ほわほわ神社生活

ほわほわ神社生活

神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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清掃という真心に対する神々の応え

祭りの準備で大勢の人がいる境内というのは氏子減少、そしてコロナ禍の今は珍しい光景。境内の隅々まで人の手が入り、さっぱりした神社の清浄さ、明るさは実に素晴らしいものです。

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皆が帰って静寂の中、独り拝殿に上がり、幣殿前で二拝二拍手一拝してそっと本殿のご神鏡を見ていると、本殿から涼しい風がふきおろしてきました。全身の皮膚がジーンと震えます。ものすごい力の放射がありました。

 

先日も書きましたが見える聴こえるは持って生まれたものが大きく、また磨かれねば使えぬものでしょう。

 

しかし、こうしたなんとなく感じる力はそこまでの修行は不要だろうと思います。修行よりも神前での心のありかた次第。高次元を思い自らが労働で汚れる時、心は澄んでいくのです。

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汗を流し、埃や水で自らを汚すのをいとわず務めれば必ずそれに対する反応があるのは確信しています。だから己自身で確かめてくださいとすすめています。

 

もしあなたの町で今年秋祭りが行われるなら積極的に準備に参加してみてください。そして同じく労を苦としない人との交わりを通じて、境内に人の発する良き思いを満たしてください。それこそ平成時代に一気に失われ、令和に最も不足していることなのです。ひとりひとりの人間の力は小さいけれど、集まればそれは大きな力となるのです。

 

昭和まであった良いものは思い出してほしい。これが神々ご眷属が望まれることです。

 

想いはどの次元でも有効。ひとたびそれを感じた者は奪い合いの世界から与えあいの世界で生きることになります。

 

物質世界でそれを感じるのは難しい。ですが、神社仏閣という交流施設のおかげで学びの機会は保障されています。逆に言えば、全ての人が学び終えた時、神社の役割と今の世界は静かに終わりを迎えるのでしょう。