ほわほわ神社生活

ほわほわ神社生活

神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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丹生神社(広島県世羅郡世羅町甲山151)

高野山に行くには経済的にも体力的にも余力がないので紀伊国一宮丹生都比売神社にはお詣りできそうにないなと思っていたのです。が、備後国に今高野山というものがあり、そこに丹生(たんじょう)神社があるのを知ってこりゃ近くていいや😙と思いました。それからも他所にお詣りしていて、また長い時間が経ったある時、急に行ってみたくなったのでした。お詣りしたのはクロアゲハ舞う皐月です。

#今高野山の記事ではなく、丹生神社の記事です。

 

目次

 

【御祭神】

丹生明神 高野明神

丹生都比売神社 - Wikipedia

丹生都比売神社|紀伊山地の霊場と参詣道の世界文化遺産

総本社についての上のページで御祭神のことがわかります。

【御由緒】

今高野山 - 甲山史跡・名所伝承保全会 - 今高野山開基1200年記念事業

由緒看板があったみたいですが見ていないのです😥 代わりに境内案内看板を。

【丹生神社への道】

国道432号と国道184号の本郷交差点から1キロほど184号を南へ走った辺りにあります。広い国道で世羅町市街地まで来ればいいので、近くになってからナビで案内してもらっても充分かと。

 

北側からやって来ると、今高野山入口交差点を右折します。弘法大師の像とその下の今高野山の文字が見えるのでわかりやすいです😌🙏 そのまま進んで赤い橋を渡り、突き当りのT字路にあるのが参道入り口です。観光駐車場はそこから右に20メートルで奥へ入るようになっています。自力では参道を上がれない方は左へ曲がって1分くらいの所に上への道があります。車椅子使用の方のための情報を見てください。

 

南側から国道184号を走ってきたら、こんな案内看板が立っている交差点があります。

拡大

私はこの案内に従って進みました。センターラインはありませんが車が楽にすれ違える幅があるので心配無用です。

 

地図を見るとここを素通りして184号をそのまま進んで小世良交差点を左折して300メートルほどで上の案内の道へぶつかります。T字路を右折して50メートルも走れば自動車参道看板が立っています。片側一車線の道をできるだけ走りたいならこちらのルートもわかりやすくていいと思います🙂

 

自分の足で参道を歩いて上がりたいならこのまま進むと約400メートルで観光駐車場です。

 

高野山は備後の観光情報でも必ずとり上げられるといっていい場所だから、山裾の観光駐車場も30台以上駐車可能です。春の桜と秋の紅葉シーズン以外なら充分に駐車できると思います。

駐車場は道から少し奥に引っ込んでいます。

駐車場からお寺と神社共通の参道まではすぐです。坂道ですが200メートルも歩けばお寺や神社の辺りまで上がれるため、私のような体力に自信がないおっさんでもゆっくり歩いて上がれる道です。

#実は上から半分まで下ってまた戻り、帰る前に下の駐車場に車をとめて入り口を撮ったので下から通して歩いていません😅 境内写真に総門がないのはそれが理由です。

【👩‍🦽車椅子使用の方のための情報】

参道入り口横にある駐車場ではなく、東に少し進んだ所から道が神社裏まで延びています。ストリートビューでどんな道かわかります。

下の写真の橋が見えたら丹生神社はその先です。

社殿裏には十数台は楽にとめられるだろう古城山展望台駐車場(グーグルマップでの表記)がありました😃

この道はすれ違いが難しいと感じましたが、距離も250メートルくらいなのでお詣りに来る人が少ない季節、曜日なら対向車をそれほど気にすることはないように思います🙂

 

こちらの駐車場からは坂道を下って社殿前に行くことになります。距離そのものは裏からなので短いです。下の土地までおりてしまうと社殿前に石段がありますから、坂の途中で横から入って社殿前へ進んで行く形です。

また、下った先の拝殿右端にはこんな案内があります。

場内トラブルに関する文が書かれていたのでこちらが駐車場でした。

境内案内図によると金剛寺跡だそうです🙏

 

 

【境内の様子】

高野山参道入り口

参道(神社手前部分)

神之橋

斜めから

拝殿横から見る丹生神社境内

社殿正面

斜め

丹生明神

高野明神

社殿前を横から

二つ並んだ丹生神社社殿と向かい合う拝殿

拝殿とその前の部分

狛犬(社殿前)

重要文化財を詳しく解説する板があります

 

【おまいりをおえて】

知ってからお詣りまでの間ずっと”にう”神社だと思っていました😅 神社の名前は他からそうだろうなと思って呼んだら違っていたことが結構あるのでご注意を(私だけ?)。なお、丹生には神社によって複数の読み方があるようです。

 

またしてもメモをとっていません😓 お詣り時に感じたこと、思ったことがもうわかりません。

 

神之橋はこれを渡ると禊になるのかなと思いました。通行禁止の札もバーも無いので誰でも歩いて渡れるのかもしれません。

 

社殿はひと回りできるのでゆっくり歩きました。わずかな位置の違いでも受ける感じが変わってきます。

 

神社とお寺は一般論ですけど、境内の感じが結構違います。こちらはお寺の中に一部神社があるような場なので、全体としてはお寺のような落ち着いた気が覆っている感じだったように覚えています。

#何か月も前のことなのではっきりこうだったとは言えないです。

 

丹生神社のあとに、お寺もお参りすると常に自分の周囲にある見えない力を感じる訓練になるので、そうした意味でも神社もお寺も一緒にある時はおまいりするのがいいと思います。写真はありませんが、私もおまいりして帰りました。

#廃寺かどうかわからないくらいかなり荒れていて人気もなく暗い感じを強く受けた場合は除きます。

 

丹生神社は神社とお寺(僧侶)との関係がわかりにくくなった令和でもかつての形を想像できるものだと思います。高野山までは難しい方も、お寺と神社両方を調べたうえで雰囲気を味わってみるのもいい休日の過ごし方かも😊

 

丹生神社は綺麗に清掃されていて、日常とは違うゆったりとした空気にひたれるいい神社でした。

その地で世の移り変わりを眺めること

7月に念願だった阿波国の神社巡りをしました。阿波国特有の神社もこの機に行きたかったのですが、途中の道の問題や駐車場の有無、体力的に難しい長い石段参道等、諦めた神社も多くありました。以前から書いているように神社の幾つかは指示されるのです。深く調べずに行くことも結構あって後日𠮟られます。今回も最後の神社は下調べ不足のままでした。知っていれば現地で思うことに違いがでます。せっかく遠くまで行くのなら実際に行く労と同じくらい準備に時間をかけるべきです🙂

