家にも学校にも居場所がなく心が安らぐ時がないと疲労がたまって心身が限界に達するのに長い時間はかからないでしょうね。自己肯定感が下がってしまったら上げないといつまでも苦しみが再生産されます。
しかし、他者との交わりの中では難しい状態になっている故に簡単ではない。人があまりいない環境で、自分がしていることに誇りを持てるようなことからやってみるのがよいのかも。それが可能な場所があります。
神社やお寺は朝に神職や僧侶が掃除をしておられます。お願いして(週に一度くらいから)自分も参加させてもらいましょう。良い点は複数あります。
・早朝起きることで生活リズムを整えることができる。
・己がしたこと(境内が綺麗になっていく)をその場で確かめることができる。
・神職や僧侶、早朝おまいりをするお年寄りくらいの人間関係
私じゃなくても誰でもできること(だから私はいらないとの思い)はその通り。でも、それを実際にする人はぐっと減るのがこの世の常。あなたはそれをやりました。その結果、境内は綺麗に維持されることに。今日も明日も神仏と人、人と人との交流の場を保つ流れの中にあなたははじかれることなく存在しています。
小さな場の神職や僧侶は独りで充分にできるから、もしかしたら清掃奉仕の人をお願いしなくて良い場合もあるでしょう。でも奉仕の心を受け入れてそうさせてくれたなら、あなたを尊重してくれたことになります。
昼間は誰もいないように見える寺社も早朝にはおまいりする人がいるものです。若い人が寺社のために働いている姿は、そうした人の心にあなたへの厚意を芽生えさせても不思議ではないです。挨拶する中になると何かお土産をくれるかも。自分のために誰かが厚意を行為にわかりやすく変えて見せてくれる。これは後々まで影響することなのです。
#そのうちにあまりにも不自然な体験をするかもしれませんが、それを何でも神仏からの応えというのは今回はやめておきましょう。
寺社にいる神使(ご眷属)は寺社のために働いてくれる者を大切に思って扱ってくださいます。あなたの抱える問題を解決するために背中を押してくれることでしょう。
居場所というものは己自身で作っていくのです。大人になれば家と学校ではない無数の場が待っています。居心地のいい場所もよくない場所もどちらもあります。大人の場合は自身で選んでいかねばなりませんがそれはまた別の機会に。
寺社は一例です。暗い世界にいて他に考えられないならひとつの候補としてはどうでしょうかという話でした。