磐座と呼ばれるもの(場所)は山に多いです。そこに恒久的な祭祀の施設を作ったのが神社(の一部)ですがその場合は当然ながら山に現れる大地の力があるわけです。
一方、埋め立てで生まれた居住地には大地の強い力はどうしても不足します。
埋立地にはその手前まで延びていた大地のエネルギーの流れがやがて及ぶと聞きました。しかし、普通はあまり強いものではないようです。
現実には江戸時代以来の干拓で大きく広がった平地があり、平地ゆえに都市ができてそこに住む人のために新たに作られた神社にも力が充分にあることも。
これは見えざるものに対する人の力の大きさを示すものです。新たに生まれた土地にも御神木となる木が植えられ、立派な社叢となれば力を生み出す元として機能するようになります。神池が澄んだ水を湛えるようになれば社叢とはまた異なる力も加わります。
山際にある全くお詣りされず荒れ放題の社(いわゆるパワースポットでない神社)とコンクリートとアスファルトの上のお詣りの絶えない神社では後者が良い気を放っていることもあるようです。
清浄さは大事。保つための想いは力だと。例えば神社にある物を石で作れば長く綺麗です。でも、それはあまりよくないようです。手がかからなくなると人の想いは離れてしまうからだそうです。
高次元存在の力がうんぬんとは今回あえて書きません。それはもう一方の大事な要素ですがそれを書くと人間側の影響力について話していることがぼやけてしまいますから。
この世の人間にとって大事なことは自分達が出来ることをするということだそうです。当たり前のようで難しいので頑張るようにと。
つまり……掃除したりちょっとした神具を奉納したりしてほわほわしよう! ということです😁←また無理やりにこの結論。