ほわほわ神社生活

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神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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持ち場に戻れ

自分が何をすべきなのかわからず目に入ったものへフラフラ歩み寄る繰り返しの人がとても多いです。私も春までそうでした。

タイトルはヤマトIIIでの次のようなシーンからです。私と同じくらいのおっさんは何となく観た覚えがあるかもしれませんね😅 

#イラストはヤマトではなく、宇宙船です。

 

3で新人(調理担当)が先輩と一緒に飯を作っている時、通路を歩いて医務室へ向かう負傷者が倒れ、思わずかけよって肩を貸すのですが、そこで先輩からこう言われるのです。その後続けて、気持ちはわかるが皆が心を鬼にして持ち場を守らないと戦闘には勝てないと諭されます。美味い飯を作るぞとの先輩の声で気持ちを入れ替えて持ち場へ戻っていくのでした。

#宇宙戦艦も地球もそこで生きていることは同じです。もしかしたら持ち場ではなくて仕事に戻れだったかも😅 

 

今、世界人口は80億に達したそうです。80億通りの人生があっても己のはひとつだけです。当たり前ですが己の人生は己と一つです。どこか明後日の方向を見てもありません。ヒントは己の日常にこれでもかと溢れています。

 

持ち場がどこなのかわからないなら、己が今いる場所のことや己を取り巻く人々との関係から探らないとダメだろうと思います。身近なところから探すのです。遥か彼方を見るのはそれでは持ち場がどうしても見つからなかった場合です。たいていは目の前が持ち場だろうと思います。順番が間違っているから結果も間違っているのです。

 

”お役目”という用語があるので以前はその方がわかりやすいかなと思って使いましたけど、今は”持ち場”と言いかえます。生まれた土地が持ち場の人もいれば、そこで準備して自身の持ち場へ赴く人もいます。

 

昔とは違ってより多くの人が別の所の持ち場へ向かう世なのでしょうが、生まれた土地が持ち場で離れてはいけない人も大勢います。本人の意識(自我)は様々な事情で出ていけないと嘆くが、実は霊的な自分はわかっているから離れていないだけという理由。もしそうなら上手くいかないことの反対あたりに答えが隠れているのかもしれませんね。

 

持ち場とは何をする場のことか? この世のことはこの世を生きるものに責任があります。そしてそれは、身体という名の器を離れたら終わるべきものです。これからを生きるものが継いでいくのですから。

 

自分が完成させる必要(責務)はほとんどの人にはありません。数えるほどの人だけです。これらの人は特殊で例外ですから考える時には除外です。

 

80憶分の1の負担でいいのです。もちろん、人によって多少の差は当然ですがあります。経験度熟練度の違いで生じるのですが背負えるかどうかでみれば、平等なものと言っていいかと思います。

 

誰かがやってくれるから自分は昼寝する場所ではなく、皆が少しずつするための各自の居場所=持ち場です。

 

この世的な快楽と持ち場は特に関係ありませんから、金が入ったから居場所というわけでもなく、大勢と楽しく過ごしているからここが居場所でもないのが問題を難しくさせています。この世で楽しく良いこと=霊的な喜びであれば簡単だったのですが。

 

成長している存在は他者のために何かしようとするものですが、それはこちらから接近して他者を変える手伝いとイコールではありません。己が成長することが、他者の手本となりその人が自発的に変わることにつながるので、己の問題点を乗り越えることが持ち場での過ごし方な人も大勢います。

 

”お役目”はここで先ほどまでの”持ち場”に加えて”課題”でもあることがわかります。

 

持ち場で小さな課題をこなすこと、これが今の人類に求められることの全てです。

 

追記

わかりやすく書くと、よそ見せず前(足元)を見て歩けというだけ😅 でもそれだけでは記事にならんのです。