ほわほわ神社生活

ほわほわ神社生活

神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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初午祭2024🦊は12日🙏

ということでまだしばらくあるので安心😁 と思っていたら”神武天皇即位の日”の翌日でした。この日もお詣りに行くなら10日までに作る準備しないといかんということですね。氏神様が稲荷の人や崇敬神社が稲荷(少数のお詣り先)な人は振替休日ということもあって自分で好きに作れるかもしれませんけど、私のようにやたらと多くの稲荷にお詣りする人間は数が大変なことになるのでスーパー等で買う方向になってしまいます😅

以前は一応作っていました。

 

a-wi.hatenablog.com

本当はお稲荷様(御祭神とお狐様)を驚かせる(楽しませる)ような変わったいなり寿司を作りたいのです😫 おっさんが考えていることが、手作りチョコを渡すぞと板チョコをどろどろ溶かしている女性と同じなのがおかしいです。こうした人の気持ちに性別は関係ないですね😁

 

スーパーやコンビニで恵方巻はもう当たり前になっていますね。では初午いなり寿司はどうかと言うと、何年も前からコンビニ各社は初午について書いていたり、いなり寿司の新商品発売もされているようです。

 

稲荷神社を嫌いでない(既にご縁がある)方はこうしたものを利用して普段とは違う特別なお詣りを楽しまれてはどうでしょうか? もし休憩所があってそこでいただいても大丈夫ならセルフ直会できますね😋

 

その時にほんの少しでも今食べていることに喜びを感じられたら、飢餓に苦しむこともあったご先祖様達から続く己の器(身体のこと)を大事にできるでしょうし、自分がどれだけ多くのものを受け取っているのかを思えるかもです。

 

その国に生まれてその国の伝統を味わないのはとてももったいないことです。まあ、伝統といってもその形になってからあまり年を重ねていないものもありますが、細かいことはいいということでお願いします😆🙏

神前は振り返りの場

今月は忙しいので今回は短めです。

 

晦日詣りや朔日詣りで一か月間の感謝をしますね? あの時にただ「一か月無事に過ごせました。ありがとうございました」ですませている人は多いだろうと思います🙂

それでもかまいませんが、一か月をより詳細に振り返って、良い事は素直に喜び、困った事はそれでどう前向きに考えることができたかを神様にお話ししてはどうかと。

 

神々が喜ばれるのは、子孫になる人間がこの世で生きることを喜ぶ姿を見ることはもちろんですが、他には苦難にあっても自らの思いと行いで大難を小難に変えて(乗り越えて)いくことです。この世に来る前と比べて少しでも霊的に前に進んでいるのを望まれていますから😊 それが先に生まれた魂の使命でもありますので。

 

日頃から神々が喜ばれる道を歩んで行っているかを少しでも考えているかいないかは、人生最後にあまりにも大きな差となります。神社や神々を意識しなくても明後日の方角を向かずに生きている人もいますけど、意識せずにずっと向くのはなかなか大変です。出来ている人はすごいなあと思います。

 

神社(あるいは神棚の前)で日々を振り返るのを習慣にすることは、ひとつひとつの出来事をおろそかにせず、自分の人生全てを大事にする思いを発生させます。これが神社にとっては非常に重要です。また、参詣者本人もよい思念の力を発揮するのはどういうことかが次第に理解できるように(たぶん)なります😃

 

そのあたりが個人のペースでよいのが神社というもののよい点でしょう😉

氏神様(産土様)の力🙏

目次なしのだらだら記事です。今日はパワースポットとして紹介されることはないだろう全国の多くの社の話です。

 

現代人にとっての意味はにたようなものになっていますから、ここでは生まれた土地が違う人はその神社は住んでいるご町内と別に(氏神様と産土様が)あることになります。生まれてずっと同じ家(土地)に住んでいる人は同じです。

氏神様が誰でも知っているような大きな社の人もいれば、氏神様が旧社格で無各社の人もいるでしょう。氏子数としてはこちらが多いかも。

 

住んでいる土地の神=氏神になっているが、小さく個人的に好きな神様を祀っていないこともあって離れた大きな神社にお詣りしている。だから町内の小さな氏神様には初詣くらいしか縁がないという人は御朱印やお守り等の関係もあって結構いるのではと予想します。

 

