ほわほわ神社生活

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神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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続・人の向かう道

前回の文章は夜書いているせいかあれこれごちゃまぜになっているのでより簡単に書き直しますね。これも夜ですが……。

a-wi.hatenablog.com

霊的な成長具合に大きな開きがあるのは事実です。それを認めないと物事がなぜそうなるのか、なぜ意見の相違が生まれるのかの理由がわからないままになります。社会問題の解決に向けてはそれをふまえてやらねばダメだろうということでした。それとは別に人間の物事のとらえ方の癖を書いて、個人が苦しみから解放されるには心の働きを知識ではなく感覚でとらえて逆方向への手順を経る必要があると書いていました。そしてそれは一部の人にとどまるので大多数の人は悩み苦しむ日々が続くが投げ出すのは解決にならないと。

短く書くとこんな感じでしょうか。

 

成長度が同じ段階にある存在は物事の根本的なとらえかたが似ていますから、それが人口の多数派であればそれに合った社会が形成されます。今はまだまだ成長途中の層が多数なために衝突があちこちで発生しているわけです。

己が事実に貼った付箋紙に苦しめられている人は周囲の人も同じく貼っていることに気がつきません。各自がその上、相手にまで貼り付けるから問題は起こります。それが何かは分からないが違和感を覚える人はそのまま他者(社会)に合わせるよう強く促されますから精神的な不調になりがちです。

 

事実をそのままの姿で見てはいなかったことに気がつく体験がなくても、知識としてそれを知るだけでも付箋紙貼り付けによる肥大化はある程度防げます。なぜこんな苦しみがあるのだろうと日々考えている人はかなり意識の変革に近づいているのは事実でしょう(これだけをもって判断するのは当然問題ですが)。事実であってもそれを受け入れられない段階では、自分が受け入れやすいもので日々乗り切ることは間違いではないと思います。そうしながらも一歩一歩進んでいるはずですから。

 己が変わることは他者もほんのわずかかも知れませんが変えうる力となります。

 

人は皆霊的成長段階が異なるということを認めることは差別を助長するのではなく、受容へ向かう道を歩むということ。ある程度の人数(現状は全く足りていないそう)がそうなった時ようやく社会の変化が見えてくるでしょう。これが人が向かう道です。

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で、最後に、神社で良いエネルギーを分けていただいて明日も頑張りましょう! と書いて無理やりに神社生活にすることは忘れない😁

 

神社ブログ? だけどオススメしたい”反応しない練習” - ほわほわ神社生活

この記事が内容的に続きになります。
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