初午でも特に変わらぬ一日ではないかと思われる祠や小社にお詣り😌
二社は山を登る元気がないために、鳥居の所で遥拝。お狐様達🦊には事情を話してそちらでいなり寿司を召し上がっていただくことに。残り三社は平たんな所なので、普通に社殿前でお参りしました。最後は我が家のお稲荷様にお供え。いなり寿司は計20個で夜食を用意する手間いらず😋
神職ではないから、初午のお供えですと告げていなり寿司をお供え後、祓詞に続いて稲荷祝詞を奏上して諸々(その土地の人々が社の力で守られる等)祈念して終了。初午も普段のお詣りもあまり違いがありませんが一般人はこんなものです😅
それでも何もない日で終わるよりはるかに良いことなのだそうです(お狐様談)。
どうしても人は見事な社殿があって社務所に神職や巫女さんが常駐している神社に(お祭りの日は特に)お詣りします。それ自体は問題ではないのですが、ただでさえ少ない信仰心のある人がさらに偏在すると、小さくて一見みすぼらしいが非常に重要な社の人と神との結びつきが揺らいでしまいます。
かといってここが大事なんですよなどとあまり書き過ぎるとまたこれが困ったことになってしまいます(お察しというやつです)。
どの社にも大事にお詣りする人が一定数いたら……そうしたことをふせたままで解決するのです🙂
祭りは外にあるのではなく、人の心の内にあるものです。塵も積もれば山となる。初午も旧暦で行う神社も多くあります。こぢんまり祭で大事なひとりひとりのむすびを行う人が誰かいませんか?