両親は実家を離れて結婚して自分が生まれたとしたら、そして近所の人とあまり親しい付き合いがなかったとしたら、氏神様の御神威を高齢の氏子から聴くことなく成長しても無理はないと思います😑

 

土地のお年寄りから聴く神社の話は本当かなあ? と首をかしげるものも中にはあるでしょう。昔はバチを意識している分、そうしたものよりの多少尾ひれがついた話の流れになっていることは考えられます

 

物心つく頃から氏神様の信仰を自然な流れで吸収してこないと、不思議な話は不思議なことで終わるだろうなと思えることはいろいろとあります。ありますけど、機会がない人にはなしです😔

 

氏神様(産土様)が自分の好みの崇敬神社と違うのは、氏というようにそこに住んできた親戚との縁が自身に及ぶからです。崇敬する大社がどれだけパワースポットともてはやされようとも、自身が生きているその場とのムスビがあるのは土地の氏神様(産土様)です。このムスビは人が生きていくうえで基本になることですから、決して軽んじてはいけません🙂

 

大きな神社は神様も凄そうだからお願いも叶うかもと思いがちなのはわかります。ですが、よほどとんでもない願いでもないかぎり、少し時間がかかっても(条件が整ったら)叶えるくらいの力はその土地の小さな氏神様も持っているのです。

 

神々は自分(と自分が祀られている神社を)拝めとは思っておられません。ご眷属様は閑古鳥はよく思われないでしょうけど😅 特に、他の神社から勧請(お願いと契約)した神社では。あちらから来いと呼ばれたら行くでは……でしょう。立場が逆です。

 

よく、神様には事細かく事情をお話して自身の要望を伝えることと言われますね? なぜそう望むのかはしっかりお話すべきでしょうが、結果に影響する過程まで細かくし過ぎない方がよいのかもと思うことはそれなりに経験してきました。

 

人間の視野は、特に困難の最中には驚くほど狭くなります。一方、神々は広くものを見て最適なものを選ばれます。人間の判断より確実に上なのですから、そこはお任せした方がよいと私は思います。

 

つい先日も困り果てて限界が近い人の願いが思わぬほどあっさりと決まるのを見ていました。人間として一生懸命頑張ることに上乗せしてくださったのでしょう。

 

その人自身は神社へのお詣りに熱心なわけではないようです。上のケースでは他の当事者や周辺の人のお詣りやお願いと同時に、精一杯な人のことを考慮の上で起こったことと感じました。

 

これは氏神様というよりもより近い産土様のことになります。町内に複数の神社があることもありますから。

 

氏神様、人によっては産土様の御神威にはそれぞれ特有の傾向が見られます。これは具体例を書くわけにはいかないのですが、敬神の念のある氏子(産子)とそうでないものにはやはりはっきりした”おかげ”の違いがあります😌 人生最後の贈り物でした。

 

暇があればお詣りしてお願いもするが同時に日々の感謝も忘れない。自分にできることとして掃除などをしてお返しをする。ムスビの良き渦巻はそこに触れた他のものも変えていく。御成敗式目のアレは少なくともある程度までは正しいと思います。

 

自分の氏神様(産土様)に御神威を発揮していただけるように努力することなく、棚ぼたを望んで大きな社に行っても、単なる社殿見学でおわることでしょう😲 身近な神社とのムスビをしっかりとしたものにしていれば、特別な問題に対しては遠方の神社にお願いしてもお力をいただけるかもしれません。

 

かもしれませんと書いたのは、どうにもしてやれない事情はいろいろとあるようですから、それはかなわないケースになってしまいますので。

 

実家を離れて新たな家でそこの氏神様と暮らしている時も、もし生まれ故郷に戻った時は産土様にご挨拶しておくべきかと思います。自分のことを故郷の誰かが産土様にお願いしているかもしれませんので。実際にそのケースを知っています🙂

 

知らないし、自分がお願いしていないのだから、お礼詣りは必須ではないです(できません)。ですが自分のために誰かが何かをしてくれていたなら、感謝は当たり前ではないでしょうか? 死ぬまで知らなくて何もしなかったということを避けるために、もしかしたら誰かが自分のために日々お願いをしてくれているのかもしれないと思って来ましたと一言ご挨拶したうえでそうすればと。それが勘違いでもたぶん悪いことではないでしょう。

