阿波神社は幻の官幣大社です。古代の天皇が御祭神の神社にはよくお詣りしてきたので、こちらもと思い大麻比古神社の後でお詣りしました。
目次
【御祭神】
上は拝殿前にある御祭神説明のプレートの一部です。
【御由緒】
鳥居手前にある由緒看板(略記)
【阿波神社への道】
徳島県道12号に面しています。これは西側から見た写真です。
大麻比古神社からはルートにもよりますが5~6キロくらいでしょうか。続けてのお詣りは楽です。
12号は通勤時間帯は交通量が多いようです。手前から案内看板でわかるのではないのと、鳥居が少し道からひっこんでいるため、気がついた時には急に止まれずに通り過ぎてしまうでしょう。ナビが必要な道ではありませんが、12号を走り出したらそろそろだなとわかるように案内してもらいましょう🙂 県道と境内地の間に一か所(中央部)でっぱりがあります。ここは気をつけてください。
車は鳥居のそばにとめないとダメな神社かな? 県社ならそれなりの台数駐車できるはずと思って車を降りて参道を歩いてみると、数十メートル入った所で未舗装の広い土地への出入り口がありました。真っすぐ続いているのは社殿へ向かう参道で車止めが置かれています。
数十台は軽くとめられるここが駐車場でした。上の写真の出入り口はこの写真では左奥になります。
車止めのために車椅子で通れる幅がなければ、この写真手前側から向かうことができたはずです。安心してお詣りできますね🙂
【👩🦽車椅子使用の方のための情報】
駐車場にとめて北へ進むと社殿は門と塀に囲まれています。下は駐車場の端から塀を見た写真です。
幅の広い石段がありましたが、スロープはないのでここから先は難しそうです。また、拝殿も同じく複数段あります。門からは奥の社殿が見えますので、外から遥拝する形になると思います。石段に充分な幅があるので、いつかスロープができたらいいなと思いました😌
【境内の様子】
阿波神社社頭
阿波神社の棟門と透塀(かなと思います)
斜めから手水舎辺りまで
ここは社務所か参集殿でしょうか
内側から(左端が授与所のようです)
裏側の様子
門越しに見る拝殿
阿波神社拝殿
拝殿斜めから
阿波神社本殿
拝殿横から門の方を
社殿遠景
ご神木夫婦松の碑(境内入り口近くにあります)
夫婦松由緒碑
鳥居横の阿波神社由緒看板(御由緒の所はこれの看板部分です)
土御門天皇火葬塚
【おまいりをおえて】
短期間に社殿を整備して県社に、そしてすぐに官幣大社昇格内定するも終戦によって近代社格制度は無くなって幻となりました。社殿ができてからの阿波神社の歴史は80年少々ですが、上皇を祀る社そのものは、阿波神社となってからと合わせて長い歴史があるみたいです🙂
お詣りしたのは朝の8時過ぎで既に強い日差しが降り注いでいました。こちらの境内は水分が少ないのもありますが、とてもからっとした明るさがありました。参道の途中から徐々に空気が変わっていった記憶があります。
参道を進んで見えてくる建物は赤茶色の屋根で、内側の社殿は緑青で統一された配色。これは他の神社ではあまり見られないものだと思います。
塀の内側は写真だとそう見えないかもしれませんが、結構な広さです。そこは清々しい空間なのはそうなのですけど、他の神社(前の大麻比古神社)とは全く違っています🙂
広くて乾いた土地というと、例えば学校の校庭がそうですが、それとも違うのです。無数の何かの圧みたいなものは特に感じませんでした。神社ごとに感じるものがほぼ同じであれば氏神様だけにお詣りすればよいのかもしれませんが、どれも違うのがまだ見ぬ社に想いを馳せる理由です😁
#上で書いていることはあくまでもその日の個人の感想です。感じ方は人それぞれでしょうから、何か違うのだろうなくらいに思ってください。
鳥居横に火葬塚があります。御遺骨はこちらではなく現長岡京市(金原陵)に移されたそうですがこちらにも手を合わせました🙏 天皇という存在は戦後を除いて民には遠い存在でしたが、確実に同じ時を生きてきたこと、その歴史の重さを塚を前に思っていました。
広い駐車場があることは書きましたが、社頭にその案内がないので走りながら見て知ってはいるが中に入ったことがない人が結構いそうな感じです。そのためか、貸し切り状態の神社を楽しませていただきました😁 ですが、朝こそ大勢の方がお詣りすべき時間帯です。ほぼ神話の時代の天皇ではない御祭神様は珍しいです。もっと大勢の参詣者でにぎわっていてほしいと思いました。鳴門市の神社巡りをしようと思われた方、幻の官幣大社も候補に加えられてはどうでしょう?
阿波神社は砂利の敷かれた境内が綺麗に清掃されていて、広い駐車場のあるお詣りしやすいいい神社でした。