ほわほわ神社生活

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神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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その人の今の姿が真の姿とは限らない

今日はいわゆるスピ記事です。

 

意識の成長度は同じ状態を示していてもそれがその存在の最高の状態かといえばそれは違います。

 

地道に成長を続けた結果、その段階まで来た人もいれば、本来はもっと先の状態であるはずがこの人生では途中でひっかかってしまった結果、その段階にあるという人もいるのです。

 

ですから計るためのものさしを元にして単純にその人を判断することには慎重にならねばなりません。誤った判断になりがちです。複合的、総合的に見ないといけません。そうでなければ新たな差別を生むおそれがあります。

 

本来はもっと成長した状態を示すべき人がそうでない場合が非常に多いです。理由はそうなるべき時期がまだ来ていないことと、より多くは執着です。

 

執着を捨てよとよく言われます。これは文字通りに何かを捨てろというのではないのです。他の見方、捉え方をできるだけ多く学べということと今回は書いてみます。

 

ひとつしか知らねばそれしかないがふたつ知ればどちらにも割かれますからね。

 

本当は上記は正解ではないし、大きく成長することもないと感じています。ですがある程度までは知識と思考(の柔軟さ)は必要です。頭でっかちはまた問題があります。頭の中に組み上げたものが新たな執着となりますから。この辺りが面倒です。

 

あとは来るべき時の到来を待つだけです。これには守護霊が深く関わっています。気づきを助けるように働いてくれているのですが人間に分かるはずもないですよね。ここで大事なのは以前から書いているように、心をニュートラルに保つことです。いつかは瞬間的な気づきに気づくことができるはずです。

 

困難な出来事はきっかけになります。なら乗り越えたら消えるのかといえばそうならないことも多いです。特に身体的なことはその人の人生の間共にあることですから長い付き合いはやむを得ないと思います。病は多くの気づきを与えてくれると同時に縛り付けるものでもあります。

 

困難、苦難は見た目上、完全に消えてなくなることはこの世ではほぼないと思います。それを越えるのは誰でも出来ることではありませんが全員が一歩でも先へ進めたらと願っています。

#自分も頑張っている(つもり)ので皆さんもということですが上から目線っぽいですね、↑のは😅