もう6年くらい前になるのでしょうか。自分より先を歩いている先輩経由の我が守護霊からのメッセージで、「あなた、〇〇に関して態度がよくないですよ。改めなさい」みたいな内容を受け取っていたのです😑
これを直さないどころか、状態の悪化に合わせて、改めるべき地点からさらに先へと。
私も日々反省はしていたのです。でも、根本的に改めるのを面倒くさがったのと自分がすべきことの割合(と言えばいいのかな)に納得せず、本気でやらなかった。そして、三次元で見える形で起こった😱

様子から大難を小難になのは最初から分かっていました。また、守護霊の強権発動でそうしたわけではないことも確認済み。
結論を書くと、守護霊達には私が発したものがいつか本人へ返ってきてこうした形になることはわかっていた。だから、かなり手前で忠告したが私が言い訳をして本気でやらなかった結果、ついに戻ってきたと。ただし、今後の事も考えて、大難を大難のままにはせずに小難(それで私が考えを改めるくらいの程度)に抑えてくれたのでした。
守護霊に許されている権限は被守護者に関する限り相当な強さのようです。いつでも厳しい現実を突きつけることはできたのに、人が小さなことと思うことの積み重ね=罪重ねの怖さをわからせようと原因が時間をかけて結果となるまで待っていたらしいのです😓 バカナ ヒシュゴシャデ スマヌ
これは、お互いに交信可能で私が時間がかかるけれども理解はできるからの措置なのです。わからない相手向けだとあえて早めて小難にのパターンでしょうか。そこでとまらず、ずるずると大難になっていったのだろうなと思える例はたくさんありますね。
普段の暮らしで生んだものは返ってきます。人の活動によるのですから、ネット根流しという新たな形で塵も積もれば山となるを体験する人は数えきれないでしょう。
挨拶代わりに会社でのつまらないことを毎日のようにSNSにグチグチ書くこと、相手に見えない場所からその知らない相手の言動を叩くこと、怒りに同調したリポスト連投等、皆やっているからと何とも思わなかったり、無知の極みでそれをむしろ良い事のように言ってみたり😩 何でわからんのだろう?
その積みが己の望まぬ形で返ってきても理由がわからないから、己以外のせいにして、次の瞬間からまた罪の再生産で自分自身で起こることを準備するのがオチかな。これが多くの人の一生だそうです。
バチが当たったと”非科学的なこと”を理由にして反省した昔の人々は、己を省みる点で現代人よりまともかなと思います。当時の人々の平均的な霊的状態に応じたものではあっても🙂
#難を逃れたい一心だろうと言われるとそうした面もあるように私も思います。
悪い方向はわかりやすいのです。これで循環を少しでも意識できるようになってから、良い方向に発することを日常生活の場で、そして寺社で当たり前にできるようになると幸せの再生産が始まります。これを嫌うのは神仏の側ではないのは確かです。
#己の内が変わることを幸せの再生産とこの記事ではしておきます。
流れにきちんと乗って生きるだけでも簡単ではないことだけど、己も良き流れの一滴を生むことができたら、その人生はあちらで満足できるものにきっとなることでしょう。
#ゆっくりできないので香川との県境までに残る数社をなかなか書けないでいます。