ほわほわ神社生活

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神社が暮らしの中にあるおっさんの日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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不規則な階段を上るのはキツイ

山の上の神社にお詣りする時に石段が高さも奥行きもバラバラだと足にきますよね。今日の話は霊的な成長はそれと同じでとんでもなく上がりづらい階段だということについてです。

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登坂(アスファルト舗装)だと一定のペースで上がれるし、また上がって行けばいいので楽です。人生(霊的成長)もこうだったなら坂の角度の問題だけで誰も悩むことはなかったでしょう。

 

現実は不規則な段差の連続で、困ったことに一段先は霧で見えないようになっているんですね。10㎝ならすぐに次に上がれますが2mだと力を一気に出さないと上がれない。その力は経験値を稼いで貯めないといけない。経験値は主に苦難によって稼げますが、苦難に耐えるだけでは力にならず、そこからある一定の答えを出して(正解して)初めて越える力にできるのです。

 

だから不正解だと上がれません、絶対に! 所々にもの凄く高い段が壁のようにそびえていて、ここで跳ね返される人が多いです。だから悟ることのできない人が大半だったのが少し前までの世界でした。

 

何度でもチャレンジできるんですが当人には強制されていると強く感じられるために苦しみにしか思えないわけです。そして諦めて人生が終わります。

 

階段による苦しみと同時に別の問題もあります。順光と逆光の問題です。

 

写真を撮る時に順光(太陽等の光源を背にする)と逆光(光源に向かう)では撮った写真の明るさが違って色と細部に大きな違いがでます。

 

意識がある所まで到達すると逆光から順光に瞬時に切り替わります。今までは暗くて分からなかったものが鮮明に見えるようになります。写真で例えましたが実際はその静止画が無限に並んでいるのが現実ですから、一枚の写真で情報量に仮に10倍の差があったとすると、たちまち千倍、億倍と差が出来てしまうのです。

 

最初の悟りだとか覚醒とか言われる段階でも大きな差になることはお分かりいただけたと思います。

 

順光で見えるようになってどんどん力に替えられるようになるために、それを利用して階段は易々と上がれるようになります。

 

下の段はよく見え、上の段もある程度までは見えるようになっていきます。そうなると上れることは当たり前に思うようになるので精神的苦痛はどんどん和らいでいきます。

 

悟りは不退転と言われるのはそのためでしょう。例えで説明するとこんな感じです。

 

力についてもう少し説明すると、これは縮められたバネです。縮めていた別の力から解放されて瞬間に撥ね上がるので、その直前までは何も変化していないように感じるのです。だから永遠に苦しみが続くように感じられる。でも常に変化し続けているのは間違いないのです。

 

今、心身ともに苦痛の中にいる人にこう言っても受け止めてもらえないだろうと思っても書いているのは、その人の内に(申し訳ありませんが)残るからです。高い一段を上がって一時の解放感を得た時に思い出して次へ向かう意欲を増してくれるからです。

 

私は思います。今の人は幸せです。無駄に苦しむ時間が減っています。確実に。

 

ネットの無い時代、たまたま最適な書物に出会わなければ、教えてくれる師に出会わなければ、いつまでも希望の欠片もなく苦しんでいたでしょう。その絶望は今の人には分からないことなのだと思います。

 

神社に行ってほわほわしようとアホなことを言っているのは良い気を浴びれば良い方へほんのわずかでも進むと知っているからです。叩きのめされて潰れているのをまずなんとかしないとどうにもなりません。あと一歩まで来ている人の逆光順光の入れ替わりは高次元の助力によるところも実際あるのです。ただ、その裏側のことがこの世の人間には分からないだけです。

 

苦しい境遇でもがいている人は大きく変われる手前の人であることが多いです。変わったら苦しみの持っていた別の面に気がつけるようになっていますから、見えないものが持つ意味を感じられるはずです。その時、誰に強制されるでもなく己の内に多くの答えがあることを認めることができるでしょう。

 

今は信じなくてもいいです。病気で苦しい時は何も考えなくていいし、そこで強制されることはないです。個人個人、ペースは違いますから早くそこへ行こうと思うことはないし、休憩してもいいと思います。現代人は少し(かなり)焦りすぎなのかもしれません(自戒)。おそらく情報の多さのせいでしょう。取捨選択が大事になっています。

 

今回はずっと以前の下書きをUP。今まで書いてきたことと中身は同じです。表現が少し違うだけです。

 

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