 

今回七社(お詣りはその内五社)のうち二社が江戸時代以降に祭神となった人物のいる神社でした。ですが、その祀られた経緯、立場は全く違っていました。国瑞彦神社は大名(と後に有功の士)で下切神社は人を助けて死んだ庄屋。前者は先祖を祀るので氏神的な性格になり、後者は供養的な意味が入っていると思います。この二社を比べることで考えるのが指示された理由(のひとつ)でした。

 

国瑞彦神社の御祭神である大名の皆さんは生前江戸での暮らしと国元阿波での暮らしの繰り返し。その中で、領民を知る時間はどのくらいあったのかなと思います。後の世で名君と称された大名は日本各地に多くおられますが、生まれながらの身分と環境下では理解は一面的なものでしかなかったでしょう。どうしてもそうなってしまうのが人間です。それを現代の意識で批判することは意味がないのではと考えています。

 

国瑞彦神社で、「殿様ではなく御祭神となってから民の願い(想い)を数多く聴いてきたと思います。殿様の頃と気持ちは同じですか?」と問いました。反応(私は言葉で聴こえません)は否でした。続けて「今は殿様の時代ではなくなって身分もない時代。自分も民も人として何も変わらなかったと知ったということですか?」と問うと、それには是でした。

 

祀られれば人より上の存在になるはず。でも実際にはそうではないようです。生前、人であった時には知らなくてよかったことを知らなくてはならなくなる。庶民とは違う人生を生きた時の死後の学び。神になったと喜んではいられないのが実情なのだと感じました。

 

義人の場合はどうなのでしょうか。

 

下切神社の谷貞之丞さんは自身の姿を見せてくれました。最初、両目だけがわかりました。これだけだと人間の顔か他の存在か区別できないのです。その上が丸くなっているのが月代なら、下の辺りは顎だなと次第に見えてきました。奇妙なのは、頭部の横に何か細長い物が並んでいることでした。先端は別物のようです。しばらくしてそれが手のひらだと気がつきました。つまり、空中に浮かぶ頭部を両手で支えているのが貞之丞さんの姿だったのです😰 斬首になった辛さからかなとこわごわ問うと、どうやらこれが自分だとわかってもらえる姿だからのようでした。びびりまくりながら遠くから(途中で引き返さずに)やってきたことへの返礼みたいだったと後に知りました。

 

元々直訴は死罪(で当然)と分かったうえでの結末なので、深い恨みの念などはなく、納得されている感じでした。本当はお詣り時に詳しく話をするべきでした。でも、帰路に対向車が現れる不安でとにかく早く山を下りたかったので簡単なやりとりだけでした😫

 

彼の場合には、自分が死後も守るから祀ってくれと頼んだのではないが、皆が自分のことを想ってくれるので居続けた形だろうと思います。英霊(赤紙で召集されて戦死した人達)さんに皆で交代でやりましょうと勧めているように、いつかは祀られた義人もどなたかに促されて還る時が来るはずです。それはいつの日でしょうか。

 

命の恩人を喉元過ぎればなんとかではいけないと思って伝えてきた地元の方々の想いはとても尊いと思います😌🙏 ただ、元々の神々でない存在はあちらとこちらを循環しないといけないものです。過疎化が進行する中、終わりにする時を今から考え準備しなければならない時代になったのが令和だったと後に語られるかもしれません。

人を祀るのは難しいものだなと最近つくづくそう思います。他者を想う心故に祭神となることを一定期間許されている者達、あちらにいるよりも祭神として学び働くことがよかろうとされている者達、皆違うそれぞれの終わりなき魂の旅路での束の間の一仕事。

#”の”が多すぎですね。上手く書けませんでした。

 

神々から次々に生まれた末の人間という存在は本当に不思議だなと思います😌

 

精妙な気に満ちた大きな宮から、地元の方の暮らしと想いに密接に結びついた神社まで、阿波国にもその神社数に応じた印象深い神社がたくさんありました(行けなかった社も無数にありますが)。

 

記紀神話の神々も少し前に生きていた祭神の人達も、その前に立って向き合っているのは参詣者である己自身。人の家にただ飯目当てに行くようなことをしている時間はもうないはずです。どんな環境、立場でも一歩でも人として神々の方へと進むためにあるのが神社です。記事のタイトルは生きている者も器を出た者もとの意味です。

 

多くのことを学ばせてもらったとよい笑顔であちらへ皆が還れる時が来ることを願います😌

 

#今回は神社でのやりとりを公開することにしました。これが正しいのかどうか自分でも証明することはできません。自分はそうは思わないという方もおられるでしょう。この人間にはそうだったのだなと思っていただけると助かります。

下切神社(徳島県美馬郡つるぎ町一宇字剪宇93)

指示された神社の中にはちょっと行きたくないな(道路的に)という神社があります。こちらはそうした神社でした。それでも行くべき理由がありました。

 

目次

 

【御祭神】

猿田彦命 天鈿女命 義人谷貞之丞(神社のある一帯の江戸時代の庄屋)

#谷貞之丞で検索すると何があって祭神となったのかがわかります😢

【御由緒】

不明

【下切神社への道】

吉野川沿いのつるぎ町から剣山までのちょうど中ほどの(南北の)位置にあります。つるぎ町(国道192号)から国道438号を南下します。この辺りの438号はまだ片側一車線の所が多いです。少し距離(約15キロ)はありますが信号の無い山道でまだそれほど急坂ではないので、それほど時間はかかっていなかったと思います。

 

問題は県道259号です。438号が川に沿って大きく左にカーブした所に赤と白の橋が架かっています。こちらを通って奥へ延びる道が259号です。

下切神社はここから”3.5キロ”も離れています。まず橋を渡った所に通り抜け不可の案内看板が立っているのです。土砂崩れでもあったのかと思い、そばにある県の一宇詰所で看板についてたずねたところ、県道が途中で通れなくなると⁈😲 地図だとこの道で隣町へ抜けられると思う人がいるとのこと……。反対の国道492号側からだとストリートビューで衝撃の光景を目にしますのでぜひ途切れる手前くらいから走って見てください😑

 

看板は車が行き止まりまで行って困らないようにとのものでした。この上の集落にある神社までは行けますかとの問いに、そこまでは行けますとのお返事🙂 

#お仕事中にお邪魔をしてしまいました。その節は大変お世話になりましたm(__)m 無事に帰宅しております。

 

