このタイトルは何だ? と思われたでしょうから最初に書いておくと、いつものやつに最後はなります。そのうえで続きをどうぞ😅
玉砂利は一部敷いた場合、掃き掃除で他へ移動していくことや人が踏むことで地面にめり込むことにより、次第に減っていきます。定期的に補充してやらないといけません。今までは近所のホームセンターで一袋か二袋買って、汚れているのでバケツに入れてしっかり洗ってから撒いていました。
お正月準備にとりかかっていて、しっかり厚みのある砂利にしたいと思って仕事帰りに立ち寄りました。が、店外が妙にスカスカなのです? 豊富にあった砂利は数種類残して消え去っていました😥
別の店に行ってみます。なぜかありません。隣町まで出かけましたがこちらにもありません。あと二つホームセンターに行って無ければ通販しかないかも。
石は大磯砂です。バラスと違って角のない丸い石で、踏む足裏の感触もよくて気に入っていたのです。今まであったものがじわじわ無くなっていくのは人の信仰心だけで充分なのです😢
気をとりなおして年末拭き上げ大会を開催します(参加者一名)。
新品の雑巾がたちまちこんな感じに。これでも一度綺麗にしているからこのくらいです。最初の年は数回拭くとその面はべったり汚れて古い雑巾色に早変わりでしたから。五枚十枚なんてすぐ終了です。
いろいろ洗浄剤もあるようですがもし失敗したら大変なことになるので、私はいつも水で濡らして固く絞った雑巾(新品)で力をあまり入れずにひたすら拭き続けます。次第に灰褐色だった外宮(そとみや)の桧材に茶色の部分が増えてきて最後にはきつね色になります😆 たぶん全体で数千回から一万回くらい往復運動しているはず。
この写真だと肉眼で見た時のように黄色っぽくは見えないですね。箇所によって杉と桧を使い分けているのかも。写真のは杉かな?
一日では無理なので数日に分けて行います。それが数社なので一か月くらい前から始めないと綺麗な社で正月は難しくなるのです。半世紀過ぎた社がまだそんなに古くないように見えるようになると喜びは大きいです😊
人はどうしても見た目で判断します、人も神社も。おっさんは別にそれでいいのですけど、お世話になった神様まで判断されてはちょっと申し訳ないので。
これも循環の一環です。私の死後も今流したものはどこかへ流れていくでしょう。SNSで言葉(エネルギー)の”ねながし”をしながら、「ここしか出すところがない」という皆さん、自分が出したものが補充されるのだから、いつまで経っても自分へ流れてくるのは自分をむしばむ"ね”です。
少し動ける時に掃除をして変化を感じてみたらと思います。たぶん今までのあなたに入ってきたものとは異なっているでしょう。人は自分より大きな何かを感じないと変われないのかもと昔の自分にも言いたいです🙂
最後はこれ😅 なんという力技でしょうか。
追記
なんとか使えそうなものを見つけました😄