ほわほわ神社生活

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神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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ある狼のご眷属様との話

お詣りした神社をまとめないといけないので春から長く書いていなかったご眷属様の話を久しぶりに。今回は狼様。お詣り時にいろいろと言われていることについて質問してみました。

 

 

目次

 

【食事とお詣り】

神社への供え物としてはすすめられていない食べ物もあります。そうした人間の食事と神社の関係についてたずねてみました。

 

私「供えるべきものに入っていないものは、やっぱりダメなのでしょうか?」

狼「その神社の伝統的な神事以外ではやめておいた方がよい」

私「手水舎で清めますがそれは意味がないですか?」

狼「清めようと思う心と水そのものの力は少しは良くするが帳消しにできるほどは力がないことが多い。水神を祀る社で御神水を使っている手水なら力があるが神社はそれぞれ清める力は違っている。そのために、神社によっては手水舎に担当眷属がいてサッと祓ったりしていることがある。」

私「手水舎(手水鉢)は素通りしない方がよいのですね。でも山中の神社では手水鉢の水があまり綺麗ではないことが多いです。その場合は素通りになってしまうと思いますが、形だけでも清める意識を持つ方がいいのでしょうか?」

狼「汚れているならやむをえない。その手水の場で実際に水を使わなくても、一度自身の心を清らかにして(そう思って)からさらに奥の神域へと向かう心がけは悪いことではない」

 

【昇殿参拝と自由参拝】

私「物によっては食べた後のお詣りを気にする人がいますがこの場合はどうでしょうか?」

狼「少し影響はあるものもあるが我慢できないほどではない」

私「神社にいることは気にならないと?」

狼「気になるものもある」

 

私「自由参拝は今の食生活では仕方ないところがあるということでいいですか?」

狼「時代の変化だ(仕方ない)」

私「御祈祷で昇殿参拝だと違いますか?」

狼「社殿に上がる時は控えるのがよい」

 

私「何が問題ですか?」

狼「霊的(気)問題と人の心の問題だ」

私「後者は神社と自宅とを同じと考えているように思われるのですか?」

狼「人と神との違いをあまり考えていないのを気にしている」

 

私「神社ではなく屋敷神(祠)だと人間の食事(調理)の影響を常に受けてしまうと思います。その場合はどうなのでしょう?」

狼「神域ではなく人間の住む土地に祀られている以上はそれも仕方ないこと」

私「いてくださることに感謝しないといけませんね」

 

【御利益への影響】

私「神社だから控えておこうと思う者と食ってから来る者とで違いはありますか?」

狼「願いを叶えるかどうかという意味なら違いはない」

私「同じですか。少しは違うのかと思いました」

狼「なんとかしてやらねばという事態なら動く」

私「それでは神への敬意の差は問題なしだと?」

狼「敬意(の表し方)にも各自違いがある。単純な問題ではない。ただし、精一杯のことをその者なりに考えてしようとしたことは好ましくは思う」

私「神社でのマナーについていろいろ言われていますが何が正しいかは人には正直わからないと思います。バチをおそれて言われていることをなんでもただ守ろうとするのはどうでしょうか?」

狼「バチを恐れるならなぜわざわざ来るのか? 敬意とおそれは違う。お詣りのマナーと今されている最低限のことだけでよい。してはならないことは宮司が注連縄を張ったり、その神社での禁止事項について看板を立てているはずだからそれを守ればよい」

 

【おわりに】

実際には質問してそれでよいかダメかを問うているわけで、こんなに人間の言葉でやり取りしているのではありません。確認してダメな所は修正します。

 

基本的に人間の暮らしからの影響はやはりあるようです。ですが、今の社会では特に一般人では仕方ないと目をつぶる状態みたいでした。

 

手水鉢のことは、ここからは清めてからの場所=神社の特殊性を認めたということが違いとなる話です。

 

意外なのは大きな意味を持つ願いを叶える上では差をつけないとの回答でした。逆に言えば、願いを叶えてほしくてではないお詣り(挨拶)には差があるかもということでしょう。

 

お詣り時に注意することとして強調されていたのは、委縮してはダメだということでした。良い力を与えようとしても委縮しているとやりにくいので、敬いと生きているからこそお詣りできる喜びを同時に持って参るようにとのことでした。

 

あと、こうした記事は鵜呑みにするのではなく、考えるきっかけにしてほしいと望まれていました😅

 

追記

食事についてそうしなかったから悪いと言いたいのではありません。