ほわほわ神社生活

ほわほわ神社生活

神社が暮らしの中にあるおっさんの日常です。山陽地方の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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神社ごとのしきたり?

参拝時、拝殿前での作法は現在では二礼二拍手一礼が浸透し、一部神社(出雲大社等)をのぞいてはそうすることで他の参拝者から変な目で見られることもありません。

 

拝礼作法については統一されたと言っていいでしょうが、お祀り(お祭り)の仕方は地方ごと神社ごとに実にバラエティに富んでいて訪れる(密かな)楽しみになっています。

 

榊を例にとると、榊立にさすということについて明確な決まりはありません。注意して見ると一本の所、三本の所、形(枝ぶり)を重視してそれ以上の本数を使っている所、様々です。

 

お供えは榊のように決まっているわけではない(一部必須の物は除く)から、これは神社ごとの違いに驚かされますね。由来を知るとなるほどと思わされる物もあれば、不思議な感じのする物まで。

 

地元の人(氏子、崇敬者)がしていることはその人達にとってはしきたりで当然の行為で、他所からの参拝者にとっては奇異に見えてもそれが作法なのですよね。その地に住む者とその地の神との関係だから皆正解だということは深い意味があるのだろうと思います。

 

自由にお詣りしているとなかなかそういったことに触れる機会はないと思いますが、偶然そういったことに触れることがあるのも神社巡りの醍醐味だと思います。

 

コロナが終息して少し遠くの神社にお詣りして八百万の神を感じられる日が一日でも早く来ることを願います。

新年の準備開始

新年を迎える準備にあと3週間しか残り時間がない現実🙄

準備として、注連縄の購入とお神札を受けることの二つが中心になります。他には掃除ですね。

 

家の近所では早くも先月終わりにはしめ飾りが一部店頭に並んでいました。さすがに足をとめて見ている人はいませんでしたが、もう2週間もすれば買う人の姿が見られるようになるでしょう。

 

注連縄がJAのお店で売られていたと聞いて、覗いてみました。1尺5寸と2尺があったというのが理由です。うちの神棚は2尺、1尺5寸、1尺と三種類必要なのです。

 

売っていたのは〆の子付きのものでした。値段も安いし、早く確保したいので来年分はこれで。〆の子は雨を表しているそうですね。うちの宮形には淤加美神のお神札はありませんが雰囲気重視で😅 これは1尺5寸です。青い注連縄を見ると今年も終わりだなと感じます。夏までにはいわゆる藁の色に変わってしまいますから。

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お神札(複数)は受ける神社の方向別にルートを決めて行かねばならないから私の場合はどうしても数日かかります。郵送分も送られてくる日数を考えて申し込まねばなりません。今から始めても全く余裕がありません。

 

おにぎり🍙持参で今年一年の感謝を述べて新しいお神札を受ける。少しずつ気持ちも新たに。大晦日には穏やかな心で新年を待つ……が理想ですがなかなかそうはなりません。

 

皆さんも準備はお早く!

またまたお狐様

工作に励んでいたら23時過ぎていたのですぐに書ける”教えてお狐様”を。

 

バチをあてたことはありますか? あてる時はどんな感じにしますか? と伺いました。

以下、お返事。

 

「バチをあてたことはある。まず軽く警告をする。これはたまにある。警告に気がつかない時は少しきつめにバチをあてる。それでも何とも思わない者には本格的なバチをあてる。そこまでするのは数えるくらい」

文章にするとこんな感じでした(言葉で会話しているのではありません)。

 

お返事と矛盾するようですが、人間にも分かりやすい(上のお返事のような)理屈に沿って行っているのではないそうです。このお返事は私が人間として理解できるような文章に自分の答えを解釈していると。

全く違う理由とは言えないが「」の文章は正しいともいえないそうで、難しいです。

 

もしバチがあたったかもと心当たりがある時は、その神社のお神札を神棚に祀っていれば神棚に手を合わせてお詫びすべきだと。ひとまずそれで済むがやはり神社にやってきてお詫びするのが一番だそうです。

 

神社、お狐様によって当然対応は異なるそうです。今までお詣りしている神社では何も起こらなくても別の神社では叱られるのかもしれません。でも一般的な参拝作法を守ってお参りしてバチがあたることは流石にないようです。むやみに心配することはないと思います。前世でやらかした人以外は。でもそんなこと分かるわけないですよね。だから気乗りしないなら無理に稲荷神社に行くことはないと思います。