 

まあ、こうしたことを思う人はそもそも普段から目に見えないことに感謝しているからこの部分は不要かもしれないですね😅

#繋がりは自分が気がつかないことわからないことが無数にあるはずと思うことで、思い上がらず生きていくことができるのでは? と思います。

 

適当に生きていながら神様にお願いすることはできないと思って懸命に生きれば、それから死ぬまで神社に行くことがなかったとしても、見えないところでしっかりと神々と繋がっているはず。

 

己に正直に生きるということが今の流行(はやり)ですが、欲望を満たすのに必死なことがそうではなく、正に直にこちらからあちらまで貫くことを試してみてほしいです💪 生きていられる間に😌

 

追記

江戸時代の人も、病気平癒のお百度もすれば物見遊山で遠方へのお詣りもしてますし、他所の大きな社⛩️にワクワクしてお詣りするのはもちろんアリです☺️  

七草粥の日でしたね

ja.wikipedia.org

忙しくて前日までに七草を購入できず。当日でもなんとかなるかと思って探したのですが、朝食べるものだからもう置いてない😱 それでも探し続けてやっと発見。自分でそろえる手間を考えるといつも気軽にできるセットです。

 

買ってきた七草セットは神棚(竈の神様)にお供えした後、刻んで粥にしました🙂

 

家に複数の神棚があるとお供えが大変ですが、目的別に朝晩以外にも神棚にお詣りできて神々との生活を毎日意識できていいです。

何から何まで行事はできませんが、あまり手間のかからないものはするようにしています。その国に生まれて住んでいる(暮らしてきた)確認みたいなものです。

 

明日は我が身。別にしなくてもいいかではなく、この人生では日本(と日本に住む自分)をできるだけ体験して戻れたらいいのではないかなと思います。元日以来、その思いで自分がやるべきことに前よりも励んでいます。次はどんな世界か誰にもわからないですから。

 

正月はここまで。初詣をすませた人は次の初午(稲荷詣)へ進んでいきましょう🙂

引野天神社(広島県福山市引野町北3-24-13)

海沿いの神社にお詣りしようとしたのですけど駐車場が不明なために北にあるこちらにお詣り。たぶん多くの方が調べるまで勘違いしている神社かと。

 

目次

 

【御祭神】

少彦名命

相殿:高龗神 大国主命 大戸姫神 底筒男神 中筒男神 表筒男神 

   大山祇神 大歳神 宇賀魂神 火之迦具土神 比売神 大己貴命

   武内宿祢 仲哀天皇 神功皇后 応神天皇 市寸島姫神 天照大御神           

【御由緒】

元慶三年(ハ七九)藤原諸房公が少彦名命を祀ったのが始まりだそうです。

名前は同じでも、道真公を祀る各地の天神様よりも古くからある神社だとわかります。

【引野天神社への道】

国道2号と国道182号の交差点から東へ少し離れた所にあります。JRだと大門と東福山の間です。歩いてお詣りできないこともないですが少し距離がありますね。東福山駅の方がやや近いです。

 

車だと国道2号線引野町4丁目交差点を北へ曲がってすぐの引野町2丁目交差点を右折します。約300メートル先の引野町2丁目東交差点を左折。目の前に山があって、その麓に神社駐車場があります。

かなりの台数(枠は十数台)とめられますから心配無用でしょう。

【👨‍🦽車椅子使用の方のための情報】

上記のは石段を上がってお詣りしたい人のための駐車場です。山の北側から自動車参道を上がった先にも下以上に駐車(25台くらい)できます。

舗装されていますし、障碍者用スペースが社殿の側にありますから車椅子の方も楽ですね😃

この駐車場へ行くには、下の駐車場横の坂道を上がって150メートルほどで左への道があるので曲がります。曲がってすぐまた左へ曲がるとあとは道なりに進んで下って行きます。左に注連柱があってその間を通って駐車場まで100メートルくらいでしょうか。写真は通り過ぎてからのものです。

自動車参道までは住宅地の間の道で狭いですし、人がいる場所だから走行は慎重にお願いします。

 

拝殿と境内社はそれぞれ石段を上がるのでその前からのおまいりになります。社殿周囲は下の写真のように段差はありませんから、駐車場から車椅子でおまいりは楽でしょう。拝殿前参道は気になるほどの段差はなかったと思います。

 

 

 

【境内の様子】

#彫られたお名前はボカシ処理済みですm(__)m

引野天神社社頭

石段横から

石段参道

石段上から

随身

拝殿正面

拝殿

本殿

社殿全景

境内社(諸房神社)

神輿庫

石段下狛犬

灯籠上の獅子? 狛犬? 

