書くネタが無い時に、いただいたコメントから次の記事を思いつく時の安堵感😊
今回は神社にあるご神木についてです。
目次
【ご神木とは】
神社にある神聖な樹木のことですが、神社関係者が注連縄を巻いて紙垂を付けた特別な木なので複数の神社にお詣りした人は必ず目にしたことがあるでしょう。神々、あるいはご眷属が宿るとされていたり、木そのものが特別な力を持つ存在と見なされているものですね。
古代、神が人の前に降りてこられる時に目印、または目的地としたと思われていて、それ故に神社や神道とは切っても切れないものといえるかもしれません。
ご神木も命である以上は固有の意識はあります。人間の方が上だ、偉いのだという意識は伝わるでしょう。相手もこちらをどう思うかの自由はあることを忘れてはいけないと思います。
【ご眷属が選ばれる木】
ご眷属が宿るのに適したものが他にあれば(狛狐に代表される像や神社の宝とされる品等)そちらを使われるでしょう。ご眷属が多くて足りない場合や神域の警戒のため等の理由で木を使われることがあります。
神社境内(神域)は基本的に気がいい場所です。でも、その中でも細かく場所によって違いがあります。立派なご神木は良い気の地に生えていることが多いのではと思います(一本一本確かめられません)。
高次元存在であるご眷属様にはこうした場所の木が良いのでしょうね。
【氏子が選んだ木】
人間は見た目が異なっていると特殊な感情を抱くものです。大きさや枝ぶりを含めた形等、これは普通ではないぞと思えば祀る(注連縄をつける)はずです。この場合だと本当に神々ご眷属に関係あるかどうかはわかりません。
ご神木の話を書こうと考えている時にちょうどいい話を藤森さんが公開されたので貼ります。
ご神木もこうした側面があります。人がご神木(神様?)と崇めたからそこにいる霊的存在が本当にそうふるまうのです。
以前書いた軽部神社には垂乳根の桜というものがかつてあり(今は根っこ付近?だけ保存されています)、女性特有の願いを叶えてくれると今でも信仰されています。桜にそんなすごい力は普通に考えてありません。人が願うから無視はできぬとその通りに演じてくださったのでしょう。御祭神は熊野神社の方々ですからそんな御神徳は特別なものとしてはなかったはず。
人が決めたらご神木になり得るという例としてあげました。
また別の理由としては、見える能力者が木に宿る存在を見てご神木と分かったという例もきっとあったと思います。
今の神社神道は明治の国家神道以来、呪いといえるものを排除した形で続いています。昔はもっと(現代人から見たら)あやしい部分を含むものでした(私もその頃ならあやしくなかったかも)。
#昔の人のお詣りを現代人の感覚ではかってはいけません。車で楽にやってきてぱっと手を合わせて終わりではないのです。もうできるのはこれしか残っていないと、噂で聞いた神様の所へ夜明け前に家を後にして徒歩でやってきて、懸命に気持ちを伝えてまた十里を戻れば夜中になる。こんなことをご先祖様はやっていたのです。相手をする神々ご眷属様もいいかげんなことができるでしょうか?
【ご神木のある意味】
先に書いた神域の気の良い場所は大地のエネルギーの流れの良い地点と言ってもいいかと。そうした地のエネルギーを木が吸い上げて周囲(地上)に放射することで神域が活性化される側面があります。ご神木がパワースポットと呼ばれて、触れてエネルギーをいただこうとするブームがあったのを覚えている人もいるでしょう。今は木が痛むなどの理由でご遠慮くださいという神社は多いようですが。
強く放射している木を探して、これがご神木かなと探すことはできます。
誰にでも良い気を与えてくれるのが境内ご神木の意味かと思います。
問題はあまりにも大地の力を吸い過ぎるとその土地自体が弱りかねないということです。社叢をどう管理するかという問題で、ある程度は管理必要と思う理由のひとつです。見極めて切らねばならないはずの問題ですが今そうされているのかは疑問です。
【結論】
ご神木は上記のような様々な意味を持っている存在です。神社の高次元存在と人間の交流に大事な役割を果たしています。公園の植木とは全く違うのです。ご神木を切ったらバチが当たったというのもそのうちの幾らかはそうなのだろうと思わされます。
ただの木ではなく神社の一部なのだという意識でご神木との交流も大切にしていきましょう😄