことでここは気にせず入っていいようです。境内端っこ辺りでもそれなりの台数が駐車できると思います。

 

【車椅子使用の方のための情報】

 平地の神社で石段参道はありません。車を境内にとめたらそのまま社殿そばまではいけると思います。ただし、回廊と拝殿には段差があります。一人だと乗り越えるのは無理ではないかと。社殿前でないと願いを聴いてもらえないことはないので、適当な場所でいいならお参りは大丈夫な神社です。社殿横と裏にある境内社そばまで行くこともできると思います。

 

【境内の様子】

横田神社由緒看板

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横田神社一の鳥居

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二の鳥居

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 随身門と回廊

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拝殿

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本殿

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右側回廊と社

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東側入口から

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神社には珍しい釣鐘

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【お詣りをおえて】

 県道80号は走りやすい道なので二の鳥居までは問題なく、境内を回る道も先は見えるからのんびりした気持ちのまま着くのは助かります。

 

回廊のある神社は独特の雰囲気があって私は好みです。広い境内で掃除は大変だろうと思いましたがゴミは散らかっておらず綺麗です。

 

二の鳥居をくぐると即変化はなかったですが、数m歩くとわずかに涼しく柔らかな気になっていきました。

 

いつものように本殿のそばに立ちました(周囲を歩けます)。ぼわっとした感じが強かったです。驚いたのは幣殿の方へ歩くとそれがすっと消えることです。また戻ると本殿周囲はたしかに気が放射していて、感覚としては暖かさを感じます。こんなにはっきり変化がわかるのは珍しいです。あくまでも個人がその時そう感じたということで別の日だったり、他の人は全く違う感じをうけるかもしれません。

 

一の鳥居は十数年前に新しくなっており、氏子崇敬者に今も厚く信仰されている神社なのがわかります。

 

大きな道からは少し離れていて静かに心ゆくまでお参りできるいい神社でした。

#拝殿の近くでハグロトンボに出会いました。まるでトンボのいる神社を選んでお詣りしているみたいでちょっとほわほわです😁 やっぱりお詣りはいいです。雨続き(土砂災害の不安)でかたくなっていた気持ちがほぐれました。

誰がために鈴は鳴る

西日本はやっと雨が終わったと思ったらまた週間天気予報が変わって雨の日というパターンが続いています。土砂災害のマップで赤になったり黄色になったり、やっと無色に戻って一喜一憂。次の一雨でまたカラフルカラフル。吉備国安芸国はコロナと雨でとてもお詣りに行ける状況ではありません。となると書くのはまたまたアレな話で😅 

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コメントをいただいてから自己のためのお願いと他者のためのお願いのことを考えていました。タイトルの鈴は鳴るはまたまたうそです。今は多くの神社で鈴緒が上に固定されていて振れません😅 ガランガランと派手に鳴らしたい! 本題に入ります。

 

私が個人的な事をお願いしなくなったのはたぶん守護霊(妹)の影響極大なのだと思います。宝くじ一等とか夢物語なこと言っても反応が……だから、だんだん棚からぼた餅的なことを思わなくなりました。守護霊が欲を無くすのに貢献してくれる場合もあるとは知らなかったです。

 

そうすると神棚や神社でお願いすることがないんです。だからといって社会が良くなりますようにではあまりにも漠然としていて、お願いされる方も困るようです。社会が良くでは何を望んでいるのかわかりますか? 自分でもさっぱりわかりません。

 

もうちょっと具体的にと思って、ブログで見た困っている人のことをお願いしてみるかとなるのは自然な流れかなと。私もそうですがネットだから吐露したことは、例えば隣近所の人の様子を見て考えるよりも状態がわかりやすいのです。もちろん、書いていることが全て正直に書かれてあるとは限りません。でもそれは願う時にそのことを話せばすむことです。

 

先天性の病等は誰が願っても叶いにくい最たるものかもしれません。ならば平癒の代わりに何を願えばよいのか。苦痛の軽減やそれとは別に今日何か心が軽くなるようなことがあるようにくらいしかないのです。

 

お詣りして願うことができたのはその人(私)の喜びです。もし目に見えない世界が本当にあるとすれば、これは自己のための行為ではなくなるはずのことです。発した思いがなんらかのエネルギーだとしたら、それはどこかへ向かうでしょう。ある人のために無数に祈ったら目に見えない形で届くと信じたいです。ブログ等を見た多くの人が本人の知らぬところで願う意味はなんでしょうか。それが真に分かるのは死後になるのでしょう。今詳細に語ることはできません。

 

この世で人の気持ちを受け取れない(これは本人が拒絶しているという場合も、受け取りたくてもそうした場にいないこと両方を含みます)人に死後届くプレゼントにもしもなるのならたくさん送ろう。物質世界の貧富の差は障害にならないからこの世で誰でもいくらでもできる。こうしたできることが与えられている(許されている)のは本当にありがたいことだと思います。

 #あの世でプレゼントで押しつぶされそうになっているのを見て(イメージして)笑おう。これは笑われた本人もきっと怒らない。

 

