公式サイトを貼ることが殆どないためにこんなことでもにやにやしているのでした。
今治私的四社巡り最後は神社好きなら必ず聞いたことがあるだろう大山祇神社です。
春分の日で激込み覚悟で向いましたが夕方だったためかそこまで多くの人はおらず、神様とゆっくり向きあうことができ、旅の最期を締めくくるにふさわしい体験をして帰宅できたのでした。でもここは早朝行くべきです。
目次
【御祭神】
#大山祇神社本殿両横の上津社と下津社の御祭神である大雷神と高龗神も社は別ですがこの三つの社で大山祇神社とみなすそうで実質御祭神のようですね。日本書紀の記述にある切られた軻遇突智神から生まれた三柱の神ですから当然でしょう。
【大山祇神社への道】
しまなみ海道を大三島で降りたら左折して海沿いの国道317号を2キロちょっと走ったら愛媛県道21号を(左折して)走ります。山を越えて島の反対側に大山祇神社はありますがそこまで4キロくらいだと思います(車の距離計で計ってなかったのです)。道は迷うような難しいものではなく、道幅も片側一車線ですから何の心配もなく神社まで行けます😄
私は後述のように神社前まで行きましたが、手前に道の駅があってそこの駐車場にとめていいそうです。神社前の駐車場はあまり多くの車はおけませんし、混んでいると待ち時間が長くなると思いますので、道の駅から5分くらい歩いて社頭への方がいいと思います。
【車椅子使用の方のための情報】
神社前の駐車場から20メートル? くらいにある鳥居に向って左の大きな石灯籠の辺りから中に入って鳥居をくぐって真っすぐに参道を進むと、総門を抜けてかなり広い境内を目にします。
ここは砂地です。社殿を囲む回廊は一段高い所にあって石段で上がりますが車椅子だと左の境内社(十七社)の向こうに坂道があり、そこから上に進めます。
十七社横から上がった所
右に曲がって神門から内部へ進んでください。段差はないので拝殿賽銭箱まで行くことができます。同様に左右の社前の賽銭箱まで行けます。自分でお賽銭を入れることができる、車椅子の方にとても優しい神社です😃
神門内部の境内は幅の広い石畳の参道が縦横に延びていますから移動は楽だと思います。今回は時間がなくて向かって右側にある〇〇館という建物の群れには行くことができませんでした。ですのであくまで鳥居から拝殿までのルートにある所だけの情報になります。
【境内の様子(拡大版)】
大山祇神社社頭
総合的な案内板
総門・翼社
総門と神門の半ばくらいにある楠
説明板
神門少し手前にある小千命(おちのみこと)御手植えのご神木楠
ご神木の説明
大山祇神社由緒看板
神門
拝殿
北門から奥へ
本殿と上津社、下津社を斜め後方から
狛犬のうち一対だけ
【おまいりをおえて】
今回は不思議な事をそのまま書いてみようと思います。いつもはちょっとだけしか書いていないのです。理由は、私はお参りしても何も起らない……歓迎されない人間なのかも、といった思いを読まれた方が持つことがないようにしているからです。
しかし、あまりにも書かないでいると、神社はただの古い様式の建物がある空間としかみなされなくなるかもしれないと思いなおしました(この記事限定)。
インターを降りて左折して国道317号を走る時にすぐ先行車に追いつきました。制限速度以下です。どうやら先頭車両は観光客っぽいです。時間が遅いので早く着きたいのになあと思いながらついて行くと神社前で先行車が駐車場へ曲がっていこうとしているので続きました。もちろん満車です。前の車はすぐに転回して去りました。私は前回は25年くらい前で記憶が無くてよくわからないのでそのまま待つことに。すると一分待たずに車が出ようとしているのに気がつきました。あっさり鳥居そばに駐車できてお詣りできるのです。私一人が気持ちよく走ってきたら延々待たされたかも。実に見事なタイミングに感謝です。
