道が細くて大変だと言いながら何度もお詣りしている消渇神社のお姫様(かずとよひめ)のことを長々と。いつものように何の証拠も示せない話です。
#神社関係者にご迷惑をおかけしないように、この記事の内容についておたずねすることだけはご遠慮ください。
目次
【一豊姫の姿】
戦国末の武家の女性が着ている着物姿でした。これは本人が見せたい姿なので、人によって多少違っているかもしれません。顔ははっきりわかりません。下の安土桃山時代の武家の女性イラストによく似た感じでしたが細部がわからないのでだいたいこんな風としか言えません。
追記
コメントで一豊姫の絵を描かれた方のブログを教えてもらいました。その時は気がつかなかったのですが、一豊姫関係のページを検索して見ていくと、小さい画像ですが顔がよくわかるページがありました。
【一豊姫の日常】
参拝者のお願いを聴いて動く時以外は一人静かに過ごしているみたいでした。霊が死後すぐに強い力を持てるはずもなく、神となるための準備に相当な期間を要したようです。ネット上の神社の説明文を読むと、信仰が起こったのは死後百年は経ってからなので、そのくらいかかったのかと。自身で働けるようになってからも、難しい問題については上の方々のお力をお借りして対処してきたみたいでした。
山の上で寂しくはないの? とたずねると、参詣者が時々来るので特に寂しくはないとの答えでした。
【ご眷属様のこと】
ご眷属様も一人前となると軽く数百年は神社で働いてきたわけです。元々人間で祭神になった方とはいろいろな問題があるのかもしれません。願いを叶えるために働くご眷属様達は(私が受け取った感じでは)おられないようです。
この理由もたずねました。すると、上で書いたように周辺の土地の神様やご縁のある記紀神話の神々の助けを随時得られる故に、ご眷属様常駐の通常のシステムとは違っていても大丈夫だからのようです。
姫様がこれからも長く人を助け続けてさらに強い力を持たれたら、お慕いする専属のご眷属様がおられるようになるのかもしれませんね🙂
#一定の広さの境内を持ち、鳥居からのびる参道の向こうに社殿や付属施設がある神社には平均して五、六体から十数体のご眷属様がおられるようです。一宮兼高い社格だった神社などは数十体以上でした。境内社によくある大きさの外宮(祠)くらいの社には数体です。
【お供えのこと】
戦国時代末の女性です。甘いものが貴重な時代に生きていた人ですから、お菓子はとても喜んでもらえました。練り切りあんのような見た目も素晴らしい和菓子は、綺麗と楽しんでいる感じが伝わってきたのを覚えています。
果物は好物だそうで、干し柿はとても好きなものと聞きました。毛利氏が糧食としていたとネットで確認しました。珍しいが口にすることは可能だったのでしょう。もしかするとお供えとして食べたのかもしれません。
手ぶらだからとマイナス評価は神仏はされませんが、楽しませてくれる品は歓迎していただけますから、美しいものや美味しいものを用意できたら持参してほしいです。そして一緒に食べて楽しい時を共有してはと思います。
【一豊姫のお願い】
子宝、婦人病にご神徳となるとまだ若い独身者では特にお願いがない人もいると思います。その場合でも気軽に遊びに来てほしいのだそうです。参拝者からいろいろな話を聞くのが楽しいとのことです。
お参りの時、呼びかけるのは”神様”でなくてもいいとのこと。一豊姫様でも姫様でも自分が呼びやすいものでいいそうです。こうしたことにはこだわりはないようです。
私は元々人間だからちゃん付けなのですがそれも許してもらってます😅
【おわりに】
私がやりとりした感じでは、苦しむ女性を助けたいという思いは生前から変わりなく強いが、それ以外はとても控えめな優しい女性の印象です。それは今は神となって穏やかな心で過ごしているからでしょう。以前の記事で道中大変と書きすぎてお詣りする気が失せた人がいたかもと思って謝ったら、気にしないでと。そういう人(女神)です。お近くに来られる時はこの神社へのお詣りをお願いします。
神社の面白い所は、歴史に縛られない点です。四百年ほど前の人でも向き合って会話が可能です(ほとんどの人は一方的に話すことになりますが)。交流の場の不思議な機能に感謝です。
今回の記事は過去から現在まで神社を大事に守られてきたご神職や高屋町の方々には勝手なことを言いたい放題で不快なものかもしれません。もしそうでしたらお詫びいたします。
私は名だたる天津神国津神の女神様方も大好きですけど、思いの尊さ、強さで人から神になった女神様も大好きなのです。人間の美しさと可能性を示してくれていると強く思うからです。私の大事な友達の話でした。