ほわほわ神社生活

ほわほわ神社生活

神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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目に見えない励ましを受けている人

私は不思議な体験によって、いわゆる記紀神話の神々を信じているのですが、高次元存在を信じるには様々な過程を経ないとダメなんだろうと感じています。

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今高次元を拒絶している人はそうなった辛い出来事があったはず。私もいろいろありました。自分も周囲も良くするために人一倍頑張った事で神々に見捨てられたと思いましたし、多くの人が得られるものの多くを自分が得られない日々の中で守護霊を呪ったこともあります(具体的に書くと大勢の人と守護霊を不幸にするので書きません)。

 

6年くらい前の私は今の私をそうなるはずがないと否定するでしょう。しかし、今の私はそうなるべくしてこうなった者です。通り過ぎればそれまでの意味が全て分かります。でも偉そうなことは本当は言えないのです。私は証拠を目の前に突き付けられて初めて認めることができた程度の者でした。

 

高次元存在が何もしていないわけではないのは体験上感じていますが、人間側からのアプローチは必要なようです。さりげない高次元のアプローチで人間が気付くのを期待しているようです。そうでないと人間は依存心だけを際限なく肥大化させますから。高次元存在はなんとかえもんではありません。

 

だから重い病で苦痛に必死に耐えている人に本当にいるんだよとは言えません。そんな人にこそ信じて欲しいのですが、苦痛に耐えるのに必死な時には何も考えられないのが当たり前だと思います。私なんかは思い出すと冷や汗が流れるようなことを思っていました。高次元存在に苦しさのあまり悪態をついても見放されませんよ。もう遅いなんてことはないです。

 

「神がいるわけない!」 ではなく、いるかどうか分からないと思ってもらえたらといつも思います。そして体が動かせるなら、お参りではなくただの散歩コースとしてしばらく近所の神社をウロウロして帰宅してほしいなと。他の次元からの影響は変わるために無視できません。その時感じられなくても。砂金は川底の泥に埋もれて見えないけれど泥が払われれば眩く輝くのにも似ているのかな。

 

寝たきりの人にどうすればその人のためになるかを私は自信をもって書くことができません。その体験がなかったので……。

 

明確な拒絶の意志を示さなければなんとかなると思うのですが……。

 

人がその人生で受け止めねばならないこともその結果の成長も誰にも分かりません。でも拒絶は停滞にほかなりません。これは断言します。苦しい人にただ苦痛を味わっただけで人生終わってほしくないのです。私には事情が分からないし助けられる力も無いから祈ります。祈っても(目に見えるようなはっきりした出来事はたぶん起こらないから)無駄! とは考えません。否定の心は否定の肯定の結果になるだけですから。

 

お参りして「こんにちは」だけではアレなので「お前なんかに何が分かる! 同情されたくない!」と思われても今苦しんでいる人が変われるようにお祈りはやめません。私の体に埋め込まれた時限爆弾が10年後か20年後にドカンといくまでやめないので諦めてください。

 

世の中には苦しむ人を鞭打って楽しむ者が大勢います。高次元存在から進んで遠ざかっているのはこういった者達です。苦しみのせいで神を否定している人ではありません。

 

祈らないとね、こうした罰当たり者の共犯者になってしまうんです。だから祈らせてください。

 

宗教っぽい話だ😅 もしかしてこの記事が鞭打ち? だとしたらごめんなさい。

 

#魔法神社行またまた断念。岡山県総社市の総社宮に今日行ったのです。ほわほわしてお祈りをすっかり忘れてしまいました😧 言行不一致の極み。

目に見えないというのは高次元存在のことです。面識のないこのおっさんではありませんので。

明日はほわほわするんだ。