無私は実際にはこの世にはないのかもしれませんが、近づくことができるならそうする人が一人でも増えてほしい……たとえこの世がもう残りすくないのだとしても。おっ、これも次から願えますね。一つ増えました😁

境内社(祠)等への奉納

 

お供えを持ってお詣りのことは今まで何度か書いてきたように思うのですが、奉納については書いてなかったかもしれません。で、金銭面でわりと気軽に行える奉納について例のお狐様に伺った話になります。お狐様シリーズの5か6です。

 

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目次

 

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【奉納しやすい品を納めてみよう】

ここで奉納(施設そのものなどの大きな多額の品は奉献というべきか)というのは、稲荷祠の白狐像や小さな賽銭箱、神前幕や小さな鈴緒、神社名の書かれた看板、扁額等になります。おおざっぱですが金額を書いてみます。

 

1:白狐像 小さな物は千円くらいから大きな物では数万円まで。

2:前掛け 個人製作で一枚500円程度から自作しても安価?

3:賽銭箱 個人製作の小さな桧製などは数千円。神具店などでは1万円くらい?

4:神前幕 神棚用の流用なら千円代から1万円まで。

5:鈴緒  二寸程度の小さな本坪鈴のセットで数千円から1万円。

6:看板  自作すれば数千円。製作してもらうとその数倍?(不明)

7:扁額  祠につける手のひら大のもので数万円から(材質装飾で変化)

 

極めておおざっぱですし、例えば神前幕ですと色や紋にどんな布かでも違いますから、これは結構安い方へ寄っているように思います。

 

で、この中から納めてみたい社(祠)に無いものを選ぶことになります。

 

【奉納品の意味】

この奉納品にどんな意味があるかといえば、その神社(祠)がどんな神様を祀るものか誰にでも分かりやすくする効果があります。朱の鳥居があれば真っ先にお稲荷様だろうと誰でも思うはずです。ですが無いとわかりません。お稲荷様だとわかるのは稲荷と書かれた扁額や看板、そしてなんといっても白狐像でしょう。

 

お稲荷様だとわかれば商売繁盛をお願いできます。が、わからないと他のことをお願いしたり、あるいはよくわからないから頭だけ下げてきたとか、とりあえず二拝二拍手一礼したりで済ますことになりがちだろうと思います。

 

稲荷としてやってきたのにその仕事ができないのはとても残念に思われるそうです。それを仕事がどんどん増えるようにしてくれるのがこうした奉納品らしいです。

 

【結論】

神社としての品がそろった状態にしてくれること、どんな神社か誰にでもわかるようにしてくれることはそこの存在にとって大きな意味があることだそうです。そうした行いをした者には感謝するとのことでした。

 

で、よく書いたことですが下心丸出しでお礼目当てでするのはちょっとがっかりになるでしょうね。お狐様、裸でかわいそうだから前掛けをとの気持ちで奉納していったり、何か願いが叶えられた気がするのでお礼の品ですというようなその社のためということを考えて行うと大いに喜ばれると。やはり大事なのは気持ち、心だそうです。これは人間相手とあまり変わらないからわかりやすいかと思います。人間なのでどうしても打算は仕方ない面があると、そこはおおらかに思ってもらえるかと。

 

お狐様の前掛けくらいなら勝手に納めても信仰だからということで咎められることはないと思いますが扁額や由緒看板となると神職、総代、講の代表者に納めたいことを事前に相談してください。奉納は長い歴史があるものですから用意したものを断られることはあまりないかもしれませんが、諸事情あって難しいことがあったらいけませんから。

 

わかりやすく気持ちよくお参りできる神社は様々な良い影響を与えるはずです。お小遣いの使い道としてちょっとだけ考えてみてもらえたら私も嬉しいし、目に見えない存在も嬉しいという話でした。

通知でわかれば……(言い訳太郎

深夜ですが雨が止むという朝まで不安で眠れそうにないので起きて深夜番組(ニュース)を観ています。朝になって夜間に被害が……とならないのを願っています。が、起きてしまうんでしょうね。とにかく最小限で……。

 

私はブックマークコメントで記事の中身がなんとなく想像できることを書くようにしています(つもりです)。同様に私が書いた記事にブックマークでコメントされていることがあります。その場合は内容に関するお返事は(大喜びで)します。先日ちょっと追記でも書きましたが、気がつかずに数週間放置になっていたことが連続してわかりました。

 

〇〇さんがブックマークしましたと通知は来ますが仕事の合間にチェックした時はそれが精一杯で、また確認した時には流れてしまっています。そのまま忘れてしまうみたいです。歳はとりたくないものです。

 

そういう理由なので、私には無反応だったという場合は単に気がついていないだけです。気がついたら記事のコメント機能を利用して何か書いています。とんでもない亀レス(今でもこの言い方するのでしょうか?)で申し訳ないです。

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昔ブログ黎明期に短期間やっていたブログでコメントもらった覚えがありません。だからいつも感謝です。