短く気楽に読める記事シリーズ? の新記事です。
各国の一宮とかだと宮司を筆頭に複数のご神職や巫女さんもいます。社殿も見事に維持されていて、訪れるとコンクリートとアスファルトの日常との違いに驚かされますよね。
そうした一部の神社をのぞく多くの(田舎の)小さな神社はめったに人が訪れることがなく、石造物は表面が荒れて苔むし、木造の社殿は傷み汚れが激しいです。そうした神社は肉眼ではただのボロい建物です。
でも、それは物質界(3次元)での物質の状態にすぎません。その場にあるエネルギー、この世より高い次元的な見え方は少し異なるらしいですね。
器(肉体)を出た後で田舎の小さな古ぼけた神社を見た時、そこに力が満ちているなら何から何までまばゆく輝やき、3次元的な大きさとはまた違うように見えるはず(感じる?)よと妹談。イラストは眩しいと感じているものですけど、肉眼ではないから痛みを感じることはないらしいです。
#眩しいほどの神社は極めて少ないみたいです。ちょっと悲しいですね😥
そうすると神社巡りは生きている時の楽しみだけでなく、霊となって巡ることで二回楽しめるのだなと思います。
ただし、いわゆる幽霊で神社をうろつくのは感心しない話のようで。もっとも、神社が輝くほどなら幽霊がふらふらすることはできないでしょうね。あくまでも神域外から眺めてだと思います。
#私も話を聴いただけなので死んでからのお楽しみというやつです😅
人間は死んだらあの世に戻らないといけませんから、しばし驚きと喜びをもって眺めたらあちらでの生活へ向けて歩いて行きましょう。
いつか魂の旅の中で充分に成長して自身も輝きを放てるようになったら、神様ご眷属様のお手伝いを神社でする。そうした夢を見てもいいのかなと思った(妹に訊いただけ)春の夜でした。
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似たような内容の記事がたぶんあったはずですが過去記事あさりも大変になってきたので書いています。