ほわほわ神社生活

ほわほわ神社生活

神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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責務を全うして帰還した人を思う(鬼滅記事ではありません)

わかっていても帰還は寂しいものです。悲しくはないです。というと人でなしっぽいですね。

 

自分がなすべきことがわかっていた人が器を出た後に一番悔しいのはそれをできなかったことです。それをきちんとできていたら、待つ同朋の元に胸をはって帰還できるのです。タイトルの人はそうできていると信じます。

 

物質世界のこの世にあって個々のお役目に励むには物質、早い話お金が必要です。でもお金を数えるために意気込んで生まれてきた人はほぼいないでしょう。目的と手段を取り違えると必要だった経験、学びが足りずにもう一回になる恐れがあります。もちろん、苦しいのは当たり前だから何度でもという方は当てはまりませんが大多数とはとても思えません。それに、物事にはタイミングというものがあります。いつでも好きに生まれられるとは限りませんし、生まれた世がいつまでも続く保証もありません。

 

計画実行のためのお金以外は極端に言えば不要ですので、今とりかかるべきことにとりかかってほしいと思います。時間は無駄にしてはダメです(自らに言っています)。

 

お金の無い時代にも人は生きていました。長く理由を書かなくてもこれでわかってもらえると思います。

#個人的なことを書くと、神社巡りが出来ないほどお金が無い状態だとさすがにきついです😅 もっとも、高次元とのお付き合いに本当は神社は必要不可欠ではないので、極端な話無一文でも大丈夫といえば大丈夫。

 

すべきことと聞くと、何か社会に影響を与えるようなことを想像しますが人口が多いのです。ほぼ全ての人がすべきことはとっても小さなことです。それがわからなければ、周囲の人を支えたり、我良しの反対のことをしてみてもいいでしょうね。

 

彼女と守護霊さんのお役目おつかれさまのお酒を飲んで数日ネットから消えるつもりです。ここしばらく東奔西走して私もちょっと疲れました。

 

おやすみなさい👋