 

これはどの神社でも同じみたいです。おっかなびっくりお参りするなら無理に来なくてもいいと。強制しているわけではないので明るくお詣りできる状態(気持ち)になってから神社に行くということで構わないらしいです。

 

読んでどう思うかはご自由に。本当にお狐様とコンタクトしているのか低級霊にからかわれているのか、証明できないので。

鬼滅三社参りに対抗して

対抗してが意味不明ですが山陽地方のこちらは木花三社参りといこう! ٩( 'ω' )و

ということで、備中備後で見つけたコノハナサクヤヒメを祀る三つの神社を巡ろうという記事です。

 

花神社(このはなじんじゃ)については岡山県神社誌を見るとコノハナサクヤヒメが御祭神となっていましたので加えました。

#扁額は若一王子宮となっています。若一王子(にゃくいちおうじ)は瓊々杵尊とされています。それで奥さんであるサクヤヒメの名を名乗る神社に今はなっているのでしょう。

 

 

  

 

今月はお神札を受けに木花開耶姫神社に行かねばならないので三社参りできそうです。

自分だけの三社参りをあれこれ考えてみるのも楽しくていいですよ。

お詣り七つ道具

結構適当に出かけるのでお神酒や神拝詞あればいいのですが、そろそろきちんとしたセットを用意しようと思い、こんな感じに準備してみました

 

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  • 神拝詞あるいは祝詞
  • 御朱印
  • 授与品を受けるための専用財布(がま口)
  • 八足台
  • 折敷
  • お神酒
  • お水(ペットボトル)

 

上三つは神社巡りの必需品? ということで😅

 

八足台は賽銭箱周辺にそのままお供えを置くと汚れてしまいそうな場所もあったから、そういった所へ直に置くのはどうなんだろうと思っていましたので。自由参拝でもある程度きちんとした形をとりたかったのが理由です。個人の自由なので皆さんにはすすめません。ひとりひとりの参拝者がそんな物置いては迷惑でしょう。田舎で誰もいない神社限定です。

ラップを足に巻けば汚れている場所に八足を置いても、ラップだけ捨てれば大丈夫🙆‍♂️


折敷も同様に。

 

次にペットボトルのお水です。コロナで山中の神社以外でも水道をとめて手水を使えないようにしている神社が多いです。だから洗えないのは仕方ないというのではなく、計画してお詣りする時には準備する余裕があるのでやってみようというわけです。どなたかのブログで見てパクるこれだなと思いまして😅 お墓参りには水持参しますよね。

 

適当に思いつく物をあげたら言葉通り七つ道具だった。あとはこれを入れるお詣り専用袋を調達すれば完璧(かな)。

國司神社(岡山県井原市井原市美星町三山1215)

國司神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁

相談者曰く「井原市美星町のここ行っといで」

ということではるばるやってきました。 

 

地図で表示すると岡山県北(備中北部から美作西部)にひと塊になった國司神社群を見ることが出来ます。日本中調べてはいませんがこの辺りだけの神社なのでしょうか。

 

ここで先日の岡山県神社誌で調べると御祭神は大巳貴命。他の國司神社も大国主命単独か幾柱かの神の中で主祭神となっているようでした。

つまり、くにしとはおおくにという意味なのでしょう(あくまで推測です)。

 

a-wi.hatenablog.com

十数社の内、美星町にあるこの神社に着いたのは午後3時前でした。

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拝殿横に大きな御神木の切株(諸事情により写真無し)が有って、この木が生えていた頃見たかったなと思いながら本殿の方へ歩きました。ストリートビューによると2014年まではこの木はあったようです。

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 本殿裏に幾つか境内社があります。写真左の境内社横のかわいい狛ちゃんにお願いして写真をいただきました。

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ほぼ平地で地形からくるエネルギーは拝殿周囲ではよく分かりません。本殿の横あたりから清々しさが増してきます。そして、本殿真後ろに来ると急にほわっとした優しい放射に変わりました。何度も往復して確かめますがやっぱりそう感じます。何度も深呼吸してしまいました。

 

本殿裏の写真で分かるようにすぐ北側は田んぼ(畑?)になっていて、それほど多くの木に囲まれているわけではありません。中に数本、御神木なのかな? と思う木がありました。

 

すっきりした気分で帰ることができる良い神社でした。

 