そこを後にして走り出したら道がどんどん狭くなり、右にぐっと曲がって登りになった辺りからはコンパクトカーだと初めての人は徐行間違いなしの険道に😱 ぎゃあああああああぁぁ……

 

でも今更引き返せない。意を決してまた走り始めました。山をどんどん登りますが、道に枝や石が散乱して車一台ギリギリです。ヘアピンカーブだと本当にノロノロ運転でないとすぐそこに見えている次のカーブで対向車と正面衝突する恐怖もあって、とてもじゃないが速度は出せません。本当に細くなってからの3キロくらいにどれだけ時間がかかったか。生きた心地がしませんでした😨

 

対向車をかわせる場所が全くといっていいほど無いのです。車一台ギリギリの曲がった下り坂をどれだけバックすればいいのか。ガードレールも所々ないから、うっかりタイヤを落としたら大変です。

 

神にひたすら祈り続けながら走り、集落まで来てほんの少しだけ道が広がった時の解放感!😭 神社はここからすぐです。と、こんな感じの土地勘の無い者には怖ろしい道です。神社前は道が広がっています。こちらに車をとめてお詣りしました。

行き止まり故に上から来る車は集落のわずかな人に限られるはず。通勤時間帯を除けば3キロの間でたまたまタイミングがぴったりということはそうそうないでしょう。

 

一秒でも早く神社に、そして438号にと思っていたので写真を撮る心の余裕がありません。ストリートビューで見るのと走るのは大違いだと思ってください。この日は梅雨で大雨が降って落ち葉と枯れ枝が道のわきに出てきたから余計に狭く感じたのだとは思います。それでもコンパクトカーの方でも覚悟して運転するべきだと。

 

この神社は特別な想いで訪れる人だけが来るのではないかと思います。そうでない方は車での参詣はおすすめしません😣 べったり両足が地面に着くオフ車(バイク)の125㏄でトコトコ走って向かうのをおススメします。でもそれだと遠方からの参詣に高速が使えないから250㏄で足つきのよいものが一番かもしれません。

【👨‍🦽車椅子使用の方のための情報】

道から見上げた山の斜面にあります。道と平行に延びる石段参道しかありませんから、拝殿前でのおまいりはできません。安全のために道が広がった所から遥拝するしかない神社です。

 

 

【境内の様子】

下切神社全景

鳥居と石段参道

拝殿 

本殿

境内社

地神塔(五角柱)

狛犬

 

国道438号徳島県道259号の交差点にある橋から見た貞光川

上流

谷貞之丞ゆかりの地を訪ねる人のための案内看板

 

【おまいりをおえて】

この神社は多くの村人を己の命と引き換えに救った江戸期の庄屋、義人谷貞之丞を御祭神として祀っています。これが指示の理由だと帰宅して数日してようやく理解できました😔

 

田舎の集落にある小さな神社です。巨大な磐座とか滝といった所ではありませんから、何か自然の巨大な力に満ちた神社ということはありません(と思います)。翡翠色の川や神社前から観る谷の向こうの山等、道さえもう少しなんとかなったらと思う美しい所でした。

 

ここは人の想いを知るための場でした。

 

小さな村の神社ですが、拝殿も本殿もそう昔ではない時に替えられています。下切神社は長い時を経ても命の恩人を忘れていない人々が守るいい神社でした。

 

#今回の徳島神社巡りの旅の総括記事を書きます。そこで国瑞彦神社と下切神社、つまり人を祀ることについて書こうと思うことがあります。そのためにこの記事内では短い感想で終わります。

鬼籠野神社(徳島県名西郡神山町鬼籠野東分2-2)

ここにと指示されていた鬼籠野(おろの)神社へのお詣りは二年くらい前から決まっていました。平地から山を越えて奥へと走って行った先の川のある狭い盆地に鬼籠野神社はありました。

 

目次

 

【御祭神】

大日霊尊 金山彦命 埴安姫命 軻遇突智命 句句廼馳命 罔象女神 

国常立命

【御由緒】

鬼籠野神社 - Wikipedia

【鬼籠野神社への道】

国道439号から少しだけ離れていますが、ほぼ道沿いだと思って走ればいい神社です。徳島市街から439号が山に入った所からは12~13キロくらい離れた所です。ここまでの439号は片側一車線であまりきつい坂道ではないので、特に緊張することもなく着くでしょう。

 

徳島市よりも西から向かう場合、石井町の吉野川南岸に沿って走る国道318号から県道20号そして21号で南へ下ると、約12キロで鬼籠野です。私はこのルートは使っていませんが(途中から走っています)ストリートビューを見る限り、県道20号の一部でセンターラインの無い箇所があるくらいですれ違いに恐怖を感じるほどのことはなさそうです。

 

県道21号が国道439号にぶつかる交差点手前はこんな感じです。ここを右折すると郵便局前、そして鬼籠野神社前に進めます。

鬼籠野神社境内はそばの道や民家から一段下がっています。道から境内へはかなり急な坂を下りる形です。

車高がかなり低めな車だと登り大丈夫かなあ? と思いました。チェーンやパイロン等はありませんけど、無理に入るのはやめました。

#この日はチェーンが張られていませんでしたが、ストリートビューではチェーンが張られています。

 

鬼籠野郵便局の前を東から西へ向かうと神社を過ぎて右へ入る細い道があります。

大きな車はちょっとわかりませんが、小さな車なら入れそうな出入口があります。

ただ、境内へ(他所から来た者が)とめていいのかはわかりません😞 駐車禁止の札は見た覚えがないのですけど、氏子以外の参詣者があまりいないと(付近住民は皆わかっているから)不要な案内板が設置されないことが多いと感じています。鬼籠野神社がそうなのか、禁止されていないのかが不明なのです。

 

県道21号を北から走ってきたら学校の手前に路側帯がぐーんと(道よりも)広がっている所があって、駐禁標識が見当たらなかったので今回はここにとめて神社まで250メートルくらい歩きました。

【👩‍🦽車椅子使用の方のための情報】

神社境内に駐車していいのであれば土地と参道石畳との間に大きな段差はないので車椅子でも大丈夫だろうと思いました🙂 社殿を一周することも境内社前に行くこともできるでしょう。私がとめた21号の所からだと距離が少しありますが、帰りの緩い登り以外は特に気になる点はないと思います。

 

雨で地元の方の姿がなく、駐車の可否等たずねることができませんでした。安心してお詣り可能とはいいにくいので写真やストリートビューを見て判断してくださいm(__)m

 

