ほわほわ神社生活

ほわほわ神社生活

神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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春の宴🍶

お礼詣りに#産土神社に行きました。これからしばらくは遠くの神社巡りはお休みしてお礼詣りが続きます。あと4社ほどあるのです。

#ここでは氏神様とは別に町内にある神社のことです。また、清掃などの管理を付近住民で受け持っていてそこそこ自由がある神社のことです。

 

私の産土神社は普段お詣りに来る人はまれです。なので、何か用でお邪魔するといつも貸し切りです。

 

今日はお供えの品(寿司等)を持って拝殿に上がり、八足台替わりの机に三方を置いてご馳走と酒を並べました。神職ではないので一連の儀式は行えませんが大祓詞は奏上します。その後はスマホから越天楽を流して雅な雰囲気の中、ご馳走を召し上がっていただく間に今回のお願いのお礼を思いつくままに話ました。

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姿はもちろん見えないのですけど、神々ご眷属様と一緒に楽しい時を過ごすと身も心も軽くなったような気がしました。

 

神棚がある人は何かあると神棚にお供えして自宅でお参りすると思います。あれの場が神社に替わっただけ。言い方を変えれば、自分が入れる特大の神棚状態です。

 

遠くの大神社と近くの小さな産土神社とは関係が違います。産土神社の方々はその土地で共に暮らしている隣人です。畏まって自分を小さくすることはないと私は思います。神様との距離はこちらから近づかねば縮まりません。だから、怖れより慕うことを大切にしていきたいです。

 

かつてあった隣人との親しい行き来を神々相手に復活です。他者は敵ではなく、交わり共に学ぶ仲間です。今の世では難しいことも多いですけどね。自分を上にして他者を貶めて保つ自己などいらないでしょ? 神々相手では自分を上にはできませんから違った心が必要です。それはいい学びに繋がるように思います。必ずとは言えないのはその人がどこまで成長しているかで違ってくるからです。

 

誰も見ていない知らない宴がこの世の片隅にこの日あったという話でした。あなたも自分に許された居場所で噂話も愚痴もない嬉しい宴をいつか楽しんでくれたらいいなと思い、この記事はおわりです。