ほわほわ神社生活

ほわほわ神社生活

神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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がらんとした部屋でひとり

自分の手で据えた神棚に半紙で目隠しをしたのは今回が初めてでした。何度も経験した人は感じていることかと思いますが、とても寒々としています。生気がありません。いつもあった(と思っている)気配が消えてただの空間になった神棚部屋(居間とか納戸とかでなくいつの間にかこの呼び名に😅)の違和感で落ち着きません。

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神社の御守りは財布に入れていつも身に付けていたのですが取り出しています。ひとりぼっちになってしまったような気持ちで、まるで7年くらい前に戻ってしまったよう。違うのは当時と違い、本当は独りではないことを知っていること。

 

自分の心が神々やご眷属と共にあるのが当たり前になっていたことに気づかされます。それが失われるのは悲しくまた恐ろしいです。神々のことを何とも思っていない人はこんな恐ろしい中を平気で生きているのかと思うとなんとも不思議な気持ちになりました。

 

コロナ禍でいろいろ自粛していたせいもあるかと思いますが、神社関係で何もすることがないと余った時間何をしようかなと考えましたが、インドアアウトドア無数の趣味を持っていたのにどれもよしやるぞという気にはなりません。これはあまりいいことではありません。この世では自分で経験してみることが大事です。楽しく打ち込めないのは困ったことです。心は普段は器に入ったまるで鏡のような止水で、良いエネルギーの時はとめどなく溢れさせるのがいいのです。

 

結局、満ち足りた心の平穏さ以上に今求めたいものはないようです。あせらずとも時間経過でそれはまた戻ってきます。それまでは”普通の暮らし”をしてみるのもいいかなと思います。

 

またお詣りできるようになった時、自分の心を眺めるのが今から楽しみです。その時、私にとって神々とはなんなのかの答えを得られるでしょう(文章にはしにくいはずで書かないと思います)。

 

追記

亡くなったのは同居親族ではないのですがご遺体に接するから念のために封じました。でないと、うっかり神棚に普段通りにお供えをしかねないので。ですから、本当はしなくてもよいのだろうと思います。正直、封じたけどいつ元に戻せばいいのかな? と思っているところです。

 

お爺ちゃんのイラストがちょっと深刻なイメージ過ぎたので子供に変更しました😅