ほわほわ神社生活

ほわほわ神社生活

神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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もう一回やりなおします?(加筆あり

今打ちのめされておらず、選択肢が複数ある人はどうぞ自分が一番楽しいと思える方を選んで力強く歩んでください。今日は不定期に繰り返す大きなお世話の何回目? の話です。

 

書くために過去をいろいろ思い出そうとするのですがろくに思い出せません。5年ほど前、今から思うと心の成長段階で蛹になっていた頃までは詳細に覚えていました。その後、羽化して成虫になっていつまで寿命があるのかしりませんが徐々に記憶(正確には嫌な出来事)が抜け落ちて行きました。それでも大きな出来事はなんとか思い出せるのですが、それとセットになるはずの感情は欠けてしまっています。単に記録を参照している状態です。役目を終えたものは消えるのみということなのでしょう。小学校の教科書は中学生になったらもう不要なのと似たようなものです。

 

人間の心は広いです。この次元だけみていてもそうだし、別次元まで考え出すと感覚的に無限です。ここには人の全てが詰まっています。ただし、見つけ方、取り出し方がわからねばそこは闇です。取り出せることを知らないと外部(のどこかに)にあると思うのが人間です。幸か不幸か、外部には見渡す限り人と物があります。ここで他者や物の中にあるのではと思い込む罠が十重二十重に張り巡らされていますが気がつきません。そうした仕組みです。仕組み。

 

この物質世界は物の象徴であるお金があると幸せになれるのではありません。お金があると自分でやらねばならないことを他者に丸投げしてサボれるだけです。ですが、人間楽な方を常に選ぼうとするのでお金で楽になったことを幸福と錯覚するのです(そう勘違いする人が極めて多い)。物理次元は全て行動を伴います。蛹になるまでは、行動=学びでもあります。それをわかってお金を見ることができれば罠にかかることはほんの少しだけ避けられます。大抵は片っ端から罠にかかるのですけど(それ自体がまた学びという構造ですから酷いものです)。

 

私の現在の収入は教えた人が驚くほど少ないです。かつては田舎基準で人並に近いくらいの時もありました。幸福にゲージがあったら過去はせいぜい0からちょい上くらいでしょう。今は金銭的自由度が落ちていますが幸福度は一番上からちょい下くらいかなとみています。完全はありませんからね。

 

得たいものは自分の心の中に全てあります。その見つけ方が何年かかけてゆっくりとわかっていったようです。そして羽化したわけです。今は幼虫や蛹と違ってどこまでも飛べるのです。

 

これらの作業は少なくとも直接この物質世界で他者から手伝ってもらったのではありません。間接的には影響を受けています。ですが他者は私の心には入れませんからそこに入って学ぶ作業は全て自力でした(ここで守護霊の支えを話すのは問題が複雑化しますのでやめておきます)。

自分を見つけていくのにどこか遠くをうろつく必要は皆無です。場所を変えながら学ぶ人は一定数いますが、生きる場所そのものに自分があるのではないことは共通です。狭い部屋も世界も学びに入れば違いはありません。

 

こう書くと早く己の内側の探索に出かけたい人がいるかもしれませんがこれは物質の罠など児戯に等しいくらい強烈な罠です。成長なくそこへ向かうと死ぬこともあります。なぜなら一歩足を踏み入れると入口は閉ざされ、前しか進めないからです。罠を見破れる段階に至っていないと罠で死ぬか、罠まで行けずに途中で力尽きて死ぬかです。心の問題ですからここで言っている死は心の崩壊です。率直に言えば病院行きです。

 

こうした状態になると生きづらいなどと言われますね。茨の道を選んで楽なわけがないのです。自分は選んでないとたぶん全員が言うと思います。でも選んでいるのです、例外なく。己の段階に応じて必要なタイミングで。

 

さて、ここでタイトルとなります。あなたはまた最初からこの人生をやり直したいですか?