 

【境内の様子】

鬼籠野神社全景

鬼籠野神社社頭

隋身門と注連柱

拝殿

本殿

本殿斜め後方から

社殿全景(斜め前から)

社殿全景(本殿斜め後方から)

本殿と樹々

境内社

愛宕神社&神社

 

地神塔(五角柱)

手水舎

隋身門左右大臣像(左にした写真の方が若い像だと思いますが記憶頼りです)

狛犬?(本殿)

狛犬随身門前)

おまけ(鬼籠野谷川と近接する左奥の鬼籠野神社)

 

【おまいりをおえて】

一段低くなっている境内はありそうで意外にありません。普段、上ばかり見ている人には新鮮な感覚だと。

 

鬼籠野神社は中一宮? 大宜都比売命を祀る上一宮と下一宮(これが先に書いた一宮神社)の間だからと。でも御祭神が違いますからなぜそうなのでしょうか。阿波国神社の謎を考えるのではなく、どれだけ徳島全域を訪れるかを重視したお詣り旅行でしたので、このあたりのことは調べている方のブログ(複数見つかります)をどうぞ。

 

雨がポツポツ降っていたので、本降りになるまでに全て終わらせねばとあせっていたためにお詣り後にメモとるのを忘れていたようです。社殿背後辺りは他と違っていたような気もするのですが、メモも記憶もダメとなるとなんとも言えません。

 

本殿は比較的珍しいと思われる春日造でした。写真だとわかりにくいかもしれませんが、細かな彫刻が非常に美しい社殿です😃 

 

鬼退治のためか、本殿狛犬? が口の裂けた鬼のような顔をしているのは現地で見て楽しいもののひとつでしょう。

 

五角柱の各面に神名を刻んだものは徳島の他には香川や対岸の吉備国南部に多いのだそうです。徳島は藩主の命で神社に設置したものが今も残っているのですね。結構離れていますけど、やはり海を通じて繋がりがあったのでしょうか。吉備国の人間には他府県に来た感じがしないのです😅

 

鬼籠野神社はよく整備され、清掃もしっかりされているのがわかる綺麗ないい神社でした。

楠公飯と国策炊き🍚から

戦時中の工夫のひとつ、楠公飯と国策炊き😅 米が残り少ないので今までのように炊いて食べていては米切れになってしまいます。そこで令和に大復活させるのが上のやつです。

節米料理 - Wikipedia

楠木正成 - Wikipedia

楠公飯については某アニメ映画公開の時に試したことがあります。固いもの大好きな私にはとても美味しいご飯🍚デス。とにかく、これで新嘗祭まで粘ってその後でおにぎり🍙天国じゃ😋

 

楠公飯で新嘗祭までもたなければ災害時用のふる~い米を食うまでじゃ。さすがに味は落ちていそうだけど、今まで一度も食べたことがないので想像できず。

 

仮に米が余っていたとしても、たまにこうしたご飯を食べてみると、腹いっぱい普通に新米を食えるありがたさがわかるかも😌🙏

 

米(稲)は宇迦之御魂神のイメージが強いはずです。

稲荷神社神紋の抱き稲紋をイメージできますよね😁 しかし、神話上稲と共に登場(退場?)するのは大宜津比売神です。

問題はお米がとれたとお礼に行ける神社が阿波ばかりなこと。ならば、お神札をお受けして神棚に祀ればよいのです😊

 

楠公飯、国策炊きから無理やり女神(大宜津比売神)の話にすることができる! お米は偉大なり。

 

おわりです😅

一宮神社(徳島県徳島市一宮町西丁244)

阿波国一宮は大麻比古神社ですが、他に一宮とされる(だった)神社が複数あります。その内のひとつが一宮神社です。こちらにお詣りしたかった理由は御祭神様でした。

#女神様イラストは弥都波能売神、瀬織津姫に続いて暫くの間大宜都比売でいきます。自分で描けないから作者さんに感謝です😌

 

目次

 

【御祭神】

大宜都比売命 天石門別八倉比売命

【御由緒】

一宮神社 (徳島市) - Wikipedia

 

県道からの入り口にある由緒看板

 

【一宮神社への道】

徳島県道21号沿いにあります。徳島市街からは8キロほど離れています。グーグルマップを見てこの辺りで何号線から折れて向かえばいいのか確認しておけば特にナビは要らないと思います。ですが、あと何キロかわかるので一応ナビ使用をおススメします🙂

 

道沿いに一宮城跡を訪れる方のための無料駐車場があります。この横から車一台幅の道を奥へ数十メートル進みます。

太鼓橋前に2~3台ほどとめられるスペースがあります。

こちらが一宮神社駐車スペースで初穂料を箱に入れる形になっています。私は神社が目的なのでこちらに駐車しました。

【👨‍🦽車椅子使用の方のための情報】

太鼓橋の横に架かる橋(通路)から中へ入れそうでした。幅が手で測って何センチだったか記録していないので通れるとはっきり書けないのですm(__)m

 

そこから先は石段が続いて鳥居をくぐるようになっていますが、向かって左側が斜面になっていて、最後に一段乗り越えれば平らな境内地です。

社殿や境内社前には大きな段差はないのでおまいりはできると思います。

 

もし太鼓橋横の通路(橋)が充分な幅が無い時は、由緒看板のある横からの入り口(参道)は低い段二つ越えれば朱の鳥居前に出ますので、こちらから入れるように思います。境内の様子に貼った写真で段の程度がわかります。

 

低いとはいえ、石段ですからできれば複数の介助者がいると安心でしょう🙂

 

 

【境内の様子】

県道から見る一宮神社

一宮神社社頭?(県道21号沿い境内入り口)

もう一つの横からの参道

太鼓橋(初代藩主蜂須賀家政公が奉納されたそうです)

朱の鳥居と正面参道

拝殿扁額

拝殿

本殿

本殿狛犬拡大

本殿看板

社殿全景

社殿遠景

拝殿横から朱の鳥居方向を

社殿向かって左横にある境内社

境内社(若葉神社)

境内社(地神塔)

境内社猿田彦神社

境内社(天神社)

境内社大己貴神社&事代主神社)

境内社(宗像神社)

境内社秋葉神社

境内社若宮神社

境内社(眾灵神社しゅうれいじんじゃ)

手水舎

石灯籠

神馬像

神馬像下から

狛犬(朱の鳥居前)

横から

狛犬(拝殿前)

狛犬(県道沿い入り口石段上)