最初のお参り中はさすがに人が多いために何かを自分が独り占めはなかったです。スマホやカメラが電池切れになり、車にあるこれまた空に近い予備バッテリーでNEXを少数撮影可能にして再度撮影に戻った時には時間が経ったためなのか、ご神木や他のものも人がほぼいないいい条件になっていました。
社殿を取り囲む回廊(瑞垣)を入口から時計回りに歩いていくと奥にもいろいろな建物や境内社がありましたが誰もいません? もしかしてここから先は進入禁止なのかと思ってしばし躊躇していたら女性が一人社殿横にある境内社の方へ歩いて行くので安心して後に続きます。女生と別れてそのまま本殿裏へ回りました。真ん中の大山祇神社本殿裏であとから来たカップルに抜かれます。後ろをゆっくり歩いてその隣にある雷神の下津社裏へ歩いていた時、突然体がブルブル震えるような感覚に襲われました。感じとしては幽霊に会った時の背中がゾクゾクする感じにやや近いものでしたがああしたものに特有の不快感は皆無。むしろ何か力が湧いてくるように感じました。
車椅子のことを書くために調べようと思って社殿前に広がる境内向かって左奥へ進むと車椅子で通れる坂を発見。そして社殿前の神門まで戻ると車椅子に乗った方と介助者に出会いました。声をかけるタイミングをはかっていると奥のトイレへ向かっているようでしたから邪魔せず退散。その後、入口近くの総門と鳥居の間でその方が追いついてきたので鳥居前で通路の確認をさせてもらいました。左側から自由に道路と境内間の通行が可能でした。目の前で車椅子でのお参りの可否を確認させてもらうことができて御祭神様に感謝です。
何もかも偶然と思う人にはそれですむようなことです。でも自分が思うタイミングで必要なことが起きてお参りが実にスムーズに行えたので偶然にしては出来過ぎです。
#妹にこの記事を書くにあたって確認しました。これらは偶然ではないとのこと。さすがにご縁が深い御祭神様の本社だといろいろと起こります。
いつも主張しているように、神社はただの古い建物や古い木のある場所ではありません。霊的な能力の有無を問わず誰でも高次元と交流できるように作られた場です。神々に感謝し、心を開いて神々の思いに触れようとする者には、何らかの返答があります。いつも分かる形ではありませんが生涯分からないことはたぶんないと私は思います。
個人的に特別なご縁のある神様との交流では他の神々とのそれよりもわかりやすいでしょう。読まれたあなたにもあなたと関係の深い神様がおられるはず。今はわからなくても、神社を巡るうちにある時不思議な繋がりに気がつくかもしれません。神と人、立場は違えどそうした魂同士の交流の喜びを知ることが神社巡りから得られる最高の御利益ではないかと日々思います。私が神社で願う事のひとつが、多くの人がそれにこの人生で出会うことです。ま、ほわほわしていてしょっちゅう忘れてるのですが😅
日本総鎮守と言われるだけあって、境内はどこも他の小さな田舎の神社で一番気がいい場所以上の軽い気に満ちていました。その上、さらにすがすがしい気の場所もあるのです。
ご神木は皇紀の始まりの頃からのものですから、歴史と神話の繋がりを直に感じさせてもらえる素晴らしいものでした。そして、ご神木以外の木はどれも集落の小さな神社なら注連縄を巻かれていること間違いなしといった感じの木です。だてに総鎮守ではなかったのです。
小さな山の社で自然と人との繋がりを感じるのもいいですが、たまには強いご神気(ここでは境内にある外とは違う気を総じてこう呼んでいます)を浴びて高次元存在を思うのもいいものだなと思いました。
小さくした写真でも分かると思いますが、ゴミなど落ちていません。神社で何も感じられないと普段嘆く人でも何かが感じられるだろういい神社でした。
#本当は2時過ぎには来たかったがここまでの三社を楽しんでいたら大山祇神社到着が3時をかなりまわったあたりに。時間もバッテリーもないから鳥居から本殿までの流れで終わったのが残念です。国宝の鎧等を観るなら2時間以上はかかるのではないでしょうか。いつか時間の余裕がある時に隅々まで見て回りたいです。