ほわほわ神社生活

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神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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願掛けの難易度と行う理由

願掛 - Wikipedia

百度参り - Wikipedia

願掛けって調べるといろいろな方法がありますね。お百度参りとか断ち物はイメージしやすいと思います。

 

神仏にだけ負担をかけるのは申し訳ないので己にも何かしら負担を課すということなのでしょう。

 

願掛けのうちで断ち物については難しいようで実はわりと易いことだと思います。私はもう長年牛肉を食べていません。宗教的な理由ではないのでやむを得ない時は食べます。

最初の数か月は渇望感に悩まされましたがその後は何も感じなくなりました。それまではシシトウと一緒に薄切り肉を焼肉のたれで味付けして焼肉丼にして「うまい! うまい!」と言っていたんですけどね。

今では、牛肉は安価で日々の食事には欠かせないというのは思い込みに過ぎないのかもなあと思っています。

 

皆さんも一度”お願い無し断ち物”をやってみると願掛けの予行演習になると同時に妙なこだわりを無くすことができて少し楽になるかもしれませんよ。

一生は難しいと感じますが一か月とかの短期間なら少し辛抱しないといけませんが誰でもできると思います。

#お願いして断ち物をやったが途中で破ってしまっただと気になると思うので一度お願い無しで試してみてはということです。

 

もちろん、本気で願掛けする人はお試し無しでもできると思います。

 

私はたこ焼き好きでよくおやつに食べています。これは一生やめるとちょっと辛いかな。それでも、やる気になればできます、きっと。でも、自分には簡単にできることでは断ち物した意味が無い。神仏にお願いするのに断ち物が使えないのは痛いです😥

 

百度参りは一回の距離が長いと地味に足腰にきいてきそう。裸足で行うと冬はつらいでしょうね。でもそれがかえって精神統一にはいいかもしれないです。実際にやったことがないため想像ですが。

 

ここからは願掛けのススメ?

 

私の祖母は明治末の生まれです。彼女の祖母、母の世代は江戸末期から明治初期の人間になります。神仏習合の信仰を己の中に残していた世代。

祖母の世代までは曲がりなりにもそれは残されていたと記憶を辿りながら思います。願掛けも行っていたようです。当時は小さかったのでよくわかりませんでしたが。

昔の日本人はどんな精神世界に住んでいたのか体験してみるのも自己を理解する上で役にたつのではないかと。

 

 私は二礼二拍手一礼の自由参拝しか普段しませんからお百度参りはいい経験になりそうな気がします。

大好物のたこ焼き断ちも(明日からお小遣いの続く限り食べた後で)お百度と一緒にやってみましょうか。

 

ここは定番の病気平癒かな。やればできる!

 

書いちゃったな……これはやってネタにしろというお告げ? ということにしてしまおう😁