 

【おまいりをおえて】

天満宮の名は大きな神社で、分社の天神社は比較的小さなものと思っている人は多いのではないでしょうか。私はそう思っていて、急遽向かったのでこちらは道真公を祀る神社だろうと思っていました。が、お詣りしたら少彦名命主祭神でした。天神地祇という意味で天神の社ということなのでしょう、きっと。ネットで他の方の参詣記事を読むと皆さん御祭神を勘違いしていました😅 私は何回このミスをしたかわかりません。きちんと調べる一手間を省くのはよくないことです。

 

道の説明で書いたように、山の上にある神社にしてはお詣りする人に実に優しい神社でした。2号線から少し離れているだけなので土地勘の無い人でも困ることはないと思います。

 

諸房神社御祭神は藤原諸房公。9世紀の備後国司で善政で民に慕われた方だそうで、後に祀られたそうです。非常に詳しい由緒看板があったのですが一部でなく全部しっかり現地で読んでほしいと思いここでは無しにします。

 

地元の方の散歩コースになっているみたいで、少し時間が経つとどなたかが上がってきたのが印象に残りました。

 

石燈篭の上に獅子? 狛犬? が逆立ちして乗っているのはここ以外で見たことがありません😮 かなり珍しいのではと思うので、お詣りされる時にはよく見てください。高い所なので、灯籠マニア以外はよく見ないで素通りしてしまうかも😅

 

今回もメモっておらずかなり時間が経ってしまったので境内の気は詳しいことは思い出せません。とても落ち着いた気だったような覚えがあります。でも寂しいような感じは皆無です。日常気軽に足を運んで安らげる場だと思います🙂

 

引野天神社はバリアフリーにも配慮された丁寧に掃除されている綺麗ないい神社でした。

辰年ということで龍神様🐉の話

本年もよろしくお願いいたします。

 

うっかりミスを一部修正していますm(__)m

 

水神(龍神闇御津羽神の事を書こうと、このところ妹と押し問答真っ最中。が、絶対書くなとの返事。推し🥰のことを書きたいのは自然でしょう? 書くな一辺倒でこちらも「ちくしょう書かせろ」と喧嘩腰←念のため、神様にこれは絶対ダメですから😅。神社でこれやるとご眷属様から叱られます😠、こっぴどく。

#神社で公然と神に喧嘩を売る人(私ではないです)が本当にいるのです。その結果どうなったかはとても書けません。

 

残念ですがさすがに妹から聞く女神様の意向を無視はできません。いつか書ける時をお待ちください(来ないかもしれません)。今書けるのは、この女神様は別の有名な名前を持っているということだけです。

 

他の龍神(水神様)のことにしましょう。内容は古事記とは違います。

 

以前書いた貴船の神からにしますね。

a-wi.hatenablog.com

貴船の女神様(より正確には奥宮の高龗=〇〇〇〇〇〇の神)は豊かな髪を肩辺りで束ねておしりの下まで垂らしています。顔はわりと幼い雰囲気だけど、発する神気は威厳に満ちています。とても古い神様のお一人です。上の記事で書いたように非常に厳格な女神様です。

 

弥都波能売神はもう一人の女神と共に全ての水神(女神)の親になる女神です。貴船の神の母親です。大勢の方が女神を思う時におそらくこんな感じではないかな? と思われるような細面の整った顔の女神様です。水神の別名で闇龗神でもあります。水神様としてではなく別の名で祀られている神社は極めて多数で、そうと知らず皆さんお詣りしてお名前を呼んでいる女神様です。

 

木花佐久夜毘売市杵島姫命で弁天様です。サクヤヒメは山の神の娘となっていますからイメージが龍神と違いますが、宗像三神や池の中にお堂がある弁天様だと水神のイメージ通りですね。弁天様=サラスヴァティ(インドの川の女神)と思われているから、それは当然でしょう。貴船の神の娘、磐長姫と姉妹なのでサクヤヒメも貴船の神の娘です、本当は。

