妹から聴く神社ネットワーク管理者の実態。おそらく今まで語られたことのない現代のおとぎ話。
目次
【神社ネットワーク管理者が持つ力の詳細】
神社ネットワーク管理者が持つ力は物理次元(ここでは三次元のこの世のこと)に物理的に作用するものではありません。神仏が上の次元から三次元へ流す見えない力と反対にこの次元から上への還流がその力🙂
人であれ神仏であれ、その存在が霊的な成長に応じて発揮(放射)する力は増大します。物質にのみとらわれている者の発する思念(放射)に対して、ある程度悟った物質への執着が薄れた者の思念の力は遥かに強力。それでも数千倍とか他の事で日常生活で目にするくらいには現実的な数値。
#この時点でおかしいと思われるのはわかります😅 この後、さらに驚くことになります。
それに対して神社ネットワーク管理者(一人ではないとのこと)の持つ思念の力は人によって違うものの、軽く垓倍とか正倍に達するそうです。そのまま信じることのできない話ですね、こうなると。でも、それくらいでないと、土地に今まで積み重なった因果を無視して強制的に吹き飛ばすことはできないのだそうです。
#イヤシロチ再生は簡単でもケガレチはその力をもってしても一度では困難だとか。
上でケガレチと書いているのはネガティブな念が積もりに積もった溜まり場。人がどうすることもできない悲しみの念を発してしまう場がいろいろあります。これは人が作り出したものだから人の手で解消しないとダメなものです。ですが、今の世ではとても困難だと。霊的に生死の仕組みを納得していたら発する念もそこまで強くはなかったと思いますが、これは魂の年齢差で仕方ないことかもしれません😔
三次元の人間が存在することで常に放射する範囲(場)は平均的な成長段階にある人で半径約2メートル程度とのこと。神社ネットワーク管理者の中には自分を中心に置いた時に1平方キロメートルをすっぽり覆う存在もいるとか。思念の力において人間の域はとっくに超えているのが神社ネットワーク管理者達です😮
その力の源泉は自身の意識と”〇〇”です。
【波の祓い、慈雨の祓い】
思念ゆえにその世界において放射は自在にコントロールできるもののようです。例えば、祓い清めるのに神道では水が重要なように、思念で洗い流すのを得意とする管理者がいるそうです。
水は波となって一切を洗い流すこともあれば、降り注ぐ雨となって穢れを溶かし込むこともあります。
鏡のような水面に投げ込まれた小石が周辺に波を作って広げるように、神域で己から拓く放射で穢れを押し流すことも、乾いた大地を潤す優しい雨のようにエネルギーを降り注いで変えていくことも自由自在。神域の広さや状態に応じて適切に対処するのだとか😮
思念は時空を超越するので直接現場となる神域を訪れることもなく、必要なら自宅から清めの線状降水帯を出現させることで無数の神社を繋ぐエネルギーの道をかなりの広範囲で整えることも可能とか聴くと、人間の役割はなんだろうと思うことでしょう。それについては最後に書きます。
【終わりに】
神社ネットワーク管理者は人間がもう少し我よしを抑えて進んで行ったなら生まれることのなかった(必要なかった)存在だそうです。世の祓い清めだけなら神社ネットワーク管理者チームだけで可能なのかもしれません。ですが、それでは他の人はどうすればいいのでしょうか? なぜ存在するのでしょうか?🙄
三次元は三次元にいる人間に任されている以上、一人残らず責務があるのです。一人分は微々たるものです。でも大勢が背負わないというなら高次元の管理者権限でなんとかしないといけなくなる。ただそれだけのこと。
そんなことを言われてもどうしたらいいかわからない? 借りた側がすることは、この世に来た時よりも美しく。たったこれだけです、いつの世も😑
#めざしたがダメだったというのとめざすことをしなかったのは天と地ほど違います。分担を処理することと人生を楽しむことは両立します。よって言い訳は通用しないのです。
美しくは物心共にです。ゴミ拾い結構。誰かが執着に苦しんでいたらそこから抜け出せるようほんの少しだけ手をかすも結構。より美しくはより明るくで結構。
我よしが出す放射よりも皆よしの放射の方を上回らせたらたぶんそれでいいのでしょう😌
でも今は全体として全く足りないのが哀しいですね😥
少しでも流れを変えていきましょう(生きましょう、行きましょう)。