今の世は個人の内側=好悪と、個人をとりまく外部の環境に対する善悪、正誤の区別をしていない人があまりにもこれでもかというくらい多いです。己の好悪を社会の問題にすり替えているというとわかりやすいかもしれないですね。
己の好悪の思考、感情は他者には適用できません。これをしようとすると即衝突が起きます。物理的に何か起こるのではなく心の問題であるならば、それは己が自ら起こしているのです。
この世は現状、争いの世界になっていますが決まりに沿った競争というものはあって良いものです。魂の生まれ順による差は個の学びによって多少変化はしますけど、最初に生まれた神仏のレベルと最後に生まれた人の世代の魂ではどうしようもないほどのひらきなのです。
ごちゃまぜ世界のこの世では本来競争などは思いもよらない者同士が本来の差に関わらず力比べを楽しめるのです。実際、そうしたことを楽しみたいと来る者もいます。そうした者のこちらに来た理由をつぶしていく権利が誰かに認められているはずがない。
あえて比較、競争をやってみることで双方学ぶこともあるのです。学ばないのは己がそうしていないだけだから勝手にしなければよいことです。
ではなぜ個の内の好悪を外に展開しようとするのでしょうか? 答えは簡単で、今のこの世が競争結果を個の序列や存在の価値と勘違いしているからです。所有財産の多寡、美醜等枚挙にいとまがないですよね。それに対する抵抗です。でも人が思うことで己自身がこの世にある理由までは変わりません。本来気にすることなどないのです。これが自分軸です。
この世での優劣や順番は夜寝ている時に見た夢でヒーローやってて気持ちよかった程度のことです。
好悪の思考、感情は本人の課題確認用の材料にすぎません。一般に言う善悪はその集団での学び続ける上での了解事項にすぎません。正誤は上の次元から見れば下の次元に適用する仮の定めにすぎません。
いいかげんに内と外の区別をしないと怒りが錨になって一歩も先へ進めませんよ。そしてそれは神仏が称賛し求めることではありません。それどころか、ここまでだなと思われたら積極的な関与は終了となります。
好悪は無くすことは確かに難しいし、ほとんどの人が今の世でそこまで到達していないから、それほど厳しく求められてはいないでしょう。ただ、外へ禍の種をまかないのは決して不可能なことではありません。
などとオブラートにくるんでいたら全く伝わらないので困ります。私は高次元からのメッセンジャーではないので書こうが書くまいが自由なので実にお気楽三昧ですが、お役目の人はどこまでも厳しく(ではなくそれが当たり前)書かねばならないので大変だなと思います😑🙏
よし、援護射撃!
好悪は80億の人それぞれにあります。それを一々”ね流し”していたらどんな清い流れも濁ります。もうやめていきましょう!
これも多少は”ね”を含んでしまっているでしょう。というわけで、多くてもこうした記事は年に2回くらいにします😑(努力します)。
#赤字の部分は最初少し汚い言葉を使って書いていたら妹にたしなめられました😅
追記
私は水の女神様推しなので、エネルギーという川の流れを清いものに保つことを書いているのです。いつかご褒美に闇御津羽神様にほっぺにチューしてもらう時まで頑張るぞ💪 と戯言を言った時の妹の冷たい反応に泣きました😭