 

瀬織津姫弥都波能売神と従姉妹。水神は実質この女神二人から始まっています。龍神🐉は男神もかなりの数おられますが、女神が水に関係する神として人に接することになっているようです。

 

水神ということで淡水の女神様を書きましたが、海の女神様も龍神🐉です。豊玉姫玉依姫もそうですね。

 

女神様のことを書きたいがゆえにこう書いてきましたが古い男神もそうです。神々が人の前に姿を現す時には驚かせないように人間と変わらぬ姿をとります。それ以外に、この世の人間とは違う姿もあるということです。

 

最後にひとつ……闇御津羽神の神社にお詣りしろや! です😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤😤

お祀りする神社ありますか? (あまり)ないんだな、これが。

 

a-wi.hatenablog.com

#私の推しなので勝手にこう言っているだけだから、無理にお詣りする必要はありません🙂

 

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初詣は済ませていましたが能登半島地震のことでまたお詣りしました。直接何かできなくても元日に被災した方々を思う気持ち(そうした思念のエネルギー)を各自が発してくださいm(__)m

#ブログ等に書けということではないです。もっと自由な形でかまいません。

 

”和”を試されるような事態がもしこれから続いても失わないでほしいのです。

 

正月を普通にすごせる方はそのありがたさをしっかり噛みしめてください。

今年もありがとうございました。

コロナ以前の日常が少しずつ戻ってきて神社の祭りが復活したりと、神社に行く楽しみが変化した一年でしたね。私は遠出できるようになったら山陰や四国に行こうと思って待っていたのですが、私でも泊まれそうな宿は部屋が空いてないことが多く、なかなか遠方の神社を巡るのは大変だと思う日々でした。

 

毎年恒例年末の神社の大掃除をしました。神社の気がいっそう鋭くなるのを感じました🙂 年明けから当分は、さらに良い場所になるようにやっていかねばなといろいろ計画しています。

 

ブログについて書くと、許された範囲でしか書くことができないことにもがきながらも、皆さんのおかげでなんとか四日に一度くらいのペースで更新できました。ありがとうございます。

正月は飲んで寝てのんびりすごしますので、😅反応は遅れると思います

 

よいお年をお迎えください。

沼名前神社(広島県福山市鞆町後地1225)

以前鞆の浦の淀媛神社にお詣りしました。その時は時間がなくてこちらのぬなくま神社にはお詣りできませんでした。平日に時間がとれたので今回はこの神社一社だけと決めてお詣りしました。が、ゆっくりはできなかったので駆け足のお詣りになりました。

#ぬまくま(沼隈)は鞆の浦から西側辺りの地名です。書いているうちにうっかりして混ざっていたので訂正しましたm(__)m

 

目次

 

【御祭神】

綿津見命 須佐之男

#渡守神社と鞆祇園宮で二柱の神

【御由緒】

沼名前神社 - Wikipedia

https://tomo-gionsan.com/

下の公式内の境内図をじっくり見てからの参詣をお勧めします。

【沼名前神社への道】

道はわかりやすいです。市街から河口に近い芦田川大橋を渡って広島県道22号を走って鞆の浦を目指します。特にナビの必要もない感じです🙂

 

大橋からのメーターを見ていないので正確にはわかりませんが、7キロ程? みたいです。鞆の浦には簡単に着きますけど、駐車場をどこにするか困ると思います。地図で沼名前神社付近の駐車場をあらかじめ探しておくといいでしょう。私は広い県道沿いの駐車場をよく利用します。県道からだと少し西へ歩いて神社へ向うことになります。

 

車以外の手段として、観光地ですから福山駅間で路線バス🚌を利用できます。市街地から離れている場所にしては本数があります。

 

【👨‍🦽車椅子使用の方のための情報】

どこかの駐車場から車椅子で向かうと距離もありますし、横の坂道が急で押してもらうのも電動車椅子でもかなり厳しいと思いました。

 

実は神社の北側(社殿は東向き)の坂道を自動車で上がるとそのまま境内へ入れます。

物理的に可能という意味ではなく、車椅子の方は上がって駐車しても大丈夫とのお返事をいただいて書いています。拝殿横から境内社の前は小学校の校庭のような広い土地です。

社殿に近い方(社務所前の辺り)へ駐車しても良いそうで、障碍のある方にはとてもありがたい神社ではないかと思います😊

 