#このブログは玉垣等の個人名はわからないようにボカシ処理をしています。お許しくださいm(__)m

【おまいりをおえて】

神社単体として見ると、一宮としては小さめに思えます。ですが、ここは非常に古い歴史を持つ神社でかつては第13番札所大日寺と一体の施設だったそうです。私がお詣りしている間に来た人は数人でした。それも向かいにあるからちょっと行ってみようといった感じでした。大日寺だけでなく一宮神社にもぜひお詣りしてください😌🙏

 

朱の鳥居の前にいる狛犬の間で瞬時に気の感じが激変します。面白くておことわりをしてから何度も繰り返しました😊 本殿横ではとても早い周期で何かが打ち寄せてくるような感じでした。神域とはこんな感じなのかとはっきりわかるのでこうした神社にはお詣りしてほしいです。何度も書いていますがそれはパワーを貰おうではなく、自身ではなかなか難しい軽い状態に一時的にしていただけることで、その後の暮らしで自身がどんな状態にあるかを掴みやすくして先へ進めるだろうと思うからです。別の言いかたをすると、神域の力を足掛かりとして己が逃げずに頑張ることで己の課題をこなして行けという感じでしょうか。

#いつも書いていて毎回これかとうんざりな方もおられるのは承知。初めての方向けに書いているのでお許しくださいm(__)m

 

こちらの太鼓橋は人が通るためのものではないらしいです。横に小さな橋が架かっているのにわざわざ渡る人もいないと思います。たぶん神様が渡られる橋なのでしょう。

 

大きめの八幡神社にはよく神馬像が奉納されています。ですが一頭のことが多いです。拝殿前に狛犬のように二頭並んでいるのは珍しいし、たいていは土台は一塊の石かコンクリ製です。分割されていて下を潜れるのはここが初めてです😮 古くからあるものにはくぐると願いが叶うとかの話があるものですけど、こちらにはそうした案内は見当たりませんでした。長い間にいつの間にかそこ特有のことが出来上がって伝えられていくのでしょうね、神社というものは。そういったことは置いといて、何度もくぐらせてもらいました😁

 

こちらの神社になぜお詣りしたかったかと言うと、それは大宜都比売命主祭神だからです。伊予之二名島(四国)の四つの面の阿波が大宜都比売です。大宜都比売が主祭神の神社は阿波にしかないのです。

 

大宜都比売命のイメージは神話上、切り殺されてかわいそう😥か、そんなもので料理作ってたのか⁈😱 のどちらかでしょう。実際にはそのどちらでもないです。たぶん皆さんが想像するのとは全然違う女神様だと思います。

 

食物(農産物)の女神とされていますが、それを生み出すためには何が必要かを考えると姿が見えてきます。正解は"水"です。ここからは皆さんが想像する楽しみのために書かないことにします😅

 

一宮神社は気のいい深い山中ではなく徳島市街からそう離れていない土地にありながらはっきりした神域を持つ綺麗ないい神社でした。

阿波神社(徳島県鳴門市大麻町池谷大石)

阿波神社は幻の官幣大社です。古代の天皇が御祭神の神社にはよくお詣りしてきたので、こちらもと思い大麻比古神社の後でお詣りしました。

 

目次

 

【御祭神】

土御門天皇(この話の頃は既に退位されて上皇

上は拝殿前にある御祭神説明のプレートの一部です。

【御由緒】

阿波神社 - Wikipedia

鳥居手前にある由緒看板(略記)

阿波神社への道】

徳島県道12号に面しています。これは西側から見た写真です。

大麻比古神社からはルートにもよりますが5~6キロくらいでしょうか。続けてのお詣りは楽です。

 

12号は通勤時間帯は交通量が多いようです。手前から案内看板でわかるのではないのと、鳥居が少し道からひっこんでいるため、気がついた時には急に止まれずに通り過ぎてしまうでしょう。ナビが必要な道ではありませんが、12号を走り出したらそろそろだなとわかるように案内してもらいましょう🙂 県道と境内地の間に一か所(中央部)でっぱりがあります。ここは気をつけてください。

 

車は鳥居のそばにとめないとダメな神社かな? 県社ならそれなりの台数駐車できるはずと思って車を降りて参道を歩いてみると、数十メートル入った所で未舗装の広い土地への出入り口がありました。真っすぐ続いているのは社殿へ向かう参道で車止めが置かれています。

数十台は軽くとめられるここが駐車場でした。上の写真の出入り口はこの写真では左奥になります。

車止めのために車椅子で通れる幅がなければ、この写真手前側から向かうことができたはずです。安心してお詣りできますね🙂

【👩‍🦽車椅子使用の方のための情報】

駐車場にとめて北へ進むと社殿は門と塀に囲まれています。下は駐車場の端から塀を見た写真です。

幅の広い石段がありましたが、スロープはないのでここから先は難しそうです。また、拝殿も同じく複数段あります。門からは奥の社殿が見えますので、外から遥拝する形になると思います。石段に充分な幅があるので、いつかスロープができたらいいなと思いました😌

 

 

【境内の様子】

阿波神社社頭

阿波神社の棟門と透塀(かなと思います)

斜めから手水舎辺りまで

ここは社務所か参集殿でしょうか

内側から(左端が授与所のようです)

裏側の様子

門越しに見る拝殿

阿波神社拝殿

拝殿斜めから

阿波神社本殿

拝殿横から門の方を

社殿遠景

ご神木夫婦松の碑(境内入り口近くにあります)

夫婦松由緒碑

鳥居横の阿波神社由緒看板(御由緒の所はこれの看板部分です)

土御門天皇火葬塚

 

【おまいりをおえて】

短期間に社殿を整備して県社に、そしてすぐに官幣大社昇格内定するも終戦によって近代社格制度は無くなって幻となりました。社殿ができてからの阿波神社の歴史は80年少々ですが、上皇を祀る社そのものは、阿波神社となってからと合わせて長い歴史があるみたいです🙂

 

お詣りしたのは朝の8時過ぎで既に強い日差しが降り注いでいました。こちらの境内は水分が少ないのもありますが、とてもからっとした明るさがありました。参道の途中から徐々に空気が変わっていった記憶があります。

 

参道を進んで見えてくる建物は赤茶色の屋根で、内側の社殿は緑青で統一された配色。これは他の神社ではあまり見られないものだと思います。

 

塀の内側は写真だとそう見えないかもしれませんが、結構な広さです。そこは清々しい空間なのはそうなのですけど、他の神社(前の大麻比古神社)とは全く違っています🙂

 

