ほわほわ神社生活

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神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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SNSの呪文

あと一社書ける神社があるけれど、書く時間がないのであやしい記事ばかりに。とりあえず今回で終わりにして、次からは忌も明けるしまた神社巡りを増やしていきたいです🙂

 

で、タイトルですが、SNSでの発言は呪文のように効いている話です。

#誹謗中傷による悲しい事件でなくても影響は大きいことを書きます。

 

呪い(呪文)が特定個人や特定の場でネガティブな結果をもたらすものだとしたら、それに対処すればいいしその方法も古来から存在しています。

 

が、SNSは避けようがない呪いの側面を持っています。意図せず表示された言葉を見た瞬間にその文章が自身の心に即結果をもたらしてしまう。思わず笑みがこぼれる動物の話題ならいいのですがそうでないものは短時間で目にすると思います。

 

その度に心が動かされるのはあまりよいことではありません。ポジティブなエネルギーが消費されてしまいます。逆にネガティブなエネルギーは発生します。それを自身の言葉として新たにSNSに投稿すれば新たな呪文の誕生です。前回の記事の怒りの再生産です。地雷ひとつなら踏まずに歩けるかもしれませんが、大量に埋まる地雷原は歩けません、危険過ぎて。

#かつての不幸の手紙をイメージしてもらえるとわかりやすいと思います。

発言ひとつは弱いのです。どんどん我も我もと繋がりあうと強力なものになってしまいます。今は、発言をきっかけに多くの人が動いて何か変えられたなら、それがなんだか良い事のような空気があるように感じます。自己が無力でない、あるいは孤独でないと感じる高揚感かもしれません。

 

怒りを排除した言葉の繋がりは大丈夫でしょう。ネットの良い面だと思います。

 

共感と言う言葉がどこにでも溢れています。エネルギー的によろしくないものに共感するとすぐに自身のエネルギーは変化します。良い状態をできるだけ維持しないと人はおかしくなります。普段良い状態を保てている人はこのご時世少数のはず。そうでない多数の人は意識して避けないといけないでしょう。誰もが知る心霊スポットにわざわざ出かけないことと似ています。

#増減という言い方よりも、質の変化の方がどちらかといえば正しいようです。

 

精神的にストレスを感じる人が住む世界はネット以外にあるのかもしれないですね。海や山のそばで自身を包んでもらうのはすぐにその良さがわかるものです。アスファルトとコンクリートに囲まれていても、自己の内を神域を流れる川のせせらぎや穏やかな陽光にすることは少しの練習で可能でしょう。

 

現代特有の呪文と解呪は各自が向き合わねばならない課題です。