人間の外(器、肉体)は差が大きいです。神仏がデザインする時に本当は均質な器を用意するのは簡単だったはずです。あえて差異がある理由は今更くどくど書きません。違いが必要とだけ書きます。
内側(魂、霊)も同じです。生まれた時期も成長度合いも千差万別、一人として同じではありません。人の中身の違いは外の器の差異など比較にならないほど大きなものです。
どんな人も人としてこの世(三次元)にあれば同じ権利の元にあります。魂の年齢差(経験値)は考慮されません。それはこの世的にはよいことです。
逆に、三次元で同じように見えても高次元から見て同じかといえば、厳然とした違いが一人一人にあります。
それをこの世の姿や能力だけを見て判断することは愚かで高慢以外の何物でもないです。皆、他と置き換えられない無二のものですから。
神仏の世界全てを見通せる者はこの次元にはいません。皆、一部だけを見ています。己が見ている感じているものと他者がそうしているものとが違っていても当然です。その当たり前を忘れ、己が正しく他者は間違いと断ずる傲慢さは高次元との間の最も強固な壁です。この次元での霊的能力の差はその人の魂の成長度とは関係ありません。より大事なのは一歩一歩成長していくことです。他者を貶めるのは成長にはつながりません。
この世は学び(遊び含む)の場です。与えられた教材の中から何を学ぶかは各自が選べます(高次元保証付)。様々な人が伝える目に見えない世界のこと、どう判断するかも学びです。そこに他者への敬意を持ってすればきっとこの人生で大切なものを持って上へ還ることができると思います。
#何の話? と思われたはず。一部の人の問題を書いているので、読者の皆さんには無関係です😅