今日はお寺に行ってお経を一緒にあげ、お坊さんの話を聴いてきました。
お坊さんだけがお経をあげている間、前方の仏像を見てお寺に来ないお詫び(正確には言い訳)をしていました。
それも済ませて、仏様に前に来ていただけないでしょうかとお願いをして目前の空間に意識を集中しました。すると確かに空間に乱れのようなものが見える(感じる)のです。神社でいつもするように全身で感じていると、次第に違いが分かってきました。
神社だと下から上に何かが舞うような軽さが感じるものの主体なのですが、お寺だとそういった軽さはなかったです。もう少し重い感じ。でも嫌な感じは全くありません。身体の周りが優しく包み込まれるように思いました。
お坊さんの話は、"見えない存在は見えないが別の形で気づかせてくださる"といったことで、心の向け方についてのことだったと受け止めました。私が日頃、高次元存在が見えないことについて考えていることへの答えになるものでした。おそらく……執着していませんか? とこちらに話されたのだと。
これが仏様なのかなあと思いながら改めて感謝し、久しぶりのお寺のお参りを済ませて帰宅しました。
お寺が好きと言う人の感覚(気持ち)が少しわかったような気がします。