広くて乾いた土地というと、例えば学校の校庭がそうですが、それとも違うのです。無数の何かの圧みたいなものは特に感じませんでした。神社ごとに感じるものがほぼ同じであれば氏神様だけにお詣りすればよいのかもしれませんが、どれも違うのがまだ見ぬ社に想いを馳せる理由です😁

#上で書いていることはあくまでもその日の個人の感想です。感じ方は人それぞれでしょうから、何か違うのだろうなくらいに思ってください。

 

鳥居横に火葬塚があります。御遺骨はこちらではなく現長岡京市(金原陵)に移されたそうですがこちらにも手を合わせました🙏 天皇という存在は戦後を除いて民には遠い存在でしたが、確実に同じ時を生きてきたこと、その歴史の重さを塚を前に思っていました。

 

広い駐車場があることは書きましたが、社頭にその案内がないので走りながら見て知ってはいるが中に入ったことがない人が結構いそうな感じです。そのためか、貸し切り状態の神社を楽しませていただきました😁 ですが、朝こそ大勢の方がお詣りすべき時間帯です。ほぼ神話の時代の天皇ではない御祭神様は珍しいです。もっと大勢の参詣者でにぎわっていてほしいと思いました。鳴門市の神社巡りをしようと思われた方、幻の官幣大社も候補に加えられてはどうでしょう?

 

阿波神社は砂利の敷かれた境内が綺麗に清掃されていて、広い駐車場のあるお詣りしやすいいい神社でした。

大麻比古神社(徳島県鳴門市大麻町板東広塚13)

その国に来て一宮にお詣りしないのはと思って三日目最初の神社は大麻比古神社に決めていました。朝早くホテルを出て訪れたそこは別世界でした😃

 

目次

 

【御祭神】

大麻比古神 猿田彦神

【御由緒】

由緒書 - 大麻比古神社

大麻比古神社 - Wikipedia

上は公式サイトの御由緒のページです。御祭神大麻比古とはどなたのことなのかよく読む必要があります。

大麻比古神社への道】

鳴門市街から西へ10キロほどの所、吉野川から北へ7~8キロくらい進むと平地から山に変わります。その麓にあります。徳島県道12号から北へ進む時に大事なのは坂東谷川です。

 

坂東谷川にかかる橋の東側のたもとに白い縦長の案内看板があり、ここを曲がって川の土手から民家の間を抜けて突き当りを右折し(ここまで500メートルくらい)、すぐの交差点を左に曲がると高松自動車道下の向こう側に朱色の大鳥居の柱が見えます😃

約800メートルの参道は車でも通れてそのまま橋を渡って境内へ入れます。速度制限されていたかは覚えがありませんけど、参道ですから歩行者(参道脇民家の方?)に配慮してゆっくり進みました。

入った所が駐車場になっています。駐車場は橋の手前にもあります。細い道(通路?)で県道側駐車場と繋がっているみたいですね。全部で1000台も駐車できるそうです😮

 

休日等はたくさんの車がとまるのだと思いますが、朝早くは観光でのお詣りをする人もまだのようでどこも車の姿は(ほぼ)なかったです。

 

橋の西側の案内標識(大麻比古神社含む)がある大き目の交差点から徳島県道41号を北に1.5キロほど上がると神社の横に大きな第一駐車場があります。西から来られた方はこちらが止めるスペースに困らなくていいかもしれません。朝は8時から開くみたいで、早朝にお詣りしたい方は正面参道側か直接境内にとめるのだろうと思います。

 

駐車場は複数個所ありますから、ストリートビューで見てどこに駐車するのが自分のお詣りにはあっているのか予習してください。

【👨‍🦽車椅子使用の方のための情報】

境内駐車場から進む石段の左にこんな案内板がありました。

案内に従って建物の左奥へ進んでみると

歩いてのお詣りが難しい方のために専用駐車場がありました😃 

こちらから授与所前に出てそこから拝殿に行けるでしょう。拝殿前石畳部分に賽銭箱が置かれているので車椅子の方でも自分で賽銭を入れることができますね😊

 

境内社や二つの橋の辺りの石畳にはわずかな段差(凸凹)はありましたけど、お詣りが難しいほどではないと思います。大麻比古神拝殿向かって右の玉垣前に下のようなスロープも設けられていましたのでぐるりと一周できます😃 反対側障碍者用駐車場から本殿や境内社に行けますが、一周できるのは助かりますね。

 

 

【境内の様子】

大麻比古神社大鳥居

社号標を見て祓川橋を渡るといよいよ境内へ

境内駐車場から御神木のある土地へ

大麻比古神社御神木大楠

別方向から根本を

御神木説明板

楠から少し歩いた所から

大麻比古神社拝殿へ

拝殿正面

拝殿斜めから

本殿(横から)

本殿(背後)

社殿遠景

本殿後方に並ぶ境内社

神社とドイツ橋への道

境内社(豊受社)

境内社(山神社)

境内社(奥宮峰神社遥拝所)

奥宮看板

境内社中宮社)

境内社(水神社は社務所裏側にあります)

天神社(参道大鳥居のそばにあります)

野神社(天神社のそばに)

手水舎

古神札納所

狛犬(一の大鳥居をくぐった所)

狛犬(境内駐車場からの石段横)

狛犬(拝殿前)

和 じゃき~がまん~ と刻まれた石がそばに

手水舎横の梟の像(梟は大麻比古神社神の鳥)

 

メガネ橋案内板

メガネ橋1

メガネ橋2

メガネ橋の上

ドイツ橋案内板

もう一つの案内板

ドイツ橋

ドイツ橋を横から

ドイツ橋の奥にある鳥居と石段参道(丸山神社&丸山稲荷)

境内社の一部、神馬舎等撮っていないものがまだまだあります。

 

【おまいりをおえて】

公式で”たいまひこ”は間違いとわざわざ書かれているのにふいてしまいました😅 これは仕方ないでしょうね。我が家も神棚にお神札を祀ってと思い始めた人が最初に知る用語が神宮大麻でしょうから。神社=大麻(たいま)と意識に刷り込まれているはず。ちなみに私が名前を見て最初に思ったのはもうひとつ違う例としてあげられていた”おおまひこ”の方でした😅 名前を間違えるのは失礼なので最初にしっかり調べないといけません(反省しました)。

 

朝7時過ぎに着いた朝日で祓われた境内は私の想像を超えていました😲 清々しさとかいうレベルではありませんでした。これが阿波一宮の気かと、早くにホテルを出てよかったと喜びながら境内を歩きました。

