神社の神々はその神社の勧請元と同じ名前なのでこれは時が過ぎても簡単にわかります。由緒看板や石碑に書かれている場合は調べるまでもありません。
稲荷神社なら、ご眷属はお狐様だなというのもわかります。
こうしたことは大丈夫なのですが、問題は追加で祀られた存在のことです。
集落にはその集落の歴史があり、言い伝えの形で神社のことを知ることができていました。それが完全に崩れたのは核家族化が進んだ平成時代だろうと思います。親から子へと継承されていないので知っている人が帰幽すればそれまでです。
神社なら神職が記録すればいいのではと思われるでしょう。そうした記録が残っている神社はいいのです。でも、自然災害や戦火などで失われた神社はいくらでもあります。今は兼務社が数十なんて神職も珍しくはない時代。とても手がまわらないでしょう。
こうした時も、神職以外の氏子も一人一人が集落、そしてご先祖様の歴史として話をちゃんと聴いていれば問題なく復活させられます。
知っている人達が自分以外の者も知っているからいちいち自分がすることもないと思うと黄信号点灯です。誰も他の誰がどこまで知っているか伝えているか知りません。気がつくと疑問に誰も答えられないことになるのです。
私も祖母から産土神社境内社の方々のことを聞かされましたが不完全なものでした。その部分は偶然別の高齢者から(ふと思い出したようで)聴くことができました。
記紀神話の神々とは異なる民衆の祀る行為に関するもので、昔話でよくある類の話でした。
こういった存在が自分を祀ってほしいと言っているので一緒に祀ることにしたがどこかに書かれているわけではないと。
この場合には、それを知らないと誰も手を合わせることがなくなります。祀られているので勝手に離れるわけにもいかないその存在との関係は微妙なものになるでしょう。全国の小さな神社で人と神との分断が静かに進行しているように感じます。
今後求められるのはそうした忘れられた存在とコンタクトでき、祀りを正常化できる能力者だろうと思います。需要も供給もないから実際には廃社になるのでしょうけど。
明治生まれから聞いて育った世代も令和の間に器を出ていくことでしょう。神社が好きならどうか今のうちに産土様等知る人の少ない神社を残すために働いてください。私もこれからできるだけ聞き取りをしてひとつひとつかけがえのない神社の歴史を残せるようにしていこうと思います。
ただの記録の話に思えたかもしれませんがこれは人の敬意の問題、己の生きる世界を決める問題でもあります。