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ループ物の作品(漫画や小説等)は主人公が学んだことを生かそうと奮闘しますがあなたは戦いますか? 戦わねば結末はいつも同じです。

 

やり直してまた同じことになるなら今やりましょう。立ち止まっても罠は消えないし、誰かが連れ出してくれることもほぼないです。虎穴に入らずんば虎子を得ずは正解です。上手くいっても上手くいかなくても数十年で終わりになります。

先ほどの質問の答えですが、私はやります。蛹までで死なないと分かっているからです。たぶん5年前までだと絶対嫌だと答えたと思います。

 

同行者のない旅になりますが、ガイドブックは山ほどあるので読んで、己にのみ許された未知の旅に出ましょう。

 

旅に出るのが怖いなら旅について学んで準備だけはして人生終えましょう。もう出ているなら宿で休息も旅の一部ですがいつまでも出発しないと路銀が尽きます。自分の歩く道だから誰も代われません。そして、歩くのはいつもあなたの足でです。ここは、水戸黄門OPのあゝ人生に涙ありな人を密かに応援しているブログです。

#宣言出たから町中の神社に行きにくいこと行きにくいこと。神社巡りしないとわけわからん上から目線の説教が延々続くぞ、ぐわー。はあ、困りました😅

 

追記

己の心をみつめて浮かび上がってくるものを眺めていましょう。いつも続けていると、ある程度決まったパターンがあることに気がつくかもしれません。そうなったら、なぜそう考えるのかを己に問いかけましょう。一つ答えがでたらそれに対してまた考えましょう。繰り返していくと次第に己の素の姿が見えてきます。

 

これとは別にある物事(目に留まったニュースでもなんでもいいです)について考えましょう。膨大な量の思考でいっぱいになるのはすぐだと思います。そうしたら先程の物事についての他者の意見、記事等を読んで比べてみましょう。そうすると、いかに己が勝手に物事に尾ひれをつけていたか、またその量の膨大さとその作業の速さが感じられるはずです。

これら余計な作業が自分の思考のどれだけを占めていたか知ると驚くと思います。これがなくなると頭が空っぽになる時が生まれます。まだこれだけでは勝手に動き続ける脳は制御の外にあります。

 

注意点は、己の心を見つめるのではなくこうしたことが書かれたものを読んで理解したつもりになることと、理解すれば何か変化があると期待してそれにのめり込み過ぎることです。

 

思考でも最初の覚醒とか悟りというものに到達できないわけではないと感じます。でもそれ以上は無理です。思考が執着を生んで邪魔をするからです。

 

ある程度でいいのです。そうすればそれを四六時中自分と思う意識より深い部分で探し続けます。答えが出た瞬間、それは噴火のように普段使っている意識に躍り出ます。突然の答えに意識は変化し答えに思考パターンが書き換えられていきます。一瞬ではなく少し時間がかかると思いますがこれは個人差が大きいでしょう。

 

一瞥体験がある時突然起こるのは天からの啓示などではなく、己の中の変化によるものだと思います。

 

事実に尾ひれを付ける作業が今まであった尾ひれを外す作業に変わるので頭の中にある物事は驚くほどはっきりとすっきりとしてきます。雑念が減ったことは常に瞑想をしているのに近いのだと思います。特にそうしないでもじわじわ変わり続けます。もう己が生み出した妄想に振り回されることはなくなったのを感じることでしょう。それがまた加速につながります。

 #考え方を変えようとしても上手くいかないのは根本にあるものの方が強力だからです。だから苦悩を消すまでのことは難しいのです。無駄とは言いません。それで楽になってなんとか社会生活を送れている人は多いですから。ただ危うい綱渡りを生涯続けることは避けられないでしょう。

 

人は理解しあえないのは幻想です。もちろん完全にできるのも幻想です。ただ、今よりも良くなります。お互いの思いがなんであるのか付箋を貼り付けずにそのものを今できるだけ見て、その違いを言葉ですり合わせることができるようになるからです。

 

また、お互いを自己と異なるもの(これを私は普段敵視と書いています)と最初からみなすことがないということは重要です。敵視の瞬間に付箋を事実にペタペタ貼り付けますから。そしてこれは多くの付箋紙貼り付け作業でもかなりやっかいなものです。

 

正直、鬱状態になる様々な病だと心の探求にとりかかることが極めて難しいです。何もできない段階にある人には人生リセットしないだけが求められます。本当はこれすら難しいです。

 

悩むのは苦しみから逃れる道ではないです。単にきっかけの一つです。少しだけ本で勉強したらただ己の心を見てほしいです。たくさんの知識はかえって足かせになります。気づきを阻害します。それよりは静かに見つめましょう。得た知識と実践のバランスがとても大事です。

 

いつあなたが変わるのかはわかりません。物質世界で報われない努力など掃いて捨てるほどありますが己の探求は報われるものです。

 

#この辺りまではまだ言葉にできますがこれ以上は個人個人の学びそのものになりますから書けることがなくなってきます。