このページを読めば神社やその一帯のことがよくわかります。
このみちもり神社は先の赤幡神社から2キロほど谷を奥へ進んだ所にあります。あいかわらず御祭神を全員調べない、由緒看板を読み忘れるなど極めていいかげんにお詣りしたのを反省することが起ったので、いつもと少し配分を変えて書きます。
目次
【御祭神】
【通盛神社への道】
広島県道72号から沼隈病院方向へ曲がり、介護施設前の道を道なりに走った先にある赤幡神社前を通りすぎ、2キロほど谷の奥に進むと着きます。ナビがあれば迷うことはないです。途中に赤と水色の案内板が何か所もありますから、それが続いているということは正しい道ということです。平家谷をめざせば問題ありません。
【車椅子使用の方のための情報】
神社社頭から道が左右に分かれます。左の車一台幅の道を100メートルほど上がると右へ分かれて境内へ進めます。
広い駐車場がありますが、道はまだ上に続いているので上がります。
未舗装の場所が折れ曲がる所にあり、ここからだと15メートルほど道を上がるだけで社殿の横に出ます。ただ、ここは駐車していい場所かどうか未確認です。写真は上からのものです。
土地は平で社殿を一周できます。坂なので一人では難しいですが押してもらえればお詣りは非常にしやすい神社だと思います。
【境内の様子】
通盛神社由緒看板
通盛神社社頭
注連柱
拝殿(紙垂はもちろん赤)
本殿
由緒書も白ではなく赤(桃色)です。
細い谷が神社を過ぎて奥(写真右側)へ続きます。
【お詣りをおえて(今日のメイン)】
私は何度か書いてきましたが見たり聴いたりといった力はほぼありません。ですが今回は姿がわかったのでそれを書いていこうと思います。
通盛卿は大鎧姿でした。自身より長い弓を右手に持っています。頭は黒く長い物があるので烏帽子でしょう。馬ははっきりしませんが、どうやら騎乗しているようでした。斜めを向いています。卿から少し離れた位置に横を向いた女性の姿がありました。小宰相さんだと思います。下から馬上の夫を見上げているようでした。
#本当は束帯姿(黒くてゆったりした着物です)の方をイメージしてほしいそうですが源平の戦いからこちらの方がわかりやすいだろうと鎧姿を選ばれたようです。戦っているよりも奥さんと一緒の方がいいようでした。
私は通盛卿が御祭神なのは知ってお参りしましたが奥さんもとは知りませんでした。その後に調べて小宰相さんのことを知りました。平家物語は読んだことがなく、ネットで調べました。
神社ができたのは建久3年(1192)年だそうです。妙に早いなと思って調べると通盛卿は討死。小宰相さんは後追いで海へ身を投げていました。
この辺りのことはネットでも大体のことは分かりますからご存じでない方は読んでみてください。
源平の時代から800年余り経っていても二人仲睦まじく御祭神となって、地元の人々や平家ゆかりと聞いた参詣者を見守っていることに感銘を受けました。
このブログの神社巡り記事には御祭神の項目はありますが、御神徳(御利益)の項目はありません。一方的にもらうためにそこへ行くより神々ご眷属との交流を第一にしてくれたらいいなという管理人の想いから、普段は省略しています。
それを曲げて今回書くと、通盛神社は夫婦円満なのだそうです。二人の姿が分かった今はそれは当然だなと思います。
もうひとつ心に残るものをみました。でもそれは「そっとしておいてほしい」と望まれたので封印します。はっきりと見える方もどうか黙っていてください。
この神社にお詣りして人の愛情の力、絆というものを強く意識させられました。次回参詣時には美味しい(できれば京の)お菓子を小宰相さんに御馳走したいなと思いました。
駐車場がたくさんあって、道の心配をすることもありません。落人の里の雰囲気を味わうために訪れてもいいと思います。100段はある石段途中の注連柱より上の境内は柔らかく澄んだ気を感じられます。杉が社叢にあっても枝は落ちておらず綺麗に清掃した跡が残っていました。
歴史上の人物であり、今は御祭神のお二人の気に満ちているいい神社でした。