帰宅途中に買い物しましたが妙に足が軽く動きました。本殿裏で深呼吸して気持ちいいなあと思ったのが何か影響したのかも? などと思えた夕方でした。

他の人が書いた神社での体験談を読む

少し前(昭和から平成にかけて)の日本ではお年寄り以外で神社に行くのが好きだと言おうものなら即ちょっと〇〇な人扱いな空気が確かにあったように思います。

それがパワースポットなる用語の浸透で変化があり、今世紀に入ってからはその場所としての神社にお詣りすること、そして続く御朱印ブームで、現代日本では市民権を(改めて)得たのではないでしょうか。

 

その結果、以前ではよほど親しい中でも口にすることを躊躇するような不思議な話もネットのおかげもあり発信しやすくなったと感じています。

 

神社好きな人のブログを読むとかなりの人がそれぞれの体験を書かれています。自分と同様の体験をした人の記事に頷き、初めて聞く体験にはいろいろと考えさせられます。

逆に、あえてそうした体験を記されていない人もいるでしょう。しかし、何かしら感じるものがなければ時間を割いて神社には行かないでしょうから、それを行間から読み取る作業もまた楽しいものです。

 

私がいつもほわほわなので、神様に歓迎されたといった記事ばかり目にするのかもしれませんが、ここでちょっと思うことを書いてみます。

 

昔の日本人は小さい頃、お年寄りからバチが当たった話を聞かされて育ったはずです。少なくとも私はそうでした。どこかに神社を恐れる気持ちが昭和の日本人にはあったと思います。当時の道徳教育でしょうが、人と神社の間に溝を作る負の面は完全に否定はできないはずです。

 

平成から令和の日本人は幼少期の刷り込みが(特に都市部では核家族化の進行で)あまり無かったため、書籍やネットで神様はありがたい存在だから会いに行こうと目にすると(御利益を望む下心はあるにしろ)心の壁を作らずに向かうから不思議な体験をしてそれを書く人が増えたのではと考えます。

 

私はいつもほわほわとか書いていますが、自分は神社で気分が悪くなってしまったという人もいるでしょう。バチが当たって怪我をしたとか亡くなったとかの話を聞いたこともあるでしょう。何から何まで良いことづくめではないということは否定しません。

 

それでも、体験談を読んで神社に行く事、伝統的木造建築の美しさに気づいたり、緑の癒しを感じたりといったことを楽しんでほしいと願っています。

 

朝爽やかなうちに氏神様へのお詣りを散歩として日課にするのは良い事です、きっと。もちろん私は布団神社にお詣りしますから他へは行きません😁

稲荷神棚の灯篭配線修理

先日の灯篭ですが常夜灯化しようとして触った結果、細い配線が基盤のハンダからとれてしまっていました。

 

まあ……普通の人が電池交換する時はスイッチは下部側面の切込みに固定されていて、配線を動かしてしまうことはないからとれる心配はないでしょうし、何も問題は起こらないのだと思います。

 

今はこんな風になっています。ゲジゲジ側二か所から線が自由に😑 

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このLEDは電球色ですが配線をスイッチを使用せずに電池から直接LEDに繋ぐと色が赤っぽく変化してしまいました。稲荷とはいえ、灯りまで赤ではちょっと困ります。それにゆらゆらせずに点きっぱなしになります。最大の利点が無くなるのは避けたい。だからどうしても元通りにしなければなりません。

 

半田ごてが行方不明でまた買わないとと思って調べたらダイソーにもあるとのこと。で、買ってきたのがこちらです。

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年に一回使うかどうかなのでこれでいいです。ハンダ溶かして線の先を埋めるだけなので。線を所定の位置にハンダ付けするのはすぐ終わります。片手で基盤と線を抑えて付けるのが面倒でした。

空きスペースに収めてぐらつかないように瞬間接着剤で固定して修理完了です😁

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 実際の神社で常夜灯が灯っていてお参りできるところは少ないですよね。夜にお参りしてはいけないと聞いて気になる人もいるでしょう。自宅神棚なら夜でも安心です。

 

と、書いて確認してみたらできないのです!😲 1年前に買った物と基盤が違いました。製品は同じでも細かい仕様変更されているようです。今回のは今のところ無加工で常時点灯はできないようでした。残念ですが仕方ありません。

ゆらめく灯りを見ながらお神酒で一杯やるのが楽しみなのに飲酒は一回5分しか許されないのでした😫

神も仏も見守る世界にあって

私は個人的な理由で記紀神話の神々と神社が好きですが、仏様とお寺が好きな人はそれでいいし、両方好きで神社もお寺も行くよという人も多いでしょう。

 

