ほわほわ神社生活

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神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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いなり寿司じ、天国の日に思う

氏神様や産土様のあとは祠へお詣りして一日が終わり。関東の人はお詣りしようにも雪でダメだったかもしれませんね。山陽地方は青空に白い雲がふわふわなお詣り日和でした。

 

今回は時間があったのに手抜きをしました😅 またしてもタコいなりです。いなり寿司用油揚げ8枚入り2袋で16個作りました。

#手抜きと言えばそうなのでしょうが、人間には美味いです😋

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a-wi.hatenablog.com

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産土神社と氏神様に持参。今年はその後で祠に向いました。祠といっても鳥居があるもので、山の斜面にあるから大きな社殿は難しくて祠だという神社です。

 

最初の神社はかなり急な石段や参道を上がった所にあります。台風のあとは枯れ枝などが散乱して荒れた雰囲気になるのですが、今日は片づけられていて少し雰囲気がよくなっていました。

 

こちらの稲荷は今はほとんどお詣りする人がない神社でお狐様達も元気がありません。いつも来る信仰心のある人はわずか数人とか聞きます。月の大半は暇な時間なのだろうと思います。私も、できるだけ顔を出したいと思っても体調不良でできない月もあります。今月は来なかったなと思われているかもしれません。

 

人の少ない神社ではお参りすれば喜んでもらえます。ただ、それがよいことなのかいつも疑問です。管理者だけになれば廃神社となり、お狐様達は元の神社に戻って忙しく働けるかもしれないのです。わずかでもお詣りする人がいればその間神社は維持されるかもしれません。宮が据えられた時は多くの人がお詣りしてはりきっておられたなら、現状どれだけ寂しく思われていることかと考えると胸が痛みます。

 

でもそれは覚悟の上で来られているからこちらがあれこれ考えることではないのかなとも思います。崇敬者は時間が許せば元気な顔を見せればそれでよいのでしょう、たぶん。そうならば、私は人の来ない祠へのお詣りで元気になっていただくことを続けていこうと決めました。

 

御利益はそれもお仕事なのでお願いは悪いことではないです。問題はあちらが向けてくれた気持ちに応えないこと。神仏からなら応える気持ちになるかもと期待しましたが妹曰くあまり期待できないと。ならば同じ人に対しては推して知るべし。神仏に対してしない者が他者(人)に対してするわけがないのです。これがこの世の現実です。

 

気がつかないなら気づく時を待てばいい。問題は、他者を共に生きている同朋とみなさないで己だけが全てな意識。他者の思いどころか存在を認めるところまで至っていないのだから正直お話にならないです。心の循環が学びで成長なのですがそれができるのは少数。この数年嫌になるほどそれを見てきましたよね? 

#コロナのことではないです。今は何でもコロナに結びつける人がいるのであえて書きます。

 

交流の場としての役割を一層進めようとするものは歓迎されます。交流の意志がなく場を荒すものや奪うことばかり考えるものは仮に何かを得られても形のあるものだけになるでしょう。そして百年もたない器と共にそれを失うことを最後に学ばされるはずです。

 

目に見えないものを考えて生きるのは大変です。課題も山積です。他者に嘆きたくなることも日常茶飯事なはずです。それでもそこに逃げずに歩く強さは持ってほしいし、そうした者は常に期待され励まされています。

 

神仏に期待するばかりの人生と期待される人生なら私は後者を選びたいです。皆さんがどうするのかは個人の自由でそれは保障されています。

 

最後になりましたがタコ飯稲荷寿司は夕食ではまだ残ってこれから夜食です😅