ほわほわ神社生活

ほわほわ神社生活

神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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他の人が書いた神社での体験談を読む

少し前(昭和から平成にかけて)の日本ではお年寄り以外で神社に行くのが好きだと言おうものなら即ちょっと〇〇な人扱いな空気が確かにあったように思います。

それがパワースポットなる用語の浸透で変化があり、今世紀に入ってからはその場所としての神社にお詣りすること、そして続く御朱印ブームで、現代日本では市民権を(改めて)得たのではないでしょうか。

 

その結果、以前ではよほど親しい中でも口にすることを躊躇するような不思議な話もネットのおかげもあり発信しやすくなったと感じています。

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神社好きな人のブログを読むとかなりの人がそれぞれの体験を書かれています。自分と同様の体験をした人の記事に頷き、初めて聞く体験にはいろいろと考えさせられます。

逆に、あえてそうした体験を記されていない人もいるでしょう。しかし、何かしら感じるものがなければ時間を割いて神社には行かないでしょうから、それを行間から読み取る作業もまた楽しいものです。

 

私がいつもほわほわなので、神様に歓迎されたといった記事ばかり目にするのかもしれませんが、ここでちょっと思うことを書いてみます。

 

昔の日本人は小さい頃、お年寄りからバチが当たった話を聞かされて育ったはずです。少なくとも私はそうでした。どこかに神社を恐れる気持ちが昭和の日本人にはあったと思います。当時の道徳教育でしょうが、人と神社の間に溝を作る負の面は完全に否定はできないはずです。

 

平成から令和の日本人は幼少期の刷り込みが(特に都市部では核家族化の進行で)あまり無かったため、書籍やネットで神様はありがたい存在だから会いに行こうと目にすると(御利益を望む下心はあるにしろ)心の壁を作らずに向かうから不思議な体験をしてそれを書く人が増えたのではと考えます。

 

私はいつもほわほわとか書いていますが、自分は神社で気分が悪くなってしまったという人もいるでしょう。バチが当たって怪我をしたとか亡くなったとかの話を聞いたこともあるでしょう。何から何まで良いことづくめではないということは否定しません。

 

それでも、体験談を読んで神社に行く事、伝統的木造建築の美しさに気づいたり、緑の癒しを感じたりといったことを楽しんでほしいと願っています。

 

朝爽やかなうちに氏神様へのお詣りを散歩として日課にするのは良い事です、きっと。もちろん私は布団神社にお詣りしますから他へは行きません😁 ふわふわです。