ほわほわ神社生活

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神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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失せ物探しと猜疑心の関係から

通知を見ると最初の頃の記事、読者さんも本当に少なかった頃に書いたものを読んでくれる方がいることに気がつきます。最初にコメントやブックマークには☆はつけず他の形で反応しようと決めたことがちょっと悔やまれます。わざわざ見てくれたのは嬉しいです。妹に「何で(しなくていいのに)書くの?」みたいに言われた日を思い出します😅

 

何か月も身体の痛みに悩まされていましたが少し回復してこれでお詣りが楽しくなるなと春が待ち遠しいです。もうテンション上げていくために無理やりコブ〇コマンダーになる必要もないです。ああでもしないと長時間ドライブはきつかったです。お詣りはできるだけ自然に楽しくが理想です。

 

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日記部分終了でここからやっと本題です。また妹に謝る事態発生という話です。しばらくは説教無しですから、また妙なことを書きだしたぞくらいに思って読んでください。説教に入ったらそこからはご自由に。

 

年末だったかな、家族が財布が無くなった(正確にはどこかにしまったのだけど思い出せない)と言ってきました。で、はるか昔はダウジング😅で探してましたが闇雲に探すよりはまし程度のものでした。今は妹にたずねます。私より高い次元からは丸見えのようなので、失せ物のありかは教えてくれます。今まで書いたことはなかったのですが6~7割当たります。今回も妹に頼りました。

#6~7割では自分は納得できても他の人はそうではないでしょう。だから今までは、ほぼこうした相談にのったことはありません。

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家の内外、どの階かと少しずつ絞り込んでいきます。二階のとある部屋があやしいとなりました。家族と部屋を捜索しますがなかなか見つかりません。さらに部屋の中を絞り込んでいきました。部屋を細かく区分けした結果、この付近だと教えられます。よしここまでくればもう見つかったようなもんだと探した結果、なんと本当にあったのです! ほぼ同じ財布が😫 なんだこれ? どういうこと? 

#いらすとやさんから借りてきた上のイラストのような色ではありません。

 

教えてくれたのはこれのことかな? 違うんだけどなあなどと言いながら探してもどこにもなく諦めました。妹が嘘をつくはずがないので……己が力の無さということになります(と言いつつ、何で教えてくれないの! と八つ当たり)。

 

今夜のことです。家族が突然「あった! 財布が見つかった!」と言ってきました。目の前に出されたのは以前私が見つけたのとそっくりな財布でした。しかも場所は妹の教えてくれた場所とそうでない場所との境でした。当然探した場所なのですが探し方の問題で、ある一点だけもれていたようです。ひとしきり喜んだ後、これは今きっと「だからそこにあると教えたでしょ!」と怒ってるよ、絶対と家族と苦笑いしました。

 

一人になって妹にたずねました。返事は、「お姉ちゃんが私が言うことを疑ってよく調べないからこうなったの。最初からそう言ってたのに」というようなものでした😖 またまた怒られてしまいました。姉の威厳などというものはこの次元には欠片もありません。

#解説:この次元にいる私は男の体で生きているおっさんですが魂を性別で言うと女なので、肉体の無い守護霊である妹に対しては姉にあたります。なので妹に対する時は男ではなく、本来の姉っぽい状態に戻りますがポンコツです。

 

私は受け取り時に三分の二しか正解できません。が、妹曰く「受け取りそのものはちゃんとしてるけど、お姉ちゃんが変なフィルターを通すから三分の一が変なことになるの」だそうです。

 

このフィルターというのがやっかいで、思考の癖(パターン)なら修正してきたのですが、時には科学的にありえないのではないかという現代人が生きる上でやむを得ない思いもそうなってしまうのです。科学とオカルト(ここではそう呼んでおきます)の両立は難しいです。

 

猜疑心は己の周囲に展開された見えない壁の正体であり、フィルターでもあります。人間の思考は一時の保留も嫌いますし、現代人は特にせっかちに答えを要求し、またされます。こうした中では何かを疑って思考を動かし続けるのが答えが出せなくても楽なのです。

 

対話においてはエネルギーの送信と受信を繰り返します。猜疑心は送信時に相手との間に壁を築きます。受信時にはそれで捻じ曲げます。

 

目に見えないことを信じて猜疑心を消すのは本当に難しいことです。同じこの三次元に生きる存在に対して猜疑心を持たないのは危険すぎます(とても悲しいことですが)。本来は他者との壁を無くした時の良いエネルギーに満ちた感覚を学べるはずなのですが……。難しいとなると、目に見えない存在とになってしまいます。学びの目的としては少しずれてしまいますが、それをフィードバックして間接的に学ぶしかないのが現状だと思います。

 

ですが、これもまた相当な危険性をはらんでいます。安全なのは守護霊や神仏ご眷属等の良き存在です。しかるべき場所で、できるだけ心を静めて思う時には己にわからずとも無言の会話をしているものです。微細な感覚と変化を受けとめるのは自分自身です。誰かに強制されるものではありません。全て己に決定権があります。これが神仏の言葉でも強制ではなく再考を促しているだけなのですが立場の違いから強制と人は受け取ってしまいますね。

 

己の人生は己で決めていいことです。ただ、自分(自我)が思ったことと霊の真の望みは一致していない方が多いと感じています。その真の望みを見つける手助けは上記の善き霊がしてくれます。

 

部屋の中で自らを不幸へ追いやることに必死な人生は楽しくないはずです。でも人は同じ部屋の中で無限の世界とつながることもできるのです。これは私自身(正確にはかつてのa-wi)の体験からです。

 

生きるのに物質を最重視せず見えないものにすがる愚かな弱者に思えますか? この答えはどんなものでも、読んだ方にお任せします。今はそれがその人に必要な答えだと知るからです。