ツインレイとかツインソウルとかは私にはよくわかりませんが、ほぼ同時に生まれてきた魂の相手との出会い方の特殊な例を書いてみます。
この世に同じ本体から分かれている存在はその魂ごとに少なかったり多かったりするのです。普通は各自が三次元用の器を持ってこの世で行動し、場合によっては出会うこともあるでしょう。
最初に書いたものは人の憧れみたいで、それを期待して生きている人もそれなりの数になるのかな?😊
特別な相手はいなかったなと思う人の中に極々一部ですけど、既に出会っているケースがあります。こう書くと、身の回りのそう思っていない人の誰か? と思われることでしょう。そうではありません。
別個体として会うのではなく第三者から見て同一個体として会うのです。
生まれてから魂の終わる時まで関わるペアのどちらかが普通に人としてこの世に生をうけます。ある時点で相補的なもう一方の魂が器を譲り受けてその人物としてこの世で活動を始めます。出会って過ごすのはこの瞬間だけです。

自我とか記憶とかそうした元の人間の一切合切が新しい存在のものになります。自我に己の下にあるもの(霊的な本質部分)はとらえられません。周囲の人にも気づかれることはありません。普通はこの状態で一生を終えます。
何か特殊な事情で自我が己と思うものが入れ替わっていることを知るケースは非常に珍しいです😮
中に入るものは器が人間だから普通に代れますが、最もなじみがいいのは魂が己と最も近い存在の使った器です。中の霊的な存在にとっては形見を常に身に着けて暮らしているようなものでしょうか。
こうなった存在にとって、家族親戚や友人等の親しいものは一時的に特別な存在ではなくなるようです。その後、自身がこれからも関わる人達ということで新たに特別な存在になっていくようです。ですが、他の多くの人達より上に置くことは中に入った人によるでしょうけど、もうないようです。
特別な相手がいつか現れると思うのも楽しみかもしれませんけど、人と人の関係は複雑で神秘的なもの。今はわからないだけで、そうそうない経験をしていることもあります。三次元は面白い所なんだなとこの話を聴いて思いました🙂
私が以前から「自我と思うのは幻、仮の物だとか器はただの道具にすぎない」と書いていたのはこの話が元になっています。”自分”は一番大事な宝ではないのです。私、私ということのある種の滑稽さがわかってもらえたでしょうか?
”自分という道具”を使って何を体験して何を得たかが全てです。
#その他にしている記事は読んで、ふーんと思ってもらえたら充分です。コメントしづらいですよね😅