 

最初に気の違いを感じられるのは参道途中にある御神木の楠です。非常にひんやりとして気持ちがよいのです。温度ではなく、放射しているものもその時の私には澄んでいて身体に沁みこんでくるように感じていました。

 

本殿裏からドイツ橋へ向かう所、境内社がありますが特に鳥居をくぐってから先が温度変化が大きいように感じます。ただし、本殿周辺とは違ってやや突き刺すような感じがありました。本殿裏辺りはそんな一種の粗さは全くありません。とても軽くて澄んだ気が上空に上がって行くようで、自分自身も上に引き上げられるような心地よさを感じて立っていました😌 祓川橋から見た境内上を覆うようなもやに感じたものは正しかったです。

 

とにかく、早朝の大麻比古神社境内はどこも素晴らしい空間でした。その中にさらに素晴らしい場が点在しているのです。夕方にその日最後の神社として(ホテルが近かったので)無理にお詣りしなかったのがよかったと今も思います。

#いつも書いていることですが、これらの感想はあくまでもその日の個人がそう思ったにすぎないことです。他の方とは違っているかもしれません。できれば実際にご自身で感じてみてください。

 

写真を観るだけで、あの日自分のいた空間に入れる(イメージの中で)神社はやはりその数が減ります。こちらは長く残り続けることになりそうです😊

 

素晴らしい力、これを自分がどれだけ貰えるかと考えるのではなく、そうしたものが昔から今も在り続ける国に自分が生まれてきたことの喜びを己の器の内に満たすきっかけにしてほしいなといつも思います。くれくれ君(死語)はよくないです、人間も神々にも。

 

目に見えないものだけでなく見えるものも大麻比古神社は素晴らしかったです。多くの方の想いで作られた社殿や、身体障碍者に優しい施設(駐車場やスロープ等に案内板も)に神々ではなく人の心を感じます。社殿の屋根は葺き替えられてまだそう時間が経っておらず、茶褐色になった銅板は檜皮葺きのように落ち着いた風格を備えていました。これが淡い青緑になる頃生きていたらまたお詣りしたいものです。

 

坂東俘虜収容所のことは、小学生の頃に学校で受け取って帰った本に子供向けに書かれていたのを読んで知っていました。二十年ほど前に松平健主演で映画化されましたので観て知った方もおられるでしょう。大麻比古神社はお詣りを指示されていたので行こうと思っていたのです。そこに昔読んだ坂東のドイツ兵捕虜が作った橋があったとは。これはとても重要な意味を持っています。答えは書きません。一人一人答えは違っても考える過程が大事ですから🙂 できればほんのちょっとでいいので考えてみてください。本当はこれはSNSでね流しする反対のものになるべきことなのです。

 

阿波国一宮である大麻比古神社神職常駐故にとても清浄にたもたれており、神社が特殊な場である意味を多くの方がはっきり実感できると確信したいい神社でした。

#なんだかべた褒めですが、これは私が遠方の神社をお詣りするのがたいていは陽が高く昇ってからということも影響しているはずと書いておきます😅

龍王神社🐉(徳島県那賀郡那賀町朴野宮ノ西)

帰り道の都合で国道195号へ向かわねばならず、道沿いにある神社でちょうどいい位置にあったのがこちらの龍王神社でした。水に関係する神社を続けてお詣りして二日目は終りです。

 

目次

 

【御祭神】

豊玉彦 豊玉姫

【御由緒】

 

上は参道にある由緒看板です。真新しい看板に引き寄せられて神社のことを知ることになるので、綺麗な由緒看板はいいものだと思います。

 

龍王神社への道】

徳島県南部を東西に延びる国道195号の真ん中よりやや東よりの位置にあります。今回は海陽町から国道55号を走って美波町まで戻り、そこから徳島県道19号を約12キロ北上して国道195号を目指しました。195号まで来て西へ向かうと6キロくらいで龍王神社に着くのです。

 

徳島県の主要な道路を見ていくと次第にわかってくるのですが、南北に延びる道路は四国山地の峠でそれまでの片側一車線の快適な道が突然車一台幅に変わるのです。だから香川から193号で南下すればすぐに195号にぶつかってこちらに行ける、なんてことはたぶんありません。

 

安全第一だと徳島市から海沿いの町を南下していく国道55号のどこかで国道195号へのルートをとなるのでしょうか。地元の方なら交通状況を御存じだから、ここへ行くにはこの時間にこの道でと判断できるのでしょうけど、他府県からの参詣者には難しいです😑 遠回りでも片側一車線の道を選ぶのが楽に着けると思いました。今回は海沿いの神社を巡ってから少しだけ奥へ入るので遠回りの問題はなかったです。

 

駐車場はみあたりませんが小さな車一台なら一の鳥居辺りに邪魔にならずにとめられそうだったので、お詣り中こちらにとめました。

【👩‍🦽車椅子使用の方のための情報】

那賀川の北側で山ではないために境内へは長い石段はありません。正面参道(二の鳥居)には何段かありますが、境内横の出入口は平らな道です。

ただし、社殿のある土地は石垣で一段高くなっていて少し石段を上がることになります。玉垣で囲まれていてスロープは無かった記憶があります(その写真も無いのでそれであっているはず)。

 

社殿正面の下から自由参拝になると思います🙂

 

 

【境内の様子】

龍王神社社号標

龍王神社社頭

参道(一の鳥居をくぐった辺り)

参道途中から観る境内

二の鳥居へ

二の鳥居

拝殿前から前の境内を

社殿と玉垣

拝殿

本殿

社殿全景

境内社(山神社)

境内社和霊神社

境内社八幡神社若宮神社

手水舎

神龍像と礎石

神龍

狛犬(拝殿前玉垣

 

【おまいりをおえて】

道から数十メートル引っ込んだ所に鳥居があるため、道沿いに社号標が建っていても気がつきにくく、気がついても通り過ぎてしまうと思いました。グーグルのクチコミも少ないです。長い石段が無いので、バイクでツーリング中に立ち寄るのには向いているはずです。

 

山中ではありませんが、道からやや南へ離れて那賀川の曲がる地点にあるためか、非常に静謐な境内が広がっていました😃 山からの力と川の力がたまる所なのかもしれません(土地を見てすぐわかるような知識も特殊な能力もありません)。

 

境内はとても落ち着いていて澄んだ場でした。小雨が降ったり止んだりの午後4時だということを考えるとても良かった覚えがあります。

 

