ほわほわ神社生活

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神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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その気になれば寺社石段にあるステンレスの手摺からも

私らしくとか自分軸とか言い訳に使われる言葉の氾濫は恐ろしいものです。ただでさえ人生でろくに学ばずに死んで守護霊ガックリな生命体なのに。

 

突然ですが、ステンレススチールはなぜ長期間輝くのかわかりますか? 鉄は足のすぐ下にも山ほど(内核が巨大鉄球ですし)あります。己の血中にもありますね。この星ではありふれた物質です。

鉄を取り出して放置しておくと真っ赤に錆びてくるのはいちいち書くこともないですね。

 

人間に当てはめてみるとどうなるでしょうか。

 

生まれた時は綺麗だった魂(今回はこの表現でいきます)が三次元で汚れて本来あるべきものを失っていくのが、銀色の鉄が錆びるのと非常によく似ています。

 

定期的に手入れをしていると錆の発生や進行を遅らせることができます。ですが、今回の人生を始めた時点から特に変わらないことになります。これでは生まれた意味がなんだったのか。

 

私らしくとか自分軸とか(己に楽なように)都合よく解釈しているのがこれに当たるでしょう。

 

上で書いたことの答えは、ステンレススチールは鉄に他の金属を混ぜた合金ゆえに光り続けるです。では混ぜられた金属は人では何かと言えば、それは他者の意識。正確には他者がもたらしてくれた己の欠点を修正可能な言葉であり行為です。

 

己の錆びていく欠点をカバーしてくれることもある他者を遠ざけていることを、私らしくなどとつまらない言い訳をしている人間の多さ😑

#書いているようなことは用語の有無は別にしてやってきているのです、7~8年前まで私も。

 

合金にするにはそれまでの鉄とは異なる状態にしないといけません。人間でいえばそれまでの自己を捨てて変化を受け入れないとダメなのです。そりゃ変わらないで今日一日疲れないで過ごせたら楽ですが、いつ錆びても文句は言わないことです。でも大多数が言うのが現代人だと思います😔

#Xをのぞいてみると間接的に神仏に文句を言っている人間は数えきれないです。これが日々この世に積もっていくのですから、どうなるかは火を見るよりも明らか。

 

他者から何でも受け入れるのはよくありませんが、光り輝くために必要なものを受け入れて変化するのは調和と呼びます。

 

この時必要な選択を行うのに肥大した我は邪魔になります。我は己の本質ではないと今までも書いてきました。でも我だけを感じてきた人にはどうしてもそう思えないのでしょう。肥大した部分を捨てるどころか新たに付け加えていくのを目にしない日はありません、正直に言いますと😔 

#自己正当化に終始した結果、神々に見放されているのに当人はそれを知りません。哀しい話です。

 

ステンレススチールは現代文明では特に希少な物ではなく、生活していてお世話にならない日がないくらいあふれている物質。そうした物からもその気になればいくらでも学びはできる。そんな物が周囲に満ちている。その人間の成長度によって、同じものが何通りもの意味を持って個別に対応できている。上手く作られた世界だとは思いませんか? 

#ステンレスではどうなるかと考えただけで、普段からそう考えているわけではないです😅 いくらなんでも。

 

もし思えたら私らしくなどという言い訳はもう不要でしょう。そうした言い訳をしないで生きるのが私らしくです。

 

その気になって学んだことがあれば、いつか私に見せてください。私はそれを溶かしてさらに強い合金になりたいので🙂

 

追記

これはかなり前に書いてそのまま下書きとして寝かせていた記事なのです。カビ棚の記事はつい先日の事。だから、怠けてカビのおっさんが何を上から目線で書いているんだ? と言われても何も言い返せません😅 困った困った。