いつも通るルートから外れて走っていると鳥居が現れることがあります。今回の戸宇神社は気になって帰宅後に調べ、次第に”あるもの”のためにお詣りしたくなってきたのです。気になることは片付ける。出雲国の何度目かの神社巡り前にお詣りです。
目次
【御祭神】
品陀和気命 吉備津比古命
【御由緒】
上は境内にある由緒看板です。神社についてよくわかる看板です。
伝承として
”岡周防が当地へ移封された当時、怪獣が毎夜現れて諸人を悩ました為、吉備津比古命を勧請すると平穏に帰したと伝える。また、神前を馬や籠等の乗物のままで通ると必ず落馬や腹痛の神罰を蒙ると言う。”
広島県神社誌の1392P戸宇神社の所にこう書かれています。吉備津彦命が化け物を退治した話は吉備国に多く残されています。御祭神となってから長く経つ中世にも命の御神徳が広く知られ厚く崇敬されていたのでしょう。
【戸宇神社への道】
東城町市街地で国道314号から広島県道23号へ進みます。西へ3キロほどで右側に長い玉垣が見えるので場所を間違えるおそれは全くないと思います🙂
こちらの神社には参詣者用駐車場が見当たりません。自動車参道で上がって境内にとめるのでしょうか。大勢が集まる時は氏子の方は歩くか近くの民家の土地にとめるのが田舎によくあるパターンです。
自動車参道は入り口から少し入った所で鎖で通れないようになっていました。少し入った所にとめると神社関係者が通ろうとしたら邪魔になります。つまりここは駐車できません。今回どこがとめられる場所なのか書けません。
【👨🦽車椅子使用の方のための情報】
自動車参道は社殿の近くまで続いています。
上で書いたように鎖がかかっていますから勝手に外して入ることはできません。連絡先はネットでわかりますので、お詣り希望を伝えて相談されるのがよいと思います。その場合は、田舎は多くの神社を掛け持ちされている宮司さんも珍しくはないので、直前ではなく予め非常識な時間を避けて連絡する形になるでしょう。
【境内の様子】
戸宇神社社頭
左から
石段参道
随身門
石段から見上げる拝殿(お名前はわからないようにボカシ処理をしてあります)
拝殿
本殿
本殿(向かって左側)
本殿(向かって右側)
本殿横から拝殿を
社殿全景
同左の境内社(こちらが稲荷と思われます)
御神水は社殿向かって左に
神輿舎のようです
手水舎
随身像(御幣の後ろです)
なで牛?
【おまいりをおえて】
あるものとは本殿でした。他には道に沿って横幅がある境内のために長く延びた玉垣も印象に残ります。
石段参道はそれほど長くはありませんが、鳥居から少しだけ変化し、随身門からは大きく変化してまろやかな気に包まれた境内でした🙂
極めて珍しい本殿は左右でなぜか感じは違っていました。向かって左側は常にもわもわした何かが漂っているようで、右側は速い周期で震えるような感じでした。昔、倉敷の日本第一熊野神社の本殿を横に移動していくと皆違ったのを思い出します。理由はわかりませんが不思議です。
#上のことは能力が封印されている人間がその時に感じたことにすぎません。できたら自身でお詣りして境内の不思議さを感じてみてください😁
同じ造りの本殿が並んでいるのはたまに見かけますね。その間を繋いで一つにした形は由緒看板にあるように他では見たことがありません😮 鳥井や石段だけは道から見えるから知っているが奥は知らないという神社は、人によってはとても多いかもしれません。
何か気になったので行ってみたらすごく気持ちが高揚した。その偶然(はないけどこの世的には偶然)を呼ばれたといって大事にしている人はそこそこの数になるのではと思っています。
これを神が呼ぶわけないだろうと否定することは私はしません。呼ばれた=特別というのは確かに思い上がりの心がそこに幾分かあると思います。その批判なら正しいのかも。戸宇神社そのものとは関係ない話になっていくのでここらで終わりにしておきます😅
戸宇神社は山間の町にある神社にしては見事なものだと思います。東城町はたたら製鉄でさかえたからかも。神社はそのものを知ることも大事ですけど、それをそこに存在させている土地のことを知ることも必要です(私はかなり手抜きですが)。
戸宇神社はそこにあるものをわかりやすく伝えてくれる綺麗ないい神社でした。