今年はこの記事更新後に正月モードに入ります。まだ正月準備はこれからです😁
#コメントその他のレスポンスは通常よりぐっと遅れます。
今回の記事はわかりやすくするためにわざと大げさに書いています。実際にはさすがにここまで極端ではないですが、多くの人とかなりかけ離れているのは間違いないと思います。
私は家族への愛情? というものがたぶん希薄です。別に家族に恨みがあってとかではなく、むしろ反対でしょうが、かといって特別なものは感じません。なので、家族仲良くとか死んであの世に行った家族のことを日頃思う人の感覚が我が事としてはわかりません。どんな感じなのだろうかはわかりますが自分とは違う感覚として認識しますので。
この次元で活動するための器を基準にする感覚は数年前に消えてしまいました。器の繋がりはどうでもいいことです。親戚が死のうが特別な悲しみはありません。この世から去ったから会いにくいねくらいでしょうか。苦しい闘病生活を送っていたなら、楽になって良かったねと思います(口にはしません)。
この世の器は限りがあるのでご存じの通り人口は現状80億程度です。あちらはもっととんでもなく多数の人間がいます。入れ代わり立ち代わりする中でその時の器だけでの繋がりなど、その時のひとつの出来事です。
私には子供はいませんがいても他人の子供と特に変わることもないでしょう。これだけは予想です。自分に子供が出来たらかわるよと若い頃から子供が生まれた友人に聞かされましたが、自分が別物になった今もそこは変わらなかったからこれからもそうでしょう。
#現実に子供を育てる機会はこの人生ではありません(予定がないそうです)。
子供を自己の所有物と見なさないので自分の子も他人の子も区別するところがないです。あえて違いを考えると、頭をポンポンして警察とお知り合いになるかならないかだけです。
自分はひとりです。他の人間は全て他者です。表面上区別があるとしたらそこだけ。でも、他の人達は自分の家族と他人を明確に区別している。何が基準なのかな。
何も特別なものはなく、特別なものにするからそうなる。他の人達にはそれが器で、私は器の繋がりではなく、この世界の中での偶然に見える繋がりに意味を見出すことが面白いからそうするだけ。これであっているかな。器でなく今ここにこうしている”縁”を愛するといえばいいのかもしれません。
守護霊達は過去に血縁と地縁(に相当するもの)があると書きました。魂はこの世的な生殖方法で増えるのではないために元々そうした感情はこちらの人間のようなものとしてはないみたいです。肉親とかではなく共にある喜び、同朋への愛情といった世界に生きています。
#あの世にいる祖父母兄弟といった段階の霊より上の段階についてになります。祖父母の霊というものにはまだそうしたこの世的な感覚はあります。
無数の魂の中でほんの一握りがこの世にあるのに、その少数がいちいちいがみ合うばかりで器を中心に心が支配されるのは、家族思いの方はごめんなさい、もう少しなんとかならないのかと思います。
#愛憎共に特殊な役割を与えていることです。
家族を否定してはいません。最小単位でそこに集中して学ぶのが効率がよいのでしょう、きっと。今までは。
#常に夫婦や家族という形をとることで学びが継続するということです。
ですが自分の所有物という思いが自覚の有無を問わず含まれている限り、この世は限界に達して悪化するでしょう。
家族ではない神仏との交流はこうしたことを理解するための学びで、神社仏閣は学校なのですがそう理解できている人は極一部です。神と人は本当は絶対的な区別というものはありません。魂の連なりのどこにあるかです。
#神仏からのヒントを元に自ら学ぶから成長できるのです。
これのどこが神社ブログ? と思われますね😅
新しい年は何か変化がみられるのを期待して2021年を見送ろうと思います。皆さん、今年もほわ神を読んでくださってありがとうございました。