ゲリラ的に降る雨には困ったものです。今日も雨が大地に浸み込みました。もう土地に耐える余力はあまり残っていないと感じています。だから早く梅雨明けて!
今日は本当に適当に思うことを書いてみることにします。例によって証拠を示すことができません。読んでしまったら日々心のどこかで不安になるかもしれない内容です。特に、神々を否定する人は読まない方がいいと思いますのでここまででページを閉じてください。
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自由意志とよく言われます。これは大原則(例外あり)のようで神仏も好き勝手にはできない約束事らしいです。これによってこの世はめちゃくちゃで神も仏もあるものかという状態になってしまうようです。
で、神々を信じない人、特に己の願いが否定されたように思う人がそれについて文句を言います。心の奥底はもちろんわかりません。あくまでも第三者から見える表面上はということです。ですが、これはとても恐ろしいことです。
神に文句を言うことがそうだというのではないのです。原則を曲げての介入を要求していることが恐ろしいのです。原則というのは人生の骨格となるべく決まっていることは変えないということです。寿命とかがそうですね。
これが認められるのなら、神々は自由意志の尊重というルールを破棄し、古来から数々の預言、神託を無視した形をとりつづける人類をリセットしてやり直すことを即実行することもできるでしょう。
#実際にはやり場のない思いをぶつけているだけでしょうから特に何も起るはずはないのです。
お願いしないのに思っていることが次々に起こることもありません。原因と結果を人間にはそう見える形で実行されます。人の願いが原因となって御利益という結果になるのです。これも自由意志に沿った形をとるためにそう見えているわけです。
#こう書いていますが自由意志については最も理解しがたい根本的な問題らしく私も本当は何も分かっていないのです。人間で分かる人はいるのだろうかと思うくらいです。
なぜ望みを叶えてもらえなかったのかはこの世の者にわかるはずがありません。ルールはルール。残酷だなとは思います。ですが、これによって守られている(きた)こともあるのです。
楽なことは受け入れるが辛いことは受け入れない(とその場にとどまろうとすること)はルール違反なのです。でもそれでバチが当たることはありません。元々わからない尽くしのこの世の暮らし。そこを許さぬ神仏はいないと思います。
神々を否定しても特にペナルティはありません。でも神社ではまずいと思います。”見たことがないのでいると思えない”なら大丈夫でしょう。人間が過度に依存することを防ぐために姿は見せないのですから。ただし、そこで神々をこき下ろすとご眷属は気づかせるためにバチを与えるでしょう。触らぬ神に祟りなしです。
神々を信じろと私はいいませんし、たぶん書いたこともない(ちょっと自信がありません)はずです。本人の自由意志だからです。私もただ楽しんでいるのでこのブログを書いているだけ。書くお役目の人がいますが私は違いますし、このブログは趣味として書くのは自由だけど……なので。
あなた(a-wi)は全て間違っているという人の意見も認めます。だって自由意志だから。
補足
嫌な事もしろというつもりはないのです。目に見えないのをいいことにその存在におっかぶせるのではなく、そこから離れてほわほわになる方がずっといいからそう変わっていきましょうと言いたい気持ちがありました。