ほわほわ神社生活

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神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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壁と繭

今まで壁のことは何度も書いてきたので今回は今まで書いていないもうひとつの障害、障壁の話です。

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壁はこのブログでは高次元との交流の妨げになるものをそう例えています。壁があるとなぜよくないのかを書くと、高次元があるという感覚を得にくくなることで、成長がゆっくりになりがちなことです。成長が遅い=悪ではないのですが、同じ機会(今生)でより多くのものを学べた方がいいのではないかということです。

壁を作らないのはより広い範囲を見る視点を養えることが利点です。

 

さて、今回の繭とは何かというと、これは己の作り出した枠のことです。実は壁だけではなく、たいていの人がこの繭を持っています。繭の正体はどこまでも拡大を目指す己の心を固めようとする働きのことです。

 

もう少し簡単に書くと言霊による制限のことです。正確にはそれだけではないのですが問題が複雑になるので今回分ではそうしておきます。

#こういうブログなのであくまでも霊的な書き方をします。

 

カイコの幼虫が成長すると口から糸を吐いてあちこちにくっ付けていきますね。やがてそれは固く包み込む繭へ変わっていきます。人は糸ではなく己を縛る言葉を吐いて己の周囲に繭を作る生き物です。

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口癖のように「きつい」「つらい」と言う度に目に見えない糸は自分の周りに張られていくのです。そして、そうした自分や状況を繭は肯定(固定)してしまいます。

#身体的に耐えがたい苦痛を伴う病の人など、心の問題ではない人は除きます。

 

愚痴によって楽になる場合はあります。自分(の成長の可能性)がさらに小さくなれば繭の中も隙間ができますから。でも、ほとんど勘違いです。またすぐに窮屈さを感じて同じことを繰り返すだけです。

#極短時間ではなく愚痴で良くなったと思うのは愚痴の分何かが減ってスッキリしたのではなく、己が成長した故です。単に愚痴で良くなることはないと私は思います。

 

繭は強固ではありますが、逆の手順で薄くして穴を開けることもできます。自分が作った物ですから可能です。

 

それには事実と勝手な肉付けをしたものの見極めが必要です。

 

繭の消滅には今ある繭を薄くしていくことと、新たに糸を吐かないことのふたつの行程をほぼ同時に進めねばなりません

 

霊的な成長(こういう表現が嫌いなら心でいいです)をしたならそれまでの行為(人生)で不要になるものを捨てなければなりません。しかし、これは思考パターンとして自動化されているのです。瞑想とはいいませんが、心を少し見つめて”パターンで口にすること”はもう止めないとさらなる飛躍の道が閉ざされます。実にもったいない話です。

簡単に書いているようですが、これを誰でも実行できたらこの世は神仏の世界にかなり近づいていることになります。今は違います。

 

悪い言葉、己を閉じ込める言葉は絶対に吐いてはいけません。成長などしなくてただ苦しみだけでいいならそれでもいいと思います。

 

壁を作らず成長へのアドバイスを受けて己を縛らず進めたらその人なりの良き人生になるはずです。蚕は繭から出て大空を自由に飛びまわることはありませんが、人は出た時には飛べる羽を持って羽化したことを知ります。

 

壁だの繭だの面倒なことが人生には多いですね。体は百数十センチでも人の中身はもっともっと大きな故のことです🙂

 

追記

今日書いたことは進むためには必要なことということで書いています。今は進むどころか現状維持も困難な人が多い時代なのはわかっています。詳しく書くことはありませんが私自身闇の中を長年這いずりまわっていましたから。チャレンジする気持ちが湧き上がったら歩けばいいのです。そうすべきではあるが強制は上は誰もしません。なぜなら人はいつか必ずそこへ向かうからです。