社務所や拝殿、境内社も進めないような段差はないのでたっぷりお詣りを楽しめるはずです(お詣りしてかなり時間が経っているので、写真が無い箇所については少々記憶が曖昧です)。社前に階段があります。お賽銭だけは自力では難しいと思います。

 

能舞台は一段下の境内地にあります。時間がおしていて能舞台は参道を急ぎながらちらっと見るしかできなかったので正確にはわかりませんm(__)m グーグルマップだと途中に境内への入り口があるようですが入っていないので不明です。お詣り時に上の社務所で車椅子で近くへ行けるかどうか聞かれたらはっきりしたことがわかると思います。

 

最初に書いた神社へ入る道は、県道22号から鞆の浦の少し手前(約1キロ)で斜め右へ分かれていく登坂(片側一車線)があって、それを進んだ突き当りを右へ曲がると50メートルくらいで写真の境内入り口です。

 

 

【境内の様子】

沼名前神社一の鳥居

沼名前神社二の鳥居(鳥衾というものが先端にある珍しい形だそうです)

随身

石段途中からの拝殿

拝殿正面

本殿斜めから

本殿横から

社殿全景(地面の青いものは十二支の置物です)

本殿裏の祇園幸水(山水)

沼名前神社社務所

境内社(八幡社) 

境内社(左:竈社、塞社 中央:松尾社、稲荷社、地主社 右:厳島社、艮社)

境内社(渡守神社)

境内社護国神社

能舞台から境内社へ上がる石段手前の鳥居

力石(ぎっくり腰一直線なこと間違いなし😫)

八幡社だったか渡守社か、どちらかの神馬像

参道途中神馬舎の神馬像

金属製灯籠

灯籠下部の見事な狛犬

 

【おまいりをおえて】

沼名前神社は組み立て式能舞台が唯一現存しているのだそうです。急いでいて能舞台を撮る時間がありませんでした😫  これだけの神社だと余裕をもってお詣りしないとダメでした。

 

この日は平日でしたが、外国人観光客の姿があるのはさすが観光地。私がお詣りしていた時間に限っては日本人よりも多かったです。逆に日本人の心が神社から離れていったのかもしれません。

 

大急ぎで帰路な場合はたいていメモっていません。今回、沼名前神社で覚えているのは横の道路から歩いて境内に入って行く時にすっと落ち着いていくなあということだけです😥 気持ちが良かったのは間違いないのですけど、具体的には書けません。

 

海と山の力がちょうどよく合わさっているような気もします。

 

麓から緩く山に続く境内はかなり広めだと思います。お詣りするルート(参道)は非常に綺麗でした。

 

沼名前神社は能舞台や石段上にある灯籠や複数の神馬像など、足をとめてじっくり観たいものが多い綺麗ないい神社でした。

 

淀媛神社の記事

 

a-wi.hatenablog.com

眷属(ペット)が去った

少しだけ凹んでるのです。今まで愚痴=”ねながし”はいかんと何度か書いてきました。私はネット川に”ね”は流しませんが、別の場に弱音は実はそこそこ吐いています😅 ただ、それは三次元の存在にはしません。自分の守護霊だけです。叱咤激励されることもあれば、そのまま受け入れてくれる時もあります。今回は思っていた以上のダメージなので黙って聞いてくれる感じです。

 

やってきて戻るのが仕組み。それを理解するのと、この世界特有の感情はまた別ですね。眷属のおかげであらためて学ぶことができました😌 執着はよくないと書いている者が使い終わった器に執着はどうかと思うので眷属の墓はありません。思い出と霊の繋がりだけで充分ですから。

#お墓を作ることを否定してはいません。

 

人とも動物とも、過ごした一日は二度とない大事な時間です。これからはもう少し日々を懸命に生きられそうな気がします。日頃書いている記事と違って怠けるので妹は頭を抱えているかもしれない😅 他者に偉そうに言っているといつか還ってきますね。

 

いろいろな三次元ならではの辛いことはたくさんあります。けれど、それは他の次元では味わえないこと。時間がかかっても進まねばなりません。

 

