ほわほわ神社生活

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神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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雰囲気? を感じる訓練についてその弐

今日は境内で、あるいは神棚のある部屋で放射する気を感じる訓練について霊能者ではないものができることを書いてみます。以前神棚の気を感じてみようと書いた記事の拡張版になります。過去記事に目を通してもらえると理解しやすい(はず)です。

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a-wi.hatenablog.com

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目次

 

【子供時代に行っていた気を感じる訓練のこと】

気というか気配について最初に意識していたのは子供の頃の遊びの中ででした。虫捕りで網が届く距離まで近づこうとしても逃げられてしまう。捕ろうと思ってだと失敗するから捕ろうと思わないようにしようと考えました。そして自分はただそこに居るだけ、あるいは自分と周囲はひとつで区別できないと思い殺気を無くすと(自分ではそうできていると思っていました)不思議に余裕のある距離まで接近できるのでした。これを会得してからはセミなど簡単に手掴みできるようになりました。

 

かくれんぼの時、隠れているそばに鬼が来た時にドキドキしているとなぜか見つかります。ここでも、静かな気持ちで活動が止まったように思えた時は意外と鬼は立ち去っていくのでした。

 

この頃は理解できませんでした。中学生になった頃、某オカルト雑誌で仙道や気功の記事を読んで励んでいました。ここで意識の変化と気が連動することを知り、また確かめることができたことで、幼い日々の体験に理由があったことがわかりました。

 

仙道(気功)は師にめぐりあえなかったために5年ほどでやめてしまいました。どういうことかわからない現象が起こって危険と判断したためです。中途半端で終わり、ものにすることができなかったと長年思っていましたけれど、数十年後に別の形で大いに役に立ったのですから人生はわからないものだとつくづく思います。

 

気の感覚(熱感、圧力、電気のような感じ等)自体は最初からわかったので、いろいろな物から出る気の違いを調べたり、自分から放射したり、吸収したりといったことはできるようになるまでそう時間はかからなかったと記憶しています。

 

気の感覚化などについてはネットで調べてもらえれば非常に詳しく細かい所まで知ることができますし、案外身近な所に気功の先生がいることもわかりますから、最初の内だけでも指導を受けてみるのもいいかと思います。私と違って専門家ですからきっと短時間で先へ進めることでしょう。

 

【神棚での訓練】

このブログの最初の頃に書いた記事のように、神棚に正対して静かに呼吸を整えてその時の感覚を覚えます。和室で襖であれば開けておいて、一続きになった部屋の遠くで同じことをしてみましょう。洋室なら、ドアを開放して出入りして確かめましょう。集中してダメなら適当に力を抜いてやってみましょう。気の感覚化を日々行いながらこれらのことをすればある時違いがあることに気がつくかもしれません。よくわからない……だけど何かが違うとなればあとは毎日続けていくだけです。気の感覚は磨かれるものです(個人差があるので、ある程度までは)。

 

次第に感覚がはっきりしてくると思います。この時に感じようとして神棚(中にあるお神札)を意識すると感じる邪魔になりがちです。過去記事では探ると書いていますがこれはあまり正しくない書き方だったかもと今は思います。対象への放射になる恐れがあるからです。言葉通りにあちらからの気を気持ちを緩めて受け入れてください。自分のすぐ周囲から体へとやって来る流れを見つめるような感じの方がよい表現かなと思います。

 

人によって強く感じる場所が違うと思いますが、一番感じやすいのは手の平なのは間違いないでしょう。手で感じられるならそれを体の前面で行うのは少し難易度が上がりますができないことはないはずです。

 

【神社での訓練】

神社によりますが神棚とは比較にならない強烈な気が満ちています。鳥居の霊的な意味(結界で内外を作る)もあってここでの変化が大きくわかりやすいです。私もいつも鳥居を出たり入ったりして確認しているのは神社巡り記事で書いている通りです。

 

深呼吸してみるとよいかもしれません。気に満ちた場所だと呼吸が楽になるような爽やかな感じになることがあります。

 

本殿そばでの感じは鳥居のようにここから変わるということが少ないため、最初はよくわからなかったのが本当のところです。お詣りの度にそうしていると弱い圧力のように感じたり、周期的に体がしびれるような感じがしたりするのに気がつくようになりました。

 

社殿がたくさん並んでいると建物ごとに違うので自分が感じているものがそれぞれ特有の現象なのだと思えるようになると思います。

 

【おわりに】

気の感覚そのものは少し練習すれば多くの人がつかめるはずのものと思います。不思議だなくらいに思ってやっていればよいでしょう。受け入れと書きましたが、心は気に反映されます。疑いは即障壁になります。こうなっては感じられるものも感じられないでしょう。

 

神社でお参りする時にほわほわとか書いている状態はある意味無防備です。心の障壁が無くなり、やすやすと他のエネルギーの侵入を許します。でも神社なら無防備でも危険はあまり心配しなくてもいいです。無防備な分、すっと神社の気(社殿や土地、社叢の力がひとつになった神域の気と高次元存在の気を今回区別していません)で己という器を満たすことが出来るからです。いわゆる高波動になった状態が次第に元に戻るまでは様々な良い効果があります。

#良い気分になって帰宅できたということも効果なわけです。最低限の例です。

 

心霊スポットなどに行って嫌な感じを受けるより、神社で爽やかな感じ穏やかな感じを受けましょう。良い感じの判断ができるようになれば、その反対はあえて確かめるまでもなくその時にすぐわかるはずですから。

 

狛犬や狛狐にご挨拶して彼らが何を伝えようとしているのかを理解しようと努めることは、気の良し悪しを感じることだけでなく、直観での会話に繋がるのでしょうがこれは私も修行中でよくわかっていません。だからこれを絶対やるべきですとは言えません。

 

気は自身への現象と効果だけに絞ればある程度まで科学ですが、オカルトとはやはり紙一重です。そこは承知の上でお願いします。まあ……目に見えない神々やご眷属様に会いに行っている時点で信じない人から見れば変なので、一々書くことも無かったかもしれないですね。

 

オカルト的な気の利用にはあまり深入りしてほしくありません。経験豊富な人に師事するなら別ですが。記事のタイトルにあるように雰囲気を感じるプラスアルファ程度までならメリットの方が大きいのではと考えて書きました。

 

皆さんがそれぞれの良い神社生活をこれからもおくれますように。