草薙剣のあやしい解釈と、思念のレプリカを持つことの話です。
#今回は今まで書いてきた記事の中で一番慎重な扱いが必要になるものです。読むだけなら何も問題ありませんが、実行は熟慮と覚悟が必要です。
目次
【草薙剣の話の意味】
相模国で周りに火を放たれた時に日本武尊が天叢雲剣で草を薙ぎ払ったことから草薙剣とも呼ばれるようになったのは記紀神話好きならご存じのはず。
記紀神話は解釈がいかようにもできます。後世に伝えたいために書かされている本ですから、日本武尊の話では尊から学ぶべきものがあります。あとはどう受け取るかです。
剣は危難を切り抜ける力(心)の象徴ととらえてよいと思います。それを置いて危難に向かえばきり抜けるのは難しくなるでしょう。
本物は誰も見ることもできず触れることもできませんが、自分だけの草薙剣(的なもの)を持つことは可能です🙂
【剣をいただくために】
日本武尊を祀る神社は尊の遠征の話から現在太平洋ベルトと呼ばれる場所には多くあると思います。こうした神社にお詣りして尊から授かることが可能です。
このことは神社で伝えられていることではないでしょうから聞いたことが無い話のはずです。実際、妹から聴く限り、”剣ください”なんて神にお願いする人間いないよとのことなので😅 でもこれはただのクレクレとは違うのだそうです。
具体的に書くと二拝二拍手一拝(礼)の拍手の後にお詣りしたわけを話します。
1.日本武尊を祀る神社にお詣りする。
2.尊に「我が人生の炎(苦難)を薙ぎ払う剣を与えたまえ」と祈念する。
3.両手を差し出して剣を受け取り、剣を我が身を鞘として収める(思念で)。
4.尊に「この剣で力強く我が人生を切り開いていきます」と誓って下がる。
こんな感じでイメージの剣を受け取ることができます。人間は剣と思うそれは神のエネルギーです。当然、生半可な気持ちではいただけません。強い意志の力が試されます。尊に認められたら輝く剣をいただけます。
#妹経由の情報ですから信じない方は信じないで結構です。今回は誰でも気軽にの話ではありませんから、むしろ信じないでください。日本武尊との約束なのです。あなたに尊に習うその勇気がありますか?
【我が身を鞘として】
剣は常に使う物ではありません。鞘にある時が大事です。神より賜りし物を粗末に扱うことはしない決意がなければ、本当にいただいたとしてもその剣で炎を薙ぎ払うことはできないでしょう。神と真摯に向き合う心が神との付き合い方の形です。
剣を錆びつかせないための日頃の思いが最も重要となります。人は視覚に頼る生き物ですからイメージしやすい剣が必要。でも、本当に必要なのは剣のイメージではなく、苦しい時に己一人でダメなら人の力を借りて挑むこと。借りれないなら戦える時まで撤退すること。最終的に前に進めたらよしとすること。生きている己を尊ぶこと。これらの思いです🙂
我が身を鞘とするというのは、内に光り輝く己を見つけて維持することです。その輝きは人が神々の末裔である証。剣を大切にするためには、鞘である己を大切にしないと無意味です。
神が認めた者は何でも物事が楽になるのではないのが悩ましい点でしょう。むしろ、やってみせろよと苦難は次から次へと訪れるはず。ただし、苦しい時にはいつも神のまなざしは己へ向いていること、ご眷属様も同じであることを知れば乗り越えていけるはず。
共にある。つまり剣と鞘が神と人なのです。
【おわりに】
たんに神々に人生こうしていきますと述べるだけではつまらないでしょ? 厳しい事の中にも楽しいことはある。思念の力を良い方へ使って人と人の世に輝きをもたらすことは望まれること。この世で輝くことは容易ではないからこそ美しいのです。
輝くどころか自ら暗くする人間が多過ぎな世で、どす黒いエネルギーを放たないことがどれだけ称賛されることか、皆がそれを自分で聴けたらいいのになと思います😌🙏
立ちふさがるものを切り開いて進む背中を見せることで、おびえる幼い魂やこの世の経験不足の魂に教える者に誰かなる気はありませんかという話でした。