ほわほわ神社生活

ほわほわ神社生活

神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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その地で世の移り変わりを眺めること

7月に念願だった阿波国の神社巡りをしました。阿波国特有の神社もこの機に行きたかったのですが、途中の道の問題や駐車場の有無、体力的に難しい長い石段参道等、諦めた神社も多くありました。以前から書いているように神社の幾つかは指示されるのです。深く調べずに行くことも結構あって後日𠮟られます。今回も最後の神社は下調べ不足のままでした。知っていれば現地で思うことに違いがでます。せっかく遠くまで行くのなら実際に行く労と同じくらい準備に時間をかけるべきです🙂

 

今回七社(お詣りはその内五社)のうち二社が江戸時代以降に祭神となった人物のいる神社でした。ですが、その祀られた経緯、立場は全く違っていました。国瑞彦神社は大名(と後に有功の士)で下切神社は人を助けて死んだ庄屋。前者は先祖を祀るので氏神的な性格になり、後者は供養的な意味が入っていると思います。この二社を比べることで考えるのが指示された理由(のひとつ)でした。

 

国瑞彦神社の御祭神である大名の皆さんは生前江戸での暮らしと国元阿波での暮らしの繰り返し。その中で、領民を知る時間はどのくらいあったのかなと思います。後の世で名君と称された大名は日本各地に多くおられますが、生まれながらの身分と環境下では理解は一面的なものでしかなかったでしょう。どうしてもそうなってしまうのが人間です。それを現代の意識で批判することは意味がないのではと考えています。

 

国瑞彦神社で、「殿様ではなく御祭神となってから民の願い(想い)を数多く聴いてきたと思います。殿様の頃と気持ちは同じですか?」と問いました。反応(私は言葉で聴こえません)は否でした。続けて「今は殿様の時代ではなくなって身分もない時代。自分も民も人として何も変わらなかったと知ったということですか?」と問うと、それには是でした。

 

祀られれば人より上の存在になるはず。でも実際にはそうではないようです。生前、人であった時には知らなくてよかったことを知らなくてはならなくなる。庶民とは違う人生を生きた時の死後の学び。神になったと喜んではいられないのが実情なのだと感じました。

 

義人の場合はどうなのでしょうか。

 

下切神社の谷貞之丞さんは自身の姿を見せてくれました。最初、両目だけがわかりました。これだけだと人間の顔か他の存在か区別できないのです。その上が丸くなっているのが月代なら、下の辺りは顎だなと次第に見えてきました。奇妙なのは、頭部の横に何か細長い物が並んでいることでした。先端は別物のようです。しばらくしてそれが手のひらだと気がつきました。つまり、空中に浮かぶ頭部を両手で支えているのが貞之丞さんの姿だったのです😰 斬首になった辛さからかなとこわごわ問うと、どうやらこれが自分だとわかってもらえる姿だからのようでした。びびりまくりながら遠くから(途中で引き返さずに)やってきたことへの返礼みたいだったと後に知りました。

 

元々直訴は死罪(で当然)と分かったうえでの結末なので、深い恨みの念などはなく、納得されている感じでした。本当はお詣り時に詳しく話をするべきでした。でも、帰路に対向車が現れる不安でとにかく早く山を下りたかったので簡単なやりとりだけでした😫

 

彼の場合には、自分が死後も守るから祀ってくれと頼んだのではないが、皆が自分のことを想ってくれるので居続けた形だろうと思います。英霊(赤紙で召集されて戦死した人達)さんに皆で交代でやりましょうと勧めているように、いつかは祀られた義人もどなたかに促されて還る時が来るはずです。それはいつの日でしょうか。

 

命の恩人を喉元過ぎればなんとかではいけないと思って伝えてきた地元の方々の想いはとても尊いと思います😌🙏 ただ、元々の神々でない存在はあちらとこちらを循環しないといけないものです。過疎化が進行する中、終わりにする時を今から考え準備しなければならない時代になったのが令和だったと後に語られるかもしれません。

人を祀るのは難しいものだなと最近つくづくそう思います。他者を想う心故に祭神となることを一定期間許されている者達、あちらにいるよりも祭神として学び働くことがよかろうとされている者達、皆違うそれぞれの終わりなき魂の旅路での束の間の一仕事。

#”の”が多すぎですね。上手く書けませんでした。

 

神々から次々に生まれた末の人間という存在は本当に不思議だなと思います😌

 

精妙な気に満ちた大きな宮から、地元の方の暮らしと想いに密接に結びついた神社まで、阿波国にもその神社数に応じた印象深い神社がたくさんありました(行けなかった社も無数にありますが)。

 

記紀神話の神々も少し前に生きていた祭神の人達も、その前に立って向き合っているのは参詣者である己自身。人の家にただ飯目当てに行くようなことをしている時間はもうないはずです。どんな環境、立場でも一歩でも人として神々の方へと進むためにあるのが神社です。記事のタイトルは生きている者も器を出た者もとの意味です。

 

多くのことを学ばせてもらったとよい笑顔であちらへ皆が還れる時が来ることを願います😌

 

#今回は神社でのやりとりを公開することにしました。これが正しいのかどうか自分でも証明することはできません。自分はそうは思わないという方もおられるでしょう。この人間にはそうだったのだなと思っていただけると助かります。