本殿とその周辺(に境内社がかたまっているためなのか)で結構痺れるなあと思いながら立っていました。

 

二の鳥居から手水舎まで広い土地で、玉垣内はそれほど広くはなく社殿等が集中しています。この辺り違いがわかりやすいですね。

本殿は拝殿に比べると小ぶりですけど、階段含めて非常に優美な印象でした。この段々が美しいです。社殿を横から見ると拝殿=人、本殿=神という役割の違いを意識させられます😌

 

龍王神社は新しい由緒看板や手水舎等、維持していく人の姿が見える(ように思った)綺麗ないい神社でした。

轟神社(徳島県海部郡海陽町平井字王余魚谷21-1)

多くの滝がある一番上に鍋割神社があってそこへ行きたかったのです。でも、遊歩道を1.5キロくらい歩かないといけないらしく、私の体力では難しいのと時間がないので、下にある本瀧神社にお詣りすることにしました。鍋割滝まではダメでもすぐ上にある轟神社にもと、無理をして石段を上がって先にお詣りすることに。

 

目次

 

【御祭神】

水波女命 國挟土命 大山祇命

【御由緒】

轟神社

上は神社公式です。こちらを読むとなるほどこんな神社なのかとよくわかります🙂

下の写真は社殿前にある由緒看板です。

【轟神社(本瀧神社)への道】

海陽町市街地で国道55号から国道193号へ進みます。15キロくらい北上して徳島県道148号へ入ります。ここから川の横をくねくね曲がる細い道が約10キロも続きます。軽い気持ちで行くと途中で後悔するかもしれませんが、それでも最後には来てよかったと思えるはずです🙂

 

道幅は平均すればミニバン一台が充分に余裕をもって走れるくらい? 所々少しだけ広がるのでそこですれ違うことは可能です。ただし、それを理解している対向車の場合です。それがわからずつっこんでくると難しいなと思いました。

 

お詣りしようと考えている方は一度ストリートビューでこの区間を走ってみることをおススメします🙂

 

轟神社への橋手前150メートルくらいに観光客用の未舗装駐車場があります。ここよりさらに近い所に舗装された10台近くとめられるとどろきの館横の駐車場もありました。

【👨‍🦽車椅子使用の方のための情報】

山の上の方にあります。途中までは坂道で上がれますが最後は長い石段になります。車椅子では無理です。下は橋を渡った参道始まりの辺りです。

反対側に轟本瀧神社と轟神社を結ぶ坂道があるのですが、かなりきつい急坂です😲

たぶん多くの方にとっては轟神社から降りてくるための道だと思われます。

こちらも逆に上がってのお詣りは難しいかと😔

 

轟本瀧神社だけでもと思われた方はとどろきの館そばの赤い橋ではなく、駐車場からそのまま川に沿って上流への道(私道だそうです)を進んで滝見橋を渡ります。緩い舗装された坂道の100メートル少し先に赤い鳥居があります。

#私はこちらの道は歩いていません。私道なら車で入って何か事故を起こすといけませんから、手前から車椅子で周囲の景色を眺めつつ向かうのがいいのではと思います。

 

ネット上の動画を観ました。本瀧神社鳥居が大きく見えてきた辺りに石段が数段あって、その横がスロープ状になっていますが幅は狭く、また柵もありません。川原に落ちたら終わりなのでここをどうするか。お詣りできるとしたらこちらのルートでしょうけど、車椅子の方はこちらからとは言えません😣 

 

ご自身でしっかり情報収集してくださいm(__)m

 

【境内の様子】

轟神社

 

橋を渡って、とどろきの館を見る

橋の上から下流

周辺案内図

轟神社石段参道始まり(案内図からここまで省略しました)

石段途中から下を

石段上部(ここから左へ進みます)

門を通って拝殿へ

門の社殿側

轟神社拝殿

本殿

社殿全景

境内社(奉納奉献者名はボカシ処理をしていますm(__)m)

狛犬

 

本瀧神社

 

轟本瀧神社拝殿とあります(轟神社境内端の本瀧神社へ下る道のそば)

轟本瀧神社遠景

轟本瀧神社

鳥居の向こう

轟の滝

轟の滝下流

おまけ

岩の凸凹の前に細かいしぶきが漂っているのがちょうどいい感じにぼんやりと帯状になっていて、とぐろを巻く龍神様🐉みたいに見えます。黄線は適当です😅 なんでもかんでも写真に写ったというのはアレですけど、あとでまたその時とは違ったものを楽しめるのが写真の良さ😙 これは上にある瀧の写真と同じ時に撮ったものです

 

【おまいりをおえて】

地名、魚編の漢字はある程度読めるのですけど、これは読めなかったです😮 淡水にすむ種類もいますが不思議な話です。

 

鍋割神社までは行けませんでしたけど、長い石段の上にある轟神社と下にある一番高さのある轟の滝で充分に満足しました😊 といっても鍋割へと言われていたのでそれは無視できません。下から遥拝してごまかしました😅

 

轟神社へ着いた時には息が上がっていてそこがどういった場であったとかはわかりません。とても涼しい場所でしたので、石段くらいは平気な方ならじっくりとその場の気と同調していけるかもしれないですね。

 

本瀧神社はただ清らかな所ではなく、とても強い力を感じる所でした。轟神社のあとに本瀧神社にお詣りなのだそうです。轟神社まで上がるのが難しい方はこちらから遥拝した後に本瀧神社をお詣りする形ではダメなのでしょうか。それでもよいなら、ぜひこちらの轟の滝を感じてほしいです😌

 

しぶきがかかるらしく、濡れてもすぐに乾く夏がいいように思いました(お詣り時には小雨になったのでしぶきとの区別がつかずです)。梅雨明け前のために水量は多めだったようです。

 

そのためでしょうけど、おまけのようなそれっぽいものが撮れたり。しかし、こうしたものはお遊びとして、その場で心を落ち着けて静かにおまいりすることに力を注いでください🙏

 

轟神社から下る道で何かが動いたので足をとめてよく見るとアオダイショウでした😁 道案内ご苦労様ですと挨拶。蛇は横の斜面を下って行きました。マムシでなければニコニコできていいです😊

 

山奥にある滝を眺め町では聴けない水音に包まれていると循環と浄化という仕組みを考えてしまいます。水神(龍神)様から何かをもらうことばかり考えずに、仕組みに沿って生きることを誓えば、自然に己に流れてくるものがあるように思います🙂

 

轟神社と本瀧神社は人の生きる基本にふれられる綺麗ないい神社でした。