これを機に大掃除を始めました。まあたくさんのゴミが出ること😙 出してみると気がすっかり変わっているのに笑いました。淀んでいるのに慣れていると特になんとも思わないものですね。気持ちも少しだけ爽やかになりました。

 

今年も残り二週間。今年のことは今年中に(できるだけ)整理して新たな地へ向かいたいです。皆さんも己の心の重い部分を軽くするよう努めてください🙂

 

なんだか今年のまとめみたいになってしまいましたが、更新は年内にまだあります。書いていない神社が数社残っているので。

 

 追記

眷属と過ごせた日々の記憶が、柔らかく爽やかなものとなって心を満たしていくのを感じ、この世でのことを終わりにできました😊 よろしくお願いしますと頭を下げて、あちらのことはあちらにお任せです。

百射山神社(岡山県総社市三輪1347)

絵馬で知られる軽部神社から車でそう遠くない山にある神社です。一年お礼のおにぎり🍙を軽部神社にお供え後に向かいました。名前はももいやまと読みます。

#諸事情でしばらく更新間隔が普段の倍以上に、ネットをゆっくり見ることも年内は難しくなりそうです。

 

目次

 

 

【御祭神】

大山積命

相殿 吉備武彦命 猿田彦命 大物主命

#拝殿扁額には百射山神社、御崎神社、三輪神社の名があります。

【御由緒】

百射山神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁

グーグルマップで元百射山神社とされる場所(幸山)が南東に直線距離で約1.5キロくらい離れています。そこから江戸時代にこちらに遷座みたいですね。

【百射山神社への道】

清音駅周辺は民家が並んでいますが高梁川から離れた辺りは田んぼが広がり、間を碁盤の目のように道が通っています。清音と真備の間にかかる新川辺橋の清音側(東)の土手の上を国道486号が通っています。橋の少し北で下へ降りていく道があります。これが岡山県道270号です。486号の南北どちらからでも土手の下の清音の町へ進めます。

 

このまま県道270号を東へ1.5キロくらい走ると平らだった道が緩く登坂になる手前に信号があります。これを左折して800メートルくらい走って、突き当りで道が三つに分かれる内の右を進むとすぐそこに鳥居が立っています。

鳥居をくぐって参道を50~60メートルほど進んだところに駐車場らしき土地がありました。

【👨‍🦽車椅子使用の方のための情報】

石段参道前を通り過ぎて10メートルくらい? 奥へ進むと自動車参道があります。参道始まりがかなり急で力のある男性でもキツイだろうなと思いました🙁

転げ落ちたら大変なので、宮司さんに社殿のある上の境内地へ車(大きな車だとギリギリなので軽かコンパクトカーがいいです)で入ってもいいかお願いされてはどうかと。いつ電話しても宮司さんが出られるとは限りません。近隣の氏子の方にお会いできたら相談されてみるのもよいかもしれません。

石段以外の手段があるため、お詣りできない神社ではないと思います🙂

 

 

【境内の様子】

百射山神社社頭

百射山神社由緒看板

手水舎が参道左右にあります😮

石段参道

参道上から

拝殿

本殿

本殿反対側から

社殿全景

本殿横から

百射山神社境内(社殿遠景)

境内社荒神社)#境内社は二社以外にもまだあります。

境内社木野山神社)

狛犬

【おまいりをおえて】

写真にもあるように、手水舎が左右にある神社は珍しいです。石は左右で違いがあります(奉納年のチェックをせず)から元々別の神社のものを集めたのかな? と考えながら使いました。刻まれた文を見る意識がなぜかなかったので不明です😅

 

ふたつの手水舎の間を歩きだすと数メートルで感じが変化してくるのがわかります。そのまま石段を上がるにつれて神域感? が少しずつ強くなっていきます。

 

本殿そばでは何かもやもやした感じを受けるだけで強い放射はなかったように覚えています。ただ、放射しない代わりに、もやもやと書いたようになにかが立ち込めているようです。

 

この日は11月26日でした。出雲大社の神在祭の期間ということで何か違いがあったのかも?

 

境内の気そのものは柔らかく澄んでいて、拝殿前での自由参拝を終えた後もゆっくり境内社にご挨拶しながら過ごすのがよいと思いました。

 

百射山神社はお詣りしやすい掃除がしっかりされている綺麗ないい神社でした。