ほわほわになるおっさんのことを書くことで、つられてほわほわになる人がいてほしいなと思っているのです。
ですのでほわほわになりそうにない話はできるだけ控えているのです。
今日は敢えて反対の話を本当にちょっとだけ。
1.願掛け
願掛けは普通必死にお願いしますよね。お願いだけではと自分も頑張ると誓う人が多いのではないかと。
が、世の中には恐ろしいことに願いを叶えぬなら(とても書けない内容のため省略します)と神々を脅す者がいるのです。
ほとんどの人には信じられない話かもしれませんが。
2.聖俗の区別
以前書いたように境内にゴミを放置する者がいます。これは当人に話を訊けないので何故そうするのか理由がわかりません。
普通の感覚なら公共の場所(もちろん所有者、団体はいますが誰にでも開かれているという意味で使っています)に平気で捨てないはずです。おそらく、特別という感覚自体がないのでしょう。
神社に行くだけで楽しくなったり、落ち着いた感じになったりする人がいる一方で、目に見えないと傲慢に生きる人、そして残り大多数のどちらでもない人達がいる。
神というか自分を取り巻く世界への畏敬の念が無い。
ここまで分離した時代はなかったそうです(監修者談)。
その意味でとても貴重な時代を生きていると言えそうです。
私はほわほわの喜びを知っているので選ぶ道は当然最初です。
ここで最初に戻りますが、どちらでもない人はほわほわに、傲慢な人はどちらでもない方へ寄って行ったらまた別の貴重な時代になるのかなと楽しみな気持ちもあります。