最近は妹に丸投げしてお詣り先を決めてもらう怠けぶりに磨きをかけております😅 この日は二社のお詣りでした。順番は理由もなく決めましたがそのために普段とは違う日になったのでした。
目次
【御祭神】
【稲月神社への道】
国道486号の国府小学校入口交差点を北に広島県道398号を走ります。300メートルほどで右折して東へ400メートルほど進んだら左折してまた北へ進みます。700メートルほど道なりに走ったら歩道がやたら広がる所があるので曲がります。
細い道を100メートルほどで社号票前に到着します。特に問題なく486号からこちらの神社に来れると思います。
駐車場の看板はなかったのですが、地元の方の話では、神社で何かある時しか車はとまっていないそうです。この写真には写っていませんが地神? の岩があったり、建物の向こうには石灯篭があったので神社と関係のある土地みたいでした。宮司さんにおたずねすればよりはっきりわかったのでしょうけれど、社殿内で忙しくされていたのでできませんでした。
【車椅子使用の方のための情報】
石段が100段くらいありますがそれとは別に神社を囲むように細い道が通っています。近所の方の話では対向車のことを考えないでいいそうで、実際にそう思いました。民家が数軒あるだけなのでなかなかそうしたタイミングにならないでしょう。
墓地の前から神社境内への坂道を数十メートル上がって折れ曲がってさらに数十メートルで社殿横に出ます。狭いので駐車できる場所は限られていると思いました。お詣り自体は参道があるために可能ですが積極的にはオススメしかねます。宮司さんに要相談といったところかと。
賽銭箱は拝殿階段下にあって、鈴緒も下がっていました。境内に入れさえすれば自分でお賽銭を入れて鈴を鳴らせるだろう神社です。
【境内の様子】
稲月神社社号票
鳥居と石段
石段途中から見た神楽殿
神楽殿から見下ろした石段
拝殿
本殿
一部拡大
【おまいりをおえて】
今回、いつもより写真が少ないと思われたでしょう。実はこの日、神宮大麻を総代さん達に渡す兼新穀感謝の祭り?(遠くで宮司さんの声を聴いていたのであやふやです)が行われていて余所者の私が自由に写真撮ることはできなかったのです。隙を見てお参りしてまたいつか日をあらためてと思って石段を下り始めました。
すると「もうお帰りですか? これをどうぞ」と声をかけられてその方は私にレジ袋を渡そうとされました。慌てて「私はちょっとお詣りに来ただけの者ですから(氏子ではないです)」と返事をしたのですが、「たくさんあって余りますから」というようなことを話されながら再度私へ袋を出されたので「そうですか。ではありがたくいただきます」という感じで私は思わぬお土産と共に神社をあとにしたのでした😆
#台詞はそんな感じのものと思ってください。ありがとうございました🙇
氏子の方々はおそらく他所からわざわざ来られたのに落ちついてお参りさせてあげられずもうしわけないみたいに思われたのでしょう。あるいは、それは人の口を借りた神社の方々の気持ちだったのかも。そうだと嬉しいなあとにやにやしながら帰宅。数日かけてありがたくいただきました😙
神社巡りをしていると、なぜか関係者に親切にしてもらえる神社があります。そして、こうしたことを書くとすぐに都合よく解釈していると否定する人がいますが気にしないことです。本当のところは当事者以外わかりません。自分がそう思ったならそういうことでいいのです。大事なのは神様への自身の想いであってその人達の気持ちでも解釈でもないからです。ただし、自分は特別だからなのだと思い上がる(うぬぼれる)のはダメですけどね。
人がいない神社でいつも確かめていることは今回は何もできなかったので代わりにお土産の話を書きました🙂
本殿で独特なのは床下部分です。写真でおわかりのように多数組み合わせて作られています。これを実際に見るだけでも稲月神社にお詣りしてよかったと思えるでしょう。神社は承安二年(1172年)創祀で、社殿は戦国から江戸初期にかけて数度造立があったとのことです(広島県神社誌より)。
氏子とご神職がきちんと神社を守っていることを感じられたいい神社でした。
追記
せっかくその人が神社⛩にお詣りしているのに、気持ちを萎えさせるようなことをするのを私は嫌っているので書いています。感覚は徐々に磨かれていきます。最初が仮に勘違いでも己の内で修正していけばよいとの考えです🙂