ほわほわ神社生活

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神社が暮らしの中にあるおっさんの日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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誰がために鈴は鳴る

西日本はやっと雨が終わったと思ったらまた週間天気予報が変わって雨の日というパターンが続いています。土砂災害のマップで赤になったり黄色になったり、やっと無色に戻って一喜一憂。次の一雨でまたカラフルカラフル。吉備国安芸国はコロナと雨でとてもお詣りに行ける状況ではありません。となると書くのはまたまたアレな話で😅 

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コメントをいただいてから自己のためのお願いと他者のためのお願いのことを考えていました。タイトルの鈴は鳴るはまたまたうそです。今は多くの神社で鈴緒が上に固定されていて振れません😅 ガランガランと派手に鳴らしたい! 本題に入ります。

 

私が個人的な事をお願いしなくなったのはたぶん守護霊(妹)の影響極大なのだと思います。宝くじ一等とか夢物語なこと言っても反応が……だから、だんだん棚からぼた餅的なことを思わなくなりました。守護霊が欲を無くすのに貢献してくれる場合もあるとは知らなかったです。

 

そうすると神棚や神社でお願いすることがないんです。だからといって社会が良くなりますようにではあまりにも漠然としていて、お願いされる方も困るようです。社会が良くでは何を望んでいるのかわかりますか? 自分でもさっぱりわかりません。

 

もうちょっと具体的にと思って、ブログで見た困っている人のことをお願いしてみるかとなるのは自然な流れかなと。私もそうですがネットだから吐露したことは、例えば隣近所の人の様子を見て考えるよりも状態がわかりやすいのです。もちろん、書いていることが全て正直に書かれてあるとは限りません。でもそれは願う時にそのことを話せばすむことです。

 

先天性の病等は誰が願っても叶いにくい最たるものかもしれません。ならば平癒の代わりに何を願えばよいのか。苦痛の軽減やそれとは別に今日何か心が軽くなるようなことがあるようにくらいしかないのです。

 

お詣りして願うことができたのはその人(私)の喜びです。もし目に見えない世界が本当にあるとすれば、これは自己のための行為ではなくなるはずのことです。発した思いがなんらかのエネルギーだとしたら、それはどこかへ向かうでしょう。ある人のために無数に祈ったら目に見えない形で届くと信じたいです。ブログ等を見た多くの人が本人の知らぬところで願う意味はなんでしょうか。それが真に分かるのは死後になるのでしょう。今詳細に語ることはできません。

 

この世で人の気持ちを受け取れない(これは本人が拒絶しているという場合も、受け取りたくてもそうした場にいないこと両方を含みます)人に死後届くプレゼントにもしもなるのならたくさん送ろう。物質世界の貧富の差は障害にならないからこの世で誰でもいくらでもできる。こうしたできることが与えられている(許されている)のは本当にありがたいことだと思います。

 #あの世でプレゼントで押しつぶされそうになっているのを見て(イメージして)笑おう。これは笑われた本人もきっと怒らない。

 

無私は実際にはこの世にはないのかもしれませんが、近づくことができるならそうする人が一人でも増えてほしい……たとえこの世がもう残りすくないのだとしても。おっ、これも次から願えますね。一つ増えました😁