ほわほわ神社生活

ほわほわ神社生活

神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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一人一人の守りたい意志を繋げて

今夜報道ステーションで先日訪れた美星町の星空を守る話を放送していました。

午後10時台のニュース番組なので見た方も多いのではないでしょうか。

星空は素晴らしいです。目の前のことに向きがちな意識の凝りをほぐしてくれます。

この放送で、大事なものを次の世代へ渡すという思いで今を生きるということを考えさせられました。

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神社はどうなるのでしょう……。8万社以上といわれていますが神職常駐のものは2万程度と。残りは氏子や崇敬者が普段清浄な地であるように維持されているのでしょうけれど、田舎の小さな神社を訪れるといろいろと限界が近いことを感じて少し悲しくなります。

 

おそらく久しぶりにやってきただろう参拝者が暗い顔をしていてはいけないなと思って、笑顔でこんにちはと言いながら鳥居をくぐっています。

 

神社に行ってお願い(お礼)だけするのでは利用するだけだといつも思います。

では何かしたいと思ってもお賽銭を少し奮発するくらいしか田舎の神社ではできないのです。

 

神社に掃除道具が置かれていると、拝殿前でお願いしてこそこそ清掃(葉っぱ等を隅に掃き寄せておくことが多いです)して帰ることがあります。

掃除道具(箒)を置いて、清掃奉仕希望の方はこんな感じにしていただけると助かりますと一言書かれてあれば、人目を気にせずもっとできるのです。

 

これはほぼ自己満足です。ですが誰かがその場所のために何かをしているということは当たり前ではないし、誰も無関係ではないのです。意識は己もその切り離せない一部である世界に広がっていくものなので。守りたいという気持ちやどんな行いも必ず人に影響を与えるものなのです。それを意識で捉えられるかどうかは別ですが。「神社は大事な場所なんだ。子や孫に残していかねば」と思う人が一人でも増えてくれたら、自己満足は別のことに変わります。

 

お金を集めれば社殿は崩れないですむでしょう。でもお金より心を集めねばお金もそのうちに尽きるように思えます。クラウドファンディングを否定しているのではないですよ。とても素晴らしい事だと思っています。大切に思っている人の姿と心(潜在的な)を見られましたから。

 

自分の過去(過ごした土地と人のことです)を各自がほんの少し自分の事として思えば、変わるものがあると信じたいのです。神仏がいたらぬ我々をすぐに見捨てることがないのと同じようにできないものかと。

 

神社は気持ちがほわほわになる場所だけどそうなれる理由も皆で考え共有していけたらいいですね😉

 

#どうしてもダメな場合、誰かが犠牲になっても今の状態を守らねばならないとまでは思っていません。今までも増えたり合祀で減ったりを繰り返してますから。社殿が太古みたいに岩ひとつに戻っても心はその気になれば不変です。