ほわほわ神社生活

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神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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寂れて荒れて無くなって

今回は北のベーアさんid:keyakinamiki67ブコメに書かれていた質問についての記事になります。

 

>人気の少ない荒れた神社で拝むのは良くないと。実際はどうなのですか?

 

前にもちょっと書いたことがありましたが今回は荒れての前後も含めて書いてみますね。あくまでも一般論です。

 

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目次

 

【それぞれの神社の状態について】

寂れたは活気がない神社で、荒れたはきちんと祀るができなくなっている神社、無くなっては高次元存在が帰ってもぬけのからな元神社、こんな感じに定義しておきます。

 

【寂れた神社】

田舎は過疎化が進んでいます。若い世代は都会へと移り住み、残るは高齢世帯ばかりなのは珍しくないのは皆さんご存じかと。また、若い世代が引っ越してきても町内会には入らず、神社の氏子にもならずというのが現状です。

 

こうなるとかつては賑やかだった祭り等の神社関係の行事は縮小の一途です。境内で人を見ることもめったにないようになっていきます。

 

神職が常駐していない小さな兼務社では氏子が日々神社のお世話をしていますが、健康上の問題等で最低限のお世話になっているところが多くなっているようです。それでも、榊がきちんと供えられていたり、境内は箒で掃かれていたりと、活気は無いものの神社としては機能している状態です。ご眷属も神社を守られていますから境内で妙な存在に苦しめられるようなことは考えにくいです。

 

田舎の山裾や住宅地のはずれにポツンとある神社はそんな感じでしょう。

 

【荒れた神社】

上のような神社で氏子がほぼいなくなり、その氏子も家を離れて(入院等)お世話できていない状態が続いている場合はこれに当たるでしょう。小さな集落の守り神として山中に勧請された神社だと参道も草に半ば埋もれ、境内には落ち葉や枯れ枝が一面に積もっているようだと注意が必要になるでしょう。

 

神様はわかりませんがご眷属様はこうなってもおられるそうです。

 

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問題は二点ほどあります。

 

1.ご眷属様に問題が起っている場合。

勧請されたのでやむなく来たが氏子が熱心に崇敬するので頑張っておられたご眷属様がすることがなくなり、こんなことなら元の神社へ帰らせてくれと不機嫌になられているとまずいでしょう。氏子の責任ではありますが……廃墟探検気分でやってきたり、神社の様子を見てボロい神社だなとか神社をけなすようなことばかり考えていると、なら来るなと怒られるかもしれません。人間に問題があるのに、あそこの神社は怖いとか言われたら神社におられる存在の立場は……。

 

2.境内の環境に問題がある場合。

落ち葉がたまって一部腐葉土になって異臭がしているとか、いつのかわからないお供え物を動物が荒したままになっていたり、酷い場合は不心得者が侵入して荒していることもあるかもしれません。落ち葉の掃除に励んだらすっかり変わってしまった境内社があります。

 

a-wi.hatenablog.com

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清浄で神聖な場であるからこそ妙な存在を遠ざけることができるのです。妙な存在にとって楽に過ごせる地になってしまったら、ご眷属様が境内を守護しようとしても守りきれない事態も皆無とはいえないでしょう。神域がこうなら、周辺で妙なものに目をつけられることは充分にありえます。

 

【廃神社】

諸事情(荒れるに任せるような事情があった等)でお祀りすることが難しくなったために神様にお帰りいただいた神社です。あるいは、近くの神社に合祀されてそこから移動された跡地です。立ち入り禁止の処置がされておらず、社殿等施設もそのままだと他所からの参詣者には普通の神社にしか見えないはずです。しかし、もう神様もご眷属様もおられません。

 

こうなるとよほど群を抜いて清浄な気を発する特別な土地でもない限り、通常の土地になっていきますから、何がそこにいるかはもう一般人ではわかりません。

 

人工的な場では不思議なもので人が関わらなくなるとすぐに気が悪くなっていきますし、残る社殿等も劣化していきます。何か他の神社で感じるのとは異質なものに気がついたら、引き返すのが賢明かと思います。

 

【まとめ】

寂れた神社は田舎ではもう当たり前になっています。荒れたものは交流の場としての神社の役割をほぼ果たせなくなったものです。神社は高次元との交流の場です。清浄さで高次元側のための対処をして、こちらから接触をはかる場です。

 

それには双方向の思いが不可欠です。寂れた神社ではそれがあり、荒れた神社や廃神社にはそれが非常に弱いかなくなっています。神社ってまだあるの? とかの意識になるともう交流は難しいでしょう。

 

特別な力がない大多数の人にとっては安全に交流できる神社に行くべきだろうと思います。

 

上の文と正反対ですが、少し荒れているような神社をできるだけ丁寧に清掃したりと、真心を奉仕にかえて向き合ったら、神社におられた存在に大歓迎されることは実際にあると私は信じます🙂

 

ただし、見極めは困難です😞 平地にあって玉垣に囲まれている神社ならいいのですが、山の中だと下の鳥居から石段参道を見た感じだと肉眼で見たのではわかりにくいのです。境内に入ってみたら……では困りますよね。

 

荒れはてたように見えるからそこがダメなわけではないですが、無理をしてお参りしてその結果不安になるくらいなら最初からやめておけばいいかなあと思います。