神社で時折感じますが、清らかを通り越して冷たいような雰囲気だと、人によっては厳格だとか神(神社)は怖いなどのイメージとして受け取るのではないかと。

お寺だと柔らかく迎えてくれるようなイメージが私にはあります。お寺の気を積極的に感じたことが殆ど無いので決めつけることはできないのですが。

お寺でも山の(僧侶の)修行の場としてのお寺と町中のお寺ではきっと違うのでしょうね。

 

神仏は違いはあるでしょうがどちらも高次元存在ですから、どう感じたにせよ、この世の人間を見守ってくださっているのは変わりないと思います。

 

でも自分に都合よく優しい存在と思うのは間違っています(ここは断言します)。時には理不尽としか思えないことも身に起こります。そうなる理由、高次元基準はこの世の人間には理解できないものでしょう。理解できないから否定では一歩も進めません。基準について望ましい態度は保留です。

 

神仏に見守られるこの世は様々な存在に溢れています。

 

己だけが存在の全てではない世界には他者が存在する理由(己が存在する理由も)が必ずあります。それは本を読んだり人の話を聴いたりするだけで理解できるのでしょうか。納得は難しいのではと思います。

 

人間が苦悩し、もがきながら一歩先へ進もうとする時、目に見えないが確かに何かを感じ取って、まるで霧が晴れたように心が澄む瞬間があります。その感じを掴んでほしいです。その時、己が内に湧き上がるものに気がつきます。きっと求めていた答えがそこに含まれていると思います。それ以上も。

 

苦しみについて日々必死に考え続けることと、差し出された見えない手に気がつくことは苦悩を越えて行く時、共にとても重要なことです。

 

神は神の、仏は仏のやり方で、人に働きかけているのだと私は体験から思うのです。

日常生活でそれに気が付ける人はおそらく限りなく少ないです。

求めている人がそもそも少ないです。

感じ取りやすい、気がつきやすい寺社仏閣という場はある意味近道です。

難しいことは抜きにして、時間があればお邪魔してみませんか。

ほわほわは楽しい第一歩😄

#こういう話は本当は長い時間をかけて練り上げて書いた方が良いものです。毎日更新と決めたもので、薄味です。←清々しい言い訳。

太老神社(岡山県浅口市金光町上竹2390)

太老神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁

若かりし頃、暇つぶしにお詣りしたことがあったなと思い出して先日お詣りしてきました。

 結構石段長かったはずだがまあ大丈夫だろうと思って上がったのですが……脳みそ(記憶)も体力も無惨としか言いようがないほど衰えていたのでした……。

 

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 石段、これは一部です。真っすぐ上がり、右に折れ曲がってまた左に折れて上を目指してとにかく上がる。角度もかなり急。民家との標高差で分かる通り、ここまで上がるのですから当然といえば当然😫  三百段以上あります! 手すりのおかげで相当助かってはいるのですが。

 

で、岡山県神社庁ページの写真を見ていただくとお分かりのように、ここ車で境内に入れます、実は。知ってはいたが車が汚かったので遠慮したのが大間違いでした。健康状態に不安がある人は選択の余地なく車です。神社前の広域農道、参道入口より少し西側に山に登る道があって車だとすぐです。

 

ここからようやく境内の話です。

 

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拝殿向かって左の壁にある箱は聖地巡礼に来た天地無用!ファンのための天地箱です。鍵が掛かっていますが私は開けて😅中を見ました。参拝ノートを読むとずっとファンのお詣りが絶えていないのが凄いです。

 

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石段途中の鳥居前には古い狛犬がいますが本殿横にはお狐様の姿が? 御祭神は天鈿女命と岐神(要するに猿田毘古神 )。この二柱の神、稲荷神社の御祭神として宇迦之御魂神と一緒に祀られていることがあります。ちょっと面白いですね。天鈿女命のご眷属は鶏で狐ではないのです。その辺りのことは火事で失われた文書に書かれていたかもと考えてしまいました。 このお狐様以外にもいろいろな姿のご眷属(像のことではありません)がここにはおられるようです。

 

特に巨木(ご神木)は無くてもこの神社のある山自体の力があると思います。山上の神社特有の感じはたぶん有ったのでしょうけれど、息が上がって疲労感が消えないので微妙な感覚は正直分からず帰ることになりました。上の境内はよく掃除されていて気持ちの良い神社でした。

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