いつもだらだら長くなるので出来るだけ短く書いてみます。
あまり苦しまずにすむ死は過去から現在まで存在していて、一部の人は今でもそれを知っています。
日々起こる様々なことに対して誠実に生きている者、その中でも神仏から離れて行かない者が、死には多くの形がある中で苦しみを少なく終わらせていただけることは確実にあります。

目に見えるものに精一杯生きていくと同時に、目に見えないものと心は繋がって生きる。神仏へ日々感謝しても、己がこの世で生きていられるご恩には遠く及ばない。
それでも縁ある産土様、氏神様は自分へ向けられた想い以上のものをまた戻してくださるもの。
己が神々に背を向けて、今生を誠で生きることをせず、都合の悪いことは他者へおしつける性根で何を得ようというのか。
すすんで離れ、受け取りを拒否していても、そんな存在のために自分に与えられるものを差し出す人もいる。その場合はその人のおかげ。他者の存在のありがたさ。
当然ですが、全てのケースに当てはまるわけではありません。その人が今なぜここにあるかに深く関係するので。
#この世からではうかがいしれぬあちらでの理由、事情です。
仕組みに逆らって無駄に消耗することをやめ、仕組みの中で生きた結果の死を受け入れるしか人にできることはないのです。
上(仕組み)に逆らわない死は少なくとも